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momoro66
11/8(日) もしかして幸せになりたいのかな
小さいテーブルとラグを買おうと、家から近いニトリに行ったら置いていなかったので、家から遠いニトリに行った。閉店5分前まで吟味して、結局テーブルもラグも買わずに出た。友人と合流してまたシーシャヘ。
もし、誰かと子どもを作るとして。自分の遺伝子が嫌すぎて、好きな人に単細胞分裂してほしいと盛り上がる。相手の完全な分裂なら衒いなく愛せるのに。異性だったらもっと良い。「自分とは違う生き物だ」と、より強く思えるから。
自分に似てる子はきっと愛せない。でも自分と同じ苦しみを、一つも持たない子も愛せないかもしれない。同じように苦しんで欲しいと願ってしまうかもしれない。それが怖い。
怖くて、Twitterの育児ツイートを読むようにしている。自分と家族の関係が絶たれた時期、つまり小学校4年生以上の子どもを好意的に記しているものが特に良い。自我を、持ったら「終わり」なんじゃないかと子育てに対して思ってしまうから。
コロナでシーシャ屋も2時間までしか居られない。忍びよる時間を頭の片隅に、もしかしてさ、幸せな家庭つくりたいのかもしれない。と呟いたら友人が笑った。
「幸せな家庭、つくりたいね」。先に作ってよ。参考にするから。
足元で蠢いている破壊願望を押さえつける日々。