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息苦しくなった日


今から人の生死に関した話をするので、読みたくない人はこのまま引き返してください。


初めて息苦しさを感じたのは、小学校高学年の頃だったと記憶している。
何がきっかけだったかは覚えていない。そもそも、きっかけなんてものはなかったんじゃないだろうか。

気付いたら息が苦しくなっていて、吸っても吸っても空気を吸い込めなくて、肺は膨らんでいるはずなのにいつまでも息苦しかった。

友だちといるときに「息が苦しい」と言うと、最初は「大丈夫?」と気にかけてくれたのに、「なんだか、吸い込んでも息が吸えていないような感じ」と説明すると、「何それ?意味分かんない」と笑われて終わった。「面白いこと言うね」って言われただけだった。
笑い事ではないし、面白いことを言ったつもりもなかった。この息苦しさを何とかして欲しかったし、何もできなくても、心配だけして欲しかった。

(私の体調不良の訴えは、この人たちにとっては“面白いこと”でしかないんだな)と思ってからは、どんなに息苦しいときでも、言わずに一人で耐えた。

両親に息苦しさの相談をしても、まともに取り合ってもらえたことはなかった。
悪意があった訳ではないと思う。
末っ子が産まれたばかりで大変な頃でもあったし、両親ともに仕事も忙しかったし、特に衣食住に困ることなく生活できていたことは感謝しなければ。

でも、あの頃に少しでも気にかけてくれていたら。私の息苦しさの理由に少しでも耳を傾けてくれていたら。
何か少しは違ったのかも。
それはあの頃のことかもしれないし、その先の、未来のことかもしれない。“相談できる大人がいる”という状況、“私の息苦しさを理解してくれる人がいる”という状況。
それがあったなら、思春期の頃の私に寄り添ってくれる人がいたなら、大人になった今の私の状況も何か違うものだったかもしれない。

と、思うのは余りにも他力本願だし、私の今の状況は全て過去の私が選んできた結果だから。
今の私に何もないのは、全て自分自身のせいだ。
分かっているつもりでも、少しくらいは誰かのせいにしたい。

この息苦しさの名前を理解したのは、看護学校に通っていた頃だ。
息苦しさは過換気症候群の症状そのもので、それの原因のひとつがストレスだということを理解したけど、何がストレスだったのかは分からない。今でも、あの頃何がストレスだったのか分からない。
何が不安で、何に緊張していたんだろう。
周りに取り巻くもの全てがストレスだったのかも。

“死にたい”“消えたい”が口癖ではある。
今でもたまに呟いてしまう。
でも、本気でそう思っている訳ではない。言葉に出して、自分の不安や悩み事を殺しているような、そんな感覚だ。

今思い返してみると、小学生の頃には希死念慮があった。
希死念慮とは、“死にたい”と思う気持ちのこと。
この言葉を知ったのは最近のことだけど。


小学生の頃、こんなニュースを目にした。校内で生徒が自殺していた、というもの。そのニュースを皮切りにか、幼い子どもの自殺についてのニュースが取り上げられることが増えた。
自殺自体は元々多かったはず。今でもそうだ。
事件や事故も、ニュースにならないだけで、小さなものは年間だけで把握しきれないほど多くある。
多くある中でも、大きく取り上げられた、“校内での生徒の自殺”。
“死”ついて意識をし始めたのはあの頃からだった。それまで、自分の身の回りで誰かが亡くなることはなかったから、“人は簡単に死んでしまうこと”や、“自らその道を選ぶ人がいる”ということを知った。理解していたのかは分からない。
でも、とにかく、“意識するようになった”。

私はいじめられていた訳ではない。友だちはいたし、一人ではなかった。家族もいたし、衣食住に困ってもなかった。平凡で、裕福ではないけど、普通に幸せだった。
でも、何だか、ただぼんやりして、何もないまま大人になった気がする。何もなくて、特別幸せでも、不幸でもなくて、それなのに、「死んでしまったら楽なのだろうか」と考えていた。
病気をして、生きたいのに生きられない人からすると、「贅沢なやつだ」と言われるだろうか。「生きる気がないなら、その寿命を分けてくれ」と怒られるだろうか。
分けられるものなら分けてあげたい。必要なら血液だけでなく、臓器提供もする。私はそんなに長生きしたくないから、必要なものは全部持っていってくれ。

周りにはどうやらバレていないようだけど(少なくとも、指摘されたことはない)、私はもうずっと前から鬱なんだと思う。
正式に診断はされていなくても、仮にも医療者の端くれだもの。自分で何となく分かる。
思い返してみれば、子どもの頃からずっと病んでた。それが少しずつ蓄積されていって、今まで生きてきた。

何となく生きているだけで、長生きはしたくない。自分で自分を殺す勇気はないから、交通事故に遭うか、いや、それは人に迷惑がかかるから、災害の時に巻き込まれてそのまま行方不明になりたい。そのまま自然の一部になれるものならなりたい。

ということを文章に書き起こしてみたら、自分がどれだけ他力本願で生きてきたか分かった気がする。
自分だってもう子どもじゃないんだから、いつまでも他力本願はダメだよ。分かってる。自分の人生なんだから、自分で何とかしないと。分かってる。でも、どうしたらいい?何をどうしたら私はこの息苦しさから解放されるの?

今でも時々息が苦しい。
たぶん一生息苦しさとは付き合っていかないといけない。それならせめて、回数は減らしたい。すこしだけ楽になりたい。でも、生きている限りは楽にはなれないんだと思う。

だからと言って、「殺してくれ」と言っている訳ではない。長生きはしたくないけど。
ただ眠りについて、そのまま目覚めない日を迎えたいなって思う。
そう思いながら、今日もご飯食べてお風呂入って「明日も仕事だ」と思いながら眠りにつくことにする。おやすみなさい。

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