卒業するサリナのマザーハウスでの12年間とこれから
マザーハウスの生産国のひとつ、ネパールでは、男性が出稼ぎへ行き、女性が家庭を守る風習が未だに残っています。そんな中、入社当時は6歳だった娘を育てながら、家の枠にとどまらずに各工場を飛び回っていたのが現地マネジャーのサリナです。
2011年から12年間、各工場とのやりとりや、品質、出荷管理までネパール事業の要を担ってくれたサリナが、マザーハウスを卒業することになりました。
当時の感情やマザーハウスへのイメージ、卒業を考えはじめた経緯や、今の夢など、ネパール事業担当の牛留と12年間を振り返りました。
12年続けるとは、思わなかった
牛留: 改めて驚いたけど、12年は長いね。マザーハウスに入る前は何をしていたの。
サリナ: 元々は、ニット工場で働いていて、娘を出産してからは家の中でできるニットのサンプル作成の仕事などをしていました。
でも、オーダーは常にあるものではなく、収入が安定しなくて。もっと働きたいと思った時に、友人の知り合いがマザーハウスを紹介してくれたんです。
当時はマザーハウスもネパール事業を始めたばかり。立ち上げ担当だった田口さんもちょうど人が必要な時だったの。
牛留: 最初に田口さんにあった時の印象は?
サリナ: 田口さんというより、自分自身がすっごくシャイだったの(笑)。海外の人とも働いたことがなかったし、英語も話せなかった。
そんな私をみて、すごくフレンドリーにネパール語で話しかけてくれたのを覚えてる。正直すっごくびっくりした。
だから、私でもきっとやっていけると思ったんです。
牛留: 当時、12年間この仕事を続けていると想像してた?(笑)
サリナ:全然(笑)。ストールを買うことはあっても、生産側は無縁だったし。だけど、だからこそ「知りたい」と思ったし、とにかくやってみようと思った。
工場のスタッフも、みんないい人で、一緒に頑張ってみようと思ったの。
でも何度もいうけど、12年続けるとは、思わなかったよ(笑)
憧れのキャリアウーマン像
牛留: 働き始めのことで、一番印象に残ってることある?
サリナ: タイムテーブルだね(笑)
当時、各工場にバス3台乗り継がないといけない場所に住んでいたんだけど、周りのみんなが私に言うの。「日本人はすごく時間に厳しいのよ。遅れるなんて怒られるわよ」って!
毎日毎日「遅刻しないかな、遅れたら一体何言われるんだろう...」ってすっごく不安だった(笑)なるべく毎日15分前とかには工場につくように努力したんだけど、ネパールの交通事情はひどくて、どうしても遅れてしまうことがあったの。
牛留: 普段30分の場所に1時間かかることもざらだしね。
サリナ: そうそう。だから毎日ひやひやしてた。けど、実際は田口さんもエリコさん(山口)も、遅れても全然怒らなかった。本当に安心したわ。
牛留: 品質管理の難しさとか出てくると思ったから、タイムテーブルっていう返事は想像してなかった(笑)
サリナ: (笑)品質管理は、田口さんが丁寧に教えてくれたから。もちろん問題は起こるけど、田口さんや、サアヤさん(牛留)がいつも助けてくれるから、困るってことはなかったかな。現地にいない時も、遠隔でいつでも連絡してくれたから大丈夫だったよ。
牛留: 山口さん(マザーハウス代表兼チーフデザイナー)の第一印象は?
