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2024.3.18

日記を書くためにパソコンに向かったはいいが始めるまでに時間がかかりすぎて困る。そもそもパソコンに向かう時間も遅くて困る。これを書いているうちに19日になってしまった。昨日のことを翌日に書いて出来上がるのは日記ではなく回想文ではないか?ほんの1時間その日を失っただけで日記の生々しさや熱がなくなってしまうなら断固当日中に書くべきだ。そうしよう。その日の日記と謳いつつ更新時刻が翌日なのは自分にとっても紛らわしいし。会話中に日を跨いだときの「明日ってさ、、あ、もう今日か!笑」のウザさを自ら生み出しているようで嫌気がさす。

遅刻だあああああああああ!10時半にそう叫ぶ。風がものすごく強くて恐ろしかった。上毛三山おそるべし。さすが母小学校の校歌でその偉大さを歌われるだけのことはある。
実家は起きた瞬間に文化的な朝食が提供されるから良い。身近な人の手が加わり、物理的だけでなく感覚的にも温かい朝ご飯のことを文化的な朝食と言うが、ひとり暮らしのときは専らフルグラに牛乳をかけたものを何も考えずに食べていたのでそのありがたさが身に染み入る。冬なんか震えながら食べていた。よく心が死ななかったものだ。
友だちと13時に約束していたので急いで支度。遅刻せずに済んで安心した。

本屋に入ると読みたい本がありすぎて困る。その上、本屋に積まれている、もう買って持っている本たちが「私たちを差し置いてその本を読むんですか?」と言わんばかりに睨みつけてくるから困る。
高崎に帰ってきてから早1ヶ月だが、rebelbooksに行きすぎている。もちろん良い意味で。行く度に、高崎スーパーラブ!!!!!愛してます!!!!!!!という気分にさせてくれるのでありがたい。
友だちにとっていい本が見つかってすごく良かったし、なんだか救われ、気持ちが楽になった。自分が誘って友だちをどこかに連れて行くとき、友だちがちゃんと楽しめているか不安になり、もぞもぞするとこがままある。これはすごく自分勝手で傲慢な考えだから、そんなものに囚われず、一緒に楽しめばいいんだけど、どうしても自意識が顔を出してくる。
例えば、家族や友だちに料理を作り、そこに自分の為だけに作っていたときにはなかった公共性が発生するとき。美味しいと言ってくれるのはとても嬉しいが、気を使わせてそう言わせているのではないかとそわそわすることがある。何も言わずに無言で完食してほしいと願う。何の話だ?
とにかく友だちも私もいい本が買えて良かった。

二人なら普段は気後れして入れないお店に入れるからありがたい。この間雰囲気だけっぽいなと思いながら通り過ぎたカフェに入る。コーヒーがめちゃくちゃ美味しく、居心地も良く、外見だけでバカな感想を抱いた過去の自分を殴りたい。スピッツ『インディゴ地平線』のB面、虹を越えて~チェリーまでが延々とかかっていて余計嬉しかった。そのことを帰り際、お店の人に伝えると、レコードは店主の趣味だと言う。一人でカウンターに立ち、コーヒーを淹れてくれ、豆を選ぶときには詳しく違いを説明してくれたお兄さんは店主ではなくアルバイトだという。びびってお店を出る。自分を指す人称が「お兄さん」だと嬉しくなる。

スピッツの『とげまる』は最高の名盤だと思う!!!!!!

AppleMusicの作品紹介に「タイアップが多いが、シングルコレクションのような印象を感じさせないのはベテランのバランス感というべきか」とあり、深く納得する。バランス感!!聴かずに飛ばす曲が無くてすごい。アルバムってどうしてもシングル詰め合わせになりがちだし、それを期待してしまいがちけど、このアルバム(スピッツのは全部そうだけど)はシングル曲が突出することなく気持ちよく聴ける。グラフにしたら綺麗な波になるような。
『とげまる』は、わがままも許してしまうくらいかわいい、大きくてふわふわした犬みたいなアルバムだ。理由は分からない。スピッツのアルバムはどれも動物が思い浮かぶ。ビギナーの優しく包み込んでくれるギター、新月の切ないピアノ、TRABANTの力強いドラム、そして底抜けに暖かい君は太陽。最高だ。ずっと聞いてられる。
でも、あしたは『フェイクファー』が一番だっていってるかもしれないし、あさっては『8823』ばっかり聴いているかもしれない。
ああ、スピッツ、大好きです、、、


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