発達女子のカモフラージュ
最近この「カモフラージュ」(camouflage)って言葉を知った。
詳しくは本を取り寄せてる最中。
※参考図書「続・発達障害のある女の子・女性の支援: 自分らしさとカモフラージュの狭間を生きる」金子書房
私はADHD+ASDの発達特性があると自己分析している。
一応社会適応している風を装っている。
これこそがカモフラージュ?
「みんなと違う」実感はずっとあった。
だから「普通」って何だろうと疑問に思って心理学を学ぶことに至った。
大学での学びは結局「人の心は学んでも分からない」となって心理職になることをその時は辞めた。
子どもを授かって人間を産み出したことで私にスイッチが入った。
「この理不尽な世界から子どもを守らなきゃ」
その理不尽さは私がずっと抱いていた「ありのままでいるとしんどいけど、でもそうしていたい」不全感だった。
分かってもらえない自分を抱えている人はいるはずだから、それはきっと私には分かる変な自信。
これも何だか不可解な理屈だとは分かっている。
きっとそこがASD的なのだろう。
で、カウンセラーとして開業している。
あくまでも勝手な解釈です。
カウンセリングルームで出会う沢山の発達特性を持ちながら苦悩する人々。
「どんな支援がいいのか?」いつも悩んできた。
だけど、それって主体性を尊重していない感じがしてた。
どんな特性があろうとその人が心地よい過ごし方が選べる支援をしたいとずっと思っている。
少し先にが見えた感じがしている。
カモフラージュは生き延びるためのアバター。
自分の分身。
だから今のままのあなたできっとかまわないとエールを送りたい。