サリナ: 当時はまだ30歳くらいで、最初はとにかく若いなと思った。
私は、子供はいるけどばりばり働いて、海外ともやり取りするようなキャリアウーマンになりたいと、ずっと夢見てたの。そんな憧れの女性がこんなに若いことに驚いたの。こんなに若くて小柄な女性が、会社を経営しているの?って。
あと、私はどうやったら彼女のようになれるのかしら、とも思った。
彼女はすっごく一生懸命で、いつもどこでも、誰よりも動いていた。だから私も彼女を見て「私も動かなきゃ!やらなきゃ」って気持ちになったわ。だって私のボスが目の前でやってるんだもん。私もやらなきゃって。
牛留:現場にいる時の山口さんは、いつも動き回ってるよね。
サリナ: そう。でも、それはエリコさんだけじゃなくて、田口さんもそうだし、サアヤさんもそうだった。勝手なイメージだけど、海外の会社の人が、こんな風に現場に来て、工場のスタッフと分け隔てなく一緒に手を動かす姿は想像してなかったんだよね。
マザーハウスの人はそれを当たり前にやるけど、ふつうはそうじゃないよね。
だから私たちは、あなたたちのことを信頼しているし、一緒に働きたい、頑張りたいって思うんだよね。
日本人は移動中に話さない
牛留: 2016年に初めて日本に来ることになった時、最初に「日本に行けるよ!」って聞いた時どう思った?
サリナ: 私の人生の中で、国外、特に日本に来る機会が訪れるなんて全く想像してなかったから、すごく緊張してた。でも、ネパール人にとって日本やオーストラリア、アメリカは、大金を払ってでも行きたい・住みたい憧れの地なの。だから本当に嬉しくって仕方がなかった。
ビザがとれた時は本当にうれしくて、ビザのページの写真を友達みんなに送ったわ(笑)。
牛留: 最初の日本の印象は?
サリナ: 一番びっくりしたのは、日本人が移動中に全然話さないこと!
ネパール人は旅行に行ったら、全然知らない人でも、とにかく近くの人としゃべるの。だから、最初に日本にきた時は少し戸惑ったわ。初めて日本に来れたことが本当に嬉しくて、その気持ちをみんなに伝えたかったの!ネパールの伝統的な衣装も着てたのに、誰にも自慢できなかったわ(笑)
はじめての海外で緊張もしていたんだけど、日本のスタッフが家族のように温かく接してくれて、一緒にご飯食べたり、しゃべったり。すぐに安心できたわ。
その時の思い出や、写真は未だに私の宝物よ。
牛留: ネパールの工場スタッフは家族のような関係性だけど、日本にも同じように家族のようなスタッフがいると感じたんだね。
サリナ:そう。スタッフもだし、お客様もそうだった。
私にみんな会いに来てくれるなんて、夢にも思わなかった。
会うお客様みんなが、私の名前まで知ってて、「あれ、なんで私はこんなに有名なの?」って(笑)
私のことをこんなに愛してくださるお客様やスタッフが、こんなにいるんだって知って本当に嬉しかった。
お客様がいて商品を愛してくださるから、私たちが今ここで働けているんだ
牛留: お客様に直接お会いする前後で変わったことはある?
サリナ: とにかく直接お客様にお会いできたことが大きかったわ。
私たちが買い物にいくとき、作っている人のことは知れないし、もちろん作っている人は私たちのことを知らない。日本もそれは一緒だろうと思っていたの。
でも、マザーハウスは全然違った。
お客様は家族のような関係だったし、一回お買い物をしておしまいではなく、何度も私たちの商品を購入してくださるお客様がいることもはじめて知った。
本当に初期のものから新作まで、たくさんのストールを持ってくださっているお客様もいらっしゃったの。
日本に来るまでは、お客様はどんどん変わっていって、新しいお客様が新しい商品を買っていくんだと思っていたんだけど、そうじゃないんだって知ったの。
お客様とお会いする前も、もちろん品質には十分気を付けていたけれど、もっと気を付けるようになった。
お客様は家族のようにあたたかかったし、そんなお客様がいて商品を愛してくださるから、私たちが今ここで働けているんだ、ということを理解したの。
だから、もっともっといい商品を届けなきゃって感じられた。
牛留: サリナのすごいところは、自分の経験だけにせず各工場のスタッフにも、きちんと伝えていったところだと思う。
サリナ: ありがとう。そうね、全てのスタッフに伝えたわ。私は最後の品質管理というゲートキーパーだけど、そもそも生産しているスタッフが同じ気持ちじゃないと意味がないからね。
またマザーハウスの家族に会いに戻ってきたい
牛留: コロナになっていろんなことが変わったと思うんだけど、何が一番大変だった?
