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ライトワーカーのひとり言(忘れられない記憶・・)


おはようございます。
今日は記憶にまつわる
お話しをさせて頂きたいと思います。
少しの時間お付き合い頂けると
とても嬉しいです。


私は一年半ほど前に、癌の手術を受け
その後は定期検診に都内の
がん研有明病院に通院しています。

入院中はオリンピックの真っ只中で
その賑わいは手術前の検査や準備の
憂鬱など吹き飛ばしてくれる様な
たくさんのオリンピック2020の
ポスターがあったのを覚えています。


がん研有明病院は国内では有名な
癌専門の病院です。
全国から患者さんが来ているの
ですが、
そこにいる人達は若い人もお年寄りも
全てが癌患者とその家族です。
お陰で通院中も自分が癌であることに
深刻にならず不思議と不安や
緊張などはあまり感じずに過ごす事が
出来ました。

それでも、さすがに手術の当日の
緊張は私の人生の中でも忘れられない一日となりました。


がん研有明病院の手術室は周りが
ステンレスと医療器材に囲まれていて
まるで何かの工場のような雰囲気がありました。
更に先に進むと幾つもの手術室に
別れていて、其々の部屋の前には
患者と担当の医療関係者の集りが
あります。

手術前には厳しいコロナ禍であっても家族との限られた面会時間が設けられていて、
私もほぼ一年半ぶりに会う娘と
僅かな時間を惜しんでいました。

すると娘が示す目線の先に
手術着の高校生くらいの女の子の
明るく一見はしゃいでいるような
様子が目に入りました。

それはおそらく不安を吹っ切る
笑顔であったかもしれませんが、
付き添うお母さんも又、それに応える
様に明るく接しておられました。


私はその時の事を思い出すと
今でも涙がでるほど胸が詰まって
しまいます。

その光景が私にはまるで戦いに行く
人と見送る家族の様に感じられ、
たとえ死と隣り合わせであっても
希望を忘れずに笑顔で向き合う
人間の強さも感じました。

そして私はステンレスの扉の奥に
吸い込まれてから、およそ11時間後に
目覚めました。
その後の一週間は痛みとの戦いで
つらい毎日であったと記憶して
います。

それから、術後の一週間が過ぎると
体力回復のための歩行が日課になり
ました。


談話室では子供の夏休みの宿題を
見ているお母さんのLINE通話の様子・・

窓から見える有明の近代的な風景は
そこが、病棟である事を忘れて
しまいそうになる程でした。


しかしそれらは、私にとって
何処かで視たことのある光景だった
のです。

今から20年程前に透視で視えた
未来の自分の姿である事を思い出し
ました。
病院の窓に映る私とその窓から見える外の景色・・・

「そうか~私は20年前に癌で入院した
自分を見ていたんだ・・」
それは確か、自分の寿命を確認する
ために視ていた未来の透視の中での
事でした。

これらの出来事は、今迄以上に命には限られた時間があるという事を
実感する事となりました。


そして、一日一日を大切に・・・
自分に優しく無駄に悩んで
後悔する事のない様に生きたいと
強く思う様になりました。

朝から少々重い話しになりましたが
最後に私にはもう一つ疑問があります。

11時間もの長い手術の間、
ドクターとオペ看の皆さんは
トイレや食事はいったいどうされて
いたのでしょう~


この様な過酷な仕事をされて
おられる医療関係の皆さんには
本当に心から感謝しております。


そして、皆さん今日も大切な一日
お元気でお過ごし下さいね~







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