大好きな母の話から
初めまして。
普段わたしは、今一緒にいる犬のことをインスタに投稿しています。とても楽しいのだけれど、その子のこと以外にも話したい!と思うことが多くあって。
モヤモヤしている時に妹から『note』を教えてもらいました。
使い方もよくわからないままに今、書いています(笑)
その記念すべき初投稿は、私というものをこの世に生み出してくれた母の事を書きたいと思います。
私の母は、4年前に亡くなりました。
昭和3年に東京で生まれ、10人兄妹の真ん中、女の子は母一人という環境。
私の祖父である父に溺愛され、なんの苦労もなく育ったお嬢さまでした。
戦争という体験以外は・・・
戦争で兄たちを亡くし、母自身も被害をたくさん受けながら、なんとか生き延び・・・
復興した東京で、デパートに就職。それからは初恋をしたりと楽しくすごしていたそうです。
ただ、その当時は親の決めた相手と結婚するのが当たり前の時代。
母も親にすすめられ、好きでもない相手と最初の結婚をしました。
その最初の相手は、とても細かい性格をしていたそうで…
きっとお嬢様育ちだった母のいろんなことが気に入らなかったのでしょうね。何かにつけ文句を言われていたそうです。
そんな生活に耐えられず、離婚を考えだしていたころ、相手が入院。
付き添うために居た病院で父と出会い・・・
二人は駆け落ちしました。
みかん箱一つで始まったその日暮らしの生活。
お金はいつもなかったけど、子供には恵まれ、私は7人兄妹の6番目(笑)
そんな家族の話はまた今度じっくり…
母は、最初にも書いたけどお嬢様育ち。
お金をやりくりして貯金をしたり、慎ましく暮らすということが本当に出来ない性格で。
兄や姉たちは苦労をさせられてました。
自分の嬉しかったことや嫌だったことも、裏表なく表す人だったので周りの人たちとトラブルをおこすこともありました。
だけど、とても明るく気前がいいので、私たち兄妹は友達をいつも家に呼び、母もそれを喜んでくれて。
なので友達もうちに来たがるんですよね。
居心地がいいと。
お金もないのに「○○ちゃん、ご飯食べてきなよ」と惜しみなく料理を振る舞う。
だから私が育った家は、いつも