サリナ: とにかく外に出れなくて、すごく不安だった。ニュースは不安になることばかりだったし、たくさんの人が亡くなったし。各工場もとても不安そうだった。
私たちも工場スタッフもお給料は引き続きもらっていたんだけど、何も出荷できない、オーダーが来ないってなったら、今後どうなるんだろうって不安はみんなあった。
とにかく動き続けないといけないと思って、みんなで協力して前に進み続けるのみだったね。この時みんなで協力しあったことで、周りの人をより大切にしたり、仲間だって思うことも増えたかな。
牛留: コロナになって、ネパールの人々の価値観も結構変わったよね。
サリナ: まず、とにかく健康に気を配るようになった。
たくさんの人が実際に亡くなって、自分たちの健康と、なにより家族がすごく重要だって気づいた。ずっとそばにいられるかなんて、今後分からないなって。
牛留: ネパールは出稼ぎに行く人がすごく多いけど、これまで家族に全然会ってなかったけど、年に1回は会いに行くっていうスタッフが増えてきたよね。
サリナ: そうそう。そういう背景もあって、私も今回一度家族との時間をもう少し増やそうと思って、マザーハウスの卒業を考え出したの。
コロナ直後はそこまで思わなかったけど、ずっと一緒にいた娘がバングラデシュの大学に行って、駐在していた夫はさらに遠い場所に配属になって、急に1人になることになった。家族みんながターニングポイントに立った時、一度落ち着いて考える時間を持とうと思ったの。
それで、全員バラバラもよくないなと思って、まずは私は夫に一緒についていって、娘が大学でなにがあってもすぐ駆けつけられるようにお仕事は少しお休みしようって。
牛留: 12年間、マザーハウスで走り続けてきたんだもんね。少し休んだり、家族と過ごす時間も必要だよね。
サリナ: うん。でも将来的には、またマザーハウスに戻ってこれたらって思っているよ。だって、私にはマザーハウスにたくさんの家族がいるから。
今は、ネパールの家族を大事にする時間をもらっているけれど、マザーハウスの家族に会いに戻ってきたい。
牛留:ぜひ!待ってる!
サリナ:うん。すでに少し寂しいな。きっとすぐに戻ってきます(笑)
変わらない夢
牛留: ちなみに、元々夢はキャリアウーマンになることって言ってたよね。
サリナ: ネパールで女性がバリバリ仕事をするってなかなか難しい。だけど私はそんなかっこいい女性になりたいと思ったの。
牛留: 今、改めて何か今後の夢はありますか?
サリナ: 実は、未だに同じ夢なの。
今は一度お休みもらうけれど、やっぱりその夢は捨てきれなくって。例えばね、マザーハウスは日本にどんどん店舗が増えていって、そして私のことを知ってくださっているお客様もたくさんいるでしょ。
でもネパールでは、まだまだマザーハウスのことを知らない人が多い。
一緒に仕事をしている人はもちろん知っているけれど、私の友達や他の多くの人は知らないわ。だから、ネパールのみんなにも知ってもらいたいし、一緒に働く人を増やしていきたい。例えば、マザーハウスのネパール店舗を作ってみるとか(笑)
そうやって、国内外で活躍して、みんなに知ってもらいたいの。
牛留: いいね。戻ってきて一緒にやろう。
サリナ: そうだね。楽しみにしてます。
最後にお客様へメッセージ
牛留: 最後にお客様にメッセージをお願いします。
サリナ: これまで12年間、私はもちろん、ネパールチームのみんなを応援してくださって本当にありがとうございます。
皆さんが、私たちの商品を愛してくれるからこそ、私たちはこうやって働くことができています。
本当にありがとうございます。
本当に皆様に、しばらくお会いできなくなるのが寂しいです。
きっと私は、今までの思い出や、皆さんのことを、
これからもずっと思い続けますし、新しい人と出会った時も
きっと皆さんとの思い出を伝え続けると思います。
私には家族のような人々が、日本にたくさんいるのだと。
本当に皆様が大好きです。
絶対に皆様のことを忘れません。
また、戻ってきて、皆さんにもう一度お会いできることを
心から楽しみにしています。
それまでしばしのお別れです。
本当にありがとうございました!