人を不快にさせて喜ぶ人と、その人と友達になる人。
今回は自分に嫌がらせする人に直接会った人たちと、その事の顛末を書く。法的な解決方法を提示する記事でもない、何かを明らかにするルポでもない。そして彼女のやり方を推奨をするわけでもない。でもあたいにとって、聞けてよかった話だった。
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あたいは飲み屋が好きだ。
酒が好きというか、昼間の喧騒や仕事から離れて、夜の街の隅で静かにしっぽりやる時間が、あたいにとって特別でかけがえなく感じる。それと「酒を飲んでるから」という理由で、普段は小っ恥ずかしくてなかなか話せないエピソードを赤裸々に披露する人なんてものまで見られるのもいい。
たぶん、酒の酩酊によって引き起こされる独特な雰囲気と距離感、時折訪れるハチャメチャな時間、そしてそれが許されるような店内の身内感、といった《じっとりとしつつもほどよい閉塞感》があたいにとって居心地がよく感じられるのだと思う。
こういった《閉塞感》はさまざまなコミュニティでも見られる。ていうか人間が数人集まれば自ずと生まれるものだと思う。仲間同士の安心感と言い換えてもいいかもしれない。
でも、場合によっては辟易するものだろう。あたいもそれは分かる。たとえば飲み屋の場合、常連客の排外的な態度のせいで一見客や部外者にとっては居心地が悪い店も少なくないし、それはあたいも体験して知っている。
そういった、一つの場所に居着いて、新規の関係を寄り付けない態度を示す人たちも、もしかすると仲良くなれば(つまりその内輪に参加できれば)面白い人たちなのかもしれないけれど、あたいはわざわざ首を突っ込もうとはあんまり思わない。《互いに不干渉であること》も、快適な空間作りやコミュニティには必要だと考えているからだ。
このような身内以外への排外が、あからさまに攻撃的な態度として表れていれば、それは行き過ぎた閉塞感だと思う。ほどよい閉塞感は全くもって違う。ほどよい閉塞感はそこにいる仲間になんやかんやで信頼を置く。だからその仲間が連れてきた知り合いにもすぐに居場所を共有し、懐襟を開く。そうやって輪が広がることもあるから、あたいはそっちの方が好きだ。
もう一つ、あたいが好きだと言った《独特の距離感》ーーつまりある程度打ち解けた後にふと訪れる、立場に上下も左右も無い距離感や、ある意味では無礼講すら許される特殊な雰囲気。これは飲み屋独特のもの、あるいは飲み仲間や飲み会などで比較的得やすいものだとあたいは考えている。考えてみると、職種や年齢や立場や性別が違う人間が集って、ある程度フラットに話し合える場というのはそう多くない。
そしてこれも度合いによっては辟易するものだろう。人によって程よい距離感は違うし、酒にかまけていると「親しき仲にも礼儀あり」という考えがなぁなぁになって、せっかくできた仲間との間で無礼を働いて反感を買ったり、個人的なことに踏み込み過ぎて仲違いすることだってある。
たしかに酒は、人と人とを隔てる距離感から目を逸らさせてくれる効果をもたらしてくれる。その結果、相手と距離が縮まることもあるけれど、決して境界線がなくなるわけではない。それを忘れると絡み酒になる。
でもそれさえ避ければ、酒を飲んでもあまり飲めなくても「まぁ酒の席だから」と雰囲気のせいにして、世間体や格好つけたメンツなんてものをちょこっと脇に置いて、腹を割って話すことだってできる。
《酒》じゃなくて《酒の席》がこの社会に必要な理由は、大人が昼間に被っている社会人の体裁を一旦脱ぎ捨てて、少しだけ酒や雰囲気のせいにして自分の本心を話したりできるから。
そういう《ありのままの自分に戻れる希少な場所だから》だとあたいは思っている。
ただし、この距離感による交流をはなからアテにした《飲みニケーション》とやらがことごとく失敗していて定着せず、SNSでは若年層を中心に嫌厭されているのも納得できる。飲みニケーションを企画している段階ではみんなシラフなんだから、立場の弱い者は誘われれば「ぜひ行きたいです」と忖度して返すものだろう。すでにもうそこに権力の勾配が発生しているのだ。
そこに無自覚な者は、飲み屋にも権力を持ち込むことが多い。だから飲みニケーションは《接待》や《付き合わされる会社の飲み会》の域からはみ出ないものだとたくさんの人に認識されたままなのだ。あたいはそう思うんですわ。
話が逸れたけど、あたいが飲み屋を好む理由は色々と独特なところだからと説明してきたけど、まぁ簡単に言ってしまえば、飲み屋では、その街にいる変なやつを間近で見られるし、いつもは普通のフリをしている変なやつの裸の言葉が聞けることもあるし、それになんだか、変なやつである自分自身も許された気分になるからなのだ。そういう意味では夜の街は昼の社会より懐が深いとも思う。
夜の街の楽しみ方は多様で、カラオケのあるバーやスナックで誰かと一緒に歌ったり、飲みゲームをしたりするような、“頭空っぽになって楽しむ過ごし方“もできるし、また、仕事や人間関係のことで愚痴ったり相談したり、世の中に管を巻いたりもできる。うめぇ酒を嗜好することも、黙ってぼーっと過ごすことも、自分の好きな飲み屋の従業員のためにお金を使うことも、それもそれぞれの楽しみ方だろう。
あたいの場合は、夜が長いと感じたら飲みに行く。仕事帰りや仕事の息抜きに馴染みの店に行って、そこで居合わせた仲間で飲むこともあれば、知人の付き添いで知らない店に遊びに行くこともあるし、友達と一緒にいろんな店に回ることもある。それでなんとかその夜を切り抜けて明日を迎える。
夜は好きだけど、些細なモヤモヤが溜まった人間が一人で過ごすには長すぎると思う。だから飲みに行く。言語化しないだけで飲み屋にいる人間って大抵そんな奴らだ。あたいもそいつらも。
そして、そこでさまざまな出会いがあり、深い付き合いになれば、名前も職業も知らない浅い関係のまま、深い話を交わすこともある。それでいい。あたいはあたいのために飲んでいるので、人脈とか利害関係とかはどうでもいい。
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そういえば少し前、あたいが現在働いているバー(ゲイバーではない)の店長の紹介で、18禁系ナイトイベントに職場の先輩と一緒に参加した。
もちろん、ハプニングバー的な男女の出会いの場ではなく、客はただ酒を飲みながら、その都度登場するパフォーマーさんが魅せてくれる演目を楽しむショーパブみたいな感じのイベントだ。
LGBT限定のイベントではないので、規模もゲイナイトに比べれば大きい。会場も老舗のクラブの箱だった。そしてメインイベントは緊縛ショーだったので、あたいは内心「本当に参加して大丈夫なのか?」と恐れ慄いてた。一斉摘発などで警察が押し寄せて来たら、あたいは窓ガラスを割って夜の空に飛び立つ“覚悟“はできていた。
しかし、参加してみれば想像よりも存外ショー感が強く、フェティッシュを前面に押してるとは言っても、理解し難いアングラ味は薄いものだった。ちゃんと風営法に則った演目だったし、流石に性器は見えないようにされていた。ディズニーのパレード並みにカジュアルに、ただ半裸の男女が踊り狂ってるだけだった。健全やね。
もしもあたいが予期していたように完全におっ広げていたら、緊縛フェチショーじゃなくてガチでお縄についちゃうしね、警察の。
今回のナイトでは、女性パフォーマーがメインの演目が多かったけれど、客には女性の姿も多く、皆が主体性を持って性表現を楽しむイベントだったので、女性が性的客体化された感じはそこまでしなかった。男性も同様に緊縛されてたし。
それに普通のナイトイベントと同様、プロのパフォーマーさんやDJさんたちが代わりばんこで出演したり、一般的な地域の飲食店が各店の名物料理(アテ)を提供したりとお祭り感があったし、あたいの知り合いが演目の途中に楽器隊で参加していたりしたので、ゲイのあたいでも盛大に楽しめた。あたいの先輩(バイセクシャル女性)は下戸なのでシラフだけど、盛大にはしゃいでた。
あたい達は二人で「世の中にはすげぇ世界があるもんだねぇ」と感動したものだった。まぁあたいも彼女も元風俗経験者だから、ある意味ではこういう性的なアングラ感や、夜の住人の賑わいは見慣れたもんだけども。
さらに言えば、性について突き詰めればクィアな表現は多い。ホモセクシュアルな演目だけじゃなく、トランスジェンダーや越境したジェンダーを表現する出演者や、性の規範を破壊するようなアンチジェンダーな演出も見られたので色々と迫力があった。ここら辺はまた別の機会に深く書き表そうとも思う。
その会場にて、あたいがテキトーに知らない人と話している最中、先輩が友達を見つけて場に呼んでくれた。
一人は、SNSの裏垢界隈で活動していて、そこそこフォロワーも多い“風属性セミプロの女性“で、もう一人はその子のフォロワーだという中年男性の二人組だった。
その二人と軽く話すうちにメイン演目も終わったし、後発組の人も増えて会場が混んできたので、近くにある共通の知人がやってるバーにそのまま四人で流れることにした。ちなみに風属性とは風俗関係のナイトワーク職ってことだ。つまり四人中三人(内訳女二人、男一人)が現役と元を含む風俗経験者となった。偏ったパーティーやでほんまに。
まず軽く彼らのことを紹介しておこう。まぁ詳細に書き記すつもりはないので属性と立場だけでも。
その女性は20代後半。ここでは風属性だし“フウ“さんと呼ぶことにする。
フウさんはあたいのそこそこ古参フォロワーらしく、あたいの一作目である「ゲイ風俗のもちぎさん」シリーズから追ってくれていて、ゲイ風俗編の書籍は全巻購入済みだと言っていた。直にそういうことを言われると照れるのよね。そしてあたいは照れると特殊な粘液を出し、粘液による浄化作用が地球環境改善に寄与すると言われているので、みんなもあたいのことをたくさん褒めて欲しい。
フウさんは元々ちょっとグレーな店舗型の風俗でずっと働いていて、その店を辞めた後はSNSで裏垢活動したり、たまにソープなどで出稼ぎをしたりしているようだった。彼女自身「私には“いつでも辞めれると考えながらやってる風俗の仕事“が自分に合っている」とも言っていた。切羽詰まって性産業に従事しているわけでは無いらしい。
そんな彼女にとって、あたいの拙作はいろいろとシンパシーを感じて面白く読めるらしかった。たしかにあたいの作品でも、一般職よりゲイ風俗の方が楽だから出戻りしてきた子の話とか、風俗産業に経験として好奇心で飛び込んでくる子のエピソードがあった。つまり「性産業で働く人はかわいそうな人」という話一辺倒で無かったのが彼女には受けたのだろう。
ただ、エッセイを描くあたい自身は、ゲイ風俗の仕事に誇りも適性もあんまり感じなかったけどね。
余談になるが、彼女いわく、ゲイ風俗エッセイで特に気に入っているエピソードは、あたいがお客様のウンコを素手で受け止める話だった。セックスって結構そういう事故あるよねーって話をしながらビールを乾杯した。それでもう戦友ってわけ。
もう一人の方。
男性の方は、三十代後半くらいの素朴な男性で、あまりナイトイベントに参加しそうにない純朴な雰囲気をしていた。でも、性的に潔白な感じがするわけじゃない。メガネの奥はすけべそうな顔はしていた。あたいもすけべなのでわかる。わかるよ。
一見した感じでは社交的なイベントや場には訪れなさそうな内向的な見た目。そしてやや取っ付きづらい仏頂面な表情が彼の第一印象だった。いわゆる小慣れていない芋っぽい男らしさがある感じだった。
そんな彼を見た時、「野暮ったくて童貞オタクっぽいノンケが好き❤️」と言っているあたいのゲイ友が好きそうだなと思ったものだった。ぽちゃっとしたオタクっぽいイモ系の男に食指が動くに持つゲイはたまにいる。
「ゲイの世界に捨てるところ無し」ってのはゲイの性生活の奔放さを誇張する俗説や、ある種の偏見だとは思うけれど、たまにこうやって外側に向けて書いていると、案外的を射る説なのかもしれないと思う時がある。
話は逸れたが、その人のことここではイモ系なので“イモ“さんと呼ぶことにする。
イモさんと少し話をすると、言葉数が少ないものの一言一言が面白く、挙動不審さや人馴れしてない感じも一切しないし、案外ノリがいいお兄さんって分かって面白かった。たまに、小学校や中学校のクラスで、おとなしいポジションだけど話してみればめちゃくちゃユーモラスな子っているじゃない。そんな感じだった。あたいがゲイだと打ち明けると「俺はノンケだけど、可愛い女の子にちんちんが生えてたらお得だなと思うよ」という謎の告白をしてきて笑った。
仕事は服飾系の会社員をしつつ、趣味のゲーム配信で小銭を稼いでると話していた。好きなタイプは童顔で巨乳だと話していて、あたいはそれを聞いて「ゲイが“タイプはイケメンで巨根“とか言ってるのと変わらねぇな」と改めて思った。
そんな彼ら二人と、あたいと先輩を含めた四人で飲んでいて、会話は途切れることはなかった。
ふと、あたいが「二人は何きっかけで仲良くなったの?」とふっかけてみると、フウさんとイモさんは顔を見合わせてから、フウさんがこう言った。
「この人ね、最初はうちらの界隈でウザいやつって言われていた痛客で、元々私にSNSで粘着してたクソリプ野郎だったんだよね〜。ね〜?」
フウさんがそう呼びかけると、イモさんは照れくさそうに「よせやい」といい声で言っていた。
「えーー。クソリプ送ってたのに仲良くなったん? てか仲良くなれるもんなん? 」
と、あたいは思わず口にした。だって普通そこには悪意しかないし、悪意に対して冷静に、そして対等に話し合えることはなかなかない。あたいももうSNSで五年近く活動しているけれど、最初から敵意を持って近づいてくる相手との対話は難しいことだと思う。大抵は「お互いに違う世界で生きましょう」というアシタカとサン状態でブロックするのが関の山だ(出典もののけ姫)
とにかく、クソリプを送るような人間と酒を一緒に飲むようになっているだなんて、なんだか面白そうな話だったので、お酒をおかわりして話を伺うことにした。
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天然温泉旅館「もちぎの湯」
ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…
今ならあたいの投げキッス付きよ👄