5/4(火) 苺のタルトと友人のキックボード
出張販売なのか、小さなブースでキッシュとタルトが売られていた。
キッシュは好きなのだが取り扱う店はそう多くなく、見かけたら買うようにしている。レジで会計しようとしたが、その隣の苺のタルトに目を奪われる。飴細工のように光るそれを、ここ数年口にしていなかったかも、と思い出す。だけど商品はホールか2分の1のハーフサイズしかなく、一人ではとても食べきれなさそうだ。
「何時まで売ってます?」と質問して、「20時まで」と教えてもらった。先に必需品の買い物を済ませてその間に考えよう。アラサーにもなると、平常心で店員に話しかけられるので、便利になったなと思う。10代の頃はもっと怯えていたし恥ずかしかった。店員はほとんど全員が自分よりも年上だったし、ましてや話しかけるなんて非日常のことだったからだろう。
店をぐるっと一周するうちに、家が近い友人に「苺のタルトを買ったら食べに来る?」と連絡してみた。友人が来るなら買おう、と決意すると、ほんの1分くらいで返事が来た。
「行く!」
思いのほか元気な文面に、タルトの売り場へ戻る。店員に、「あっ、さっきの」と話しかけられて「買いに来ました」と返す。一度スーパーの試食のバイトをやったことがあるが、「買う意思のある(常識的な振る舞いの)客」が出現すると、心細さから一瞬解放される。と思っているので、買う意思は早々に伝えるようにしている。
しっかりキッシュも購入して、家へ帰る。「いま買い物終わったからいつ来てもいいよ」と連絡し、ついでに部屋を軽く片付ける。
時折人が訪れるので、部屋がひどく荒れているということがなくなった。「汚い」「気持ち悪い」「不潔」といった言葉と共に軽蔑の表情が向けられる、10代の生活が嘘のようだ。あの頃はそれらの言葉が私の真実を指しているのだと思っていた。恥ずかしくて惨めだったから、態度だけはふてぶてしかった。弱っている様子を見せるのは、相手を煽るだけだから。
友人は「近いから」とキックボードで家に来た。街で見かけたことはあるが、持ってる人に遭遇するのは小学生の頃以来だ。「乗ってみる?」と聞かれたので「乗る!」と即答する。「両足そろえて、スノーボードみたいな感じ」と教えてもらったけれど、スノーボードは人生で2回しかやったことがない。ほんの数メートル進むのもフラフラな私と、颯爽と駆けていく友人。上手い人の動きって、なんでも簡単に見えてしまう。滑らかで力が入っていないから。
キックボードを玄関に置いてもらって今度こそ友人を招く。部屋の片付けついでに、設置しようしようと思ってしていなかったブラインドを付けようとしていた。友人が来る前に終えるつもりだったが、間に合わなくてネジや部品が散乱していた。
見かねた友人が「こういうの得意」だと言うので、手伝ってもらって一緒に取り付ける。それ目当てで家に呼んだみたいでちょっと申し訳ない。
苺のタルトを報酬に、キックボードで駆けつけて、部屋にブラインドをつける。一つ一つが少し非日常でファンシーな、絵本っぽさがある。「苺のタルトがあるから来なよ」。老人になってもそんな誘い方をしたい。
友人は数時間滞在して、「明日は午前中に予定があるから」と深夜に帰っていった。家族や親族が大好きで、実家に帰れないとたびたび嘆いていたが、なんだかんだ工夫を重ねて休みを楽しんでいるようでよかった。一方で、私はこの渦中において、「大好き」な親族が存在しなくて気楽だな、と他人事のように思う。
失いたくないものが、たくさんある人は大変だ。こういうのって悪役の考え方と根っこが同じな気がする。ヒーローはいつも言う。「守るものがある方が強いんだ」「勇気が出るんだ」と。小さい頃は何も考えずヒーローを応援していたけれど、大人になってから聞くと何だか嫌な決め台詞だ。「持ってる」人の言葉で。
ゴールデンウィークも半分以上が終わってしまった。5月は定時で帰れる日がもっと増えたらいいな。