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LGBT当事者が死んだニュースが流れるたびに、「次はおまえ」というメッセージが来る。



 あたいがあたいとしてSNSで活動を始めて、もう5年ほどになりますわ。

「たのしく毎日を生きているというだけで、誰かの敵になるのが社会であり、人の生き様というものなのかもしれない」と思うほどには、何人もの人から死を願われたり、殺意や殺害の企図を示されることを経験した。

 あたいの著作を浴室で燃やしている写真を送ってきた人や、あたいがよく行く店や街への脅迫的な文言、「これ以上お前が本を出したら、私は自殺する」というような宣言もあったりした。いろんな人がいる。街で出会っても、学校で会っても、きっと対面では話さなかったことをネットだから聞ける。過激な言葉もその一つだ。

 SNSって改めて考えるとすごいなぁと思った。

 シャイな人や、口下手な人が、その裡に秘めていた矯激をバンバン飛ばしてくる。弁が立つ人間じゃなくても、口数が少なく友人がいない人間であっても、何も考えていないわけじゃない。心があり、言葉がある。そしてネットって、そんな静かな人間の拡声器代わりにもなってるんやね。改めてそう思った。

 あたいは飲み屋で働いて、いろんな人の言葉に触れたつもりになってたけど、飲み屋に来れる人間は経済的にも外向性的にも一握りなのだ。ネットの方が裾野は広い。

 だからあたいは、リアルでは聞けない言葉を、現実で話す機会のなかなか無いであろう人から、匿名であっても聞けることはすごいことだと思うのだ。


 もちろん、そういった言葉以上に、あたいに期待してくれる人や、あたいの活動を応援してくれる人、あたいの発信で楽しい気持ちになってもらう人の方が数としては多かったから、この5年の活動期間に、反省すべき点こそたくさんあるものの、おおむねは万々歳だったんじゃないかと考えられることができた。ファンレターや応援リプやDMはあたいの心の宝箱に全部永久保存してある。


 でもだからと言って、攻撃の意図のある声を「無視していいアンチ意見」だとか「どうせこちらを本当に殺すつもりはない戯れ言」と一蹴しているわけではない。

 あたいが死ぬ気で発信してんだから、殺す気で受け取る奴がいてもおかしくねぇよな。だからあたいはそれらを“真剣(ガチ)“だとして受け取っている。



 あたいの死を願う人の動機や背景は様々だ。

「たまたま虫の居所や人生の風向きが悪いタイミングに、あたいが目に入った」
「あたいに期待していたのに、それを裏切るような言動があった」
「実力に対して不相応な待遇や注目があるのが気に食わなかった」
「あたいの落ち度や偏りが許せなかった」
「なんとなく気にいらねーし、自分の気に入らない人間は死んだっていい」


 気まぐれや、愛憎や、嫉妬や羨望、不愉快や偏執、不道徳。
 まぁなんか色々あると思いますわ。

 それはあたいの知るよしもない感情である。だけど最も当事者であるあたいが「そんなの知ったこっちゃない」と無視して退けることもないし、「そういう気持ちもわかるよ」といって寄り添うこともできない、そういう微妙な距離にあるものだとも思う。



 さて、今回はそんな殺意について。

 そういったあたいへの強い殺意を抱えた時に、あたいに直接ぶつけてきたり、あるいはあたいを嫌ったりする人同士がSNSや匿名掲示板などであたいの誹謗や批判を言い合うことで健全に消化を試みていたはずが、そこでスッキリできずに、むしろ激化してとめどないヘイトを募らせてしまうタイプのーー《殺意を自分自身で消化できない人》を取り上げる。


 とりわけ《LGBT当事者が亡くなったニュース》が出た際に、いの一番にあたいに「次はおまえ」「お前が死ぬ番」と送ってくる人はどうしてあたいにそういう言葉を投げかけてくるのだろうか

 友達や家族や仲間に話すことをせず、あるいはそれを行なっても消化できず、結局本人に自ら自分の言葉を届けてしまうその意図は?

 他にもネガティブな言葉やヘイトスピーチや攻撃的な文言を投げかけてくる人たちのことを考えてみたい。

 ただ注意点がある。それだけはまず列挙しておきたい。


LGBT当事者の亡くなったニュースはここ最近も連続して流れた。まだそのことを悼む方々は多く、受け止めたり消化できていない人もいる。

なにより、故人の身近な人たちにとって今はまだ、そしてこれからも、死去以上のことを書かれることは良くは思わないだろう。なのであたいは彼らの死については書かない。亡くなった著名人が誰のことなのかも挙げない。

・また、この件を取り上げる際に想定されやすい著名な方を含む、全ての亡くなった方々が、「自分はLGBTの〇〇で当事者だ」と名乗っているわけでもなく、彼彼女らの性自認等も公開されていない場合もある。「あの人はLGBT当事者である」ということはあたい達の一方的な理解かもしれないことは留意したい。

・そして、こういった攻撃的なメッセージは、こういった形で取り上げずに粛々と対応するのが最適解だとは思う。テロリストの思想をそのまま垂れ流すメディアがあれば、それはテロリズムの加担で、加害者やその集団に成功体験を与えたことになるのと同じだ。

・それでもあたいが今回「メッセージをもらったこと。彼彼女らの背景」を取り上げたのは、今この世の中で、同様のメッセージを送られている性的少数派の当事者がいるかもしれないことに危機感を覚えているから。こういった悲しいニュースが社会に衝撃が与えられた際、なぜ便乗した“加害“が起こりやすいのか、その背景を考えて発生を防ぎたい。あるいは加害に対してきちんと批判が起きる土壌を作っておきたい。

 そういうわけで、今回もあたいは書いていく。

 ちなみにあたいは強い言葉を受け取った時、それなりに傷つきながら、それでも生きている。大人でも、あたいでも、傷つくときは傷つく。


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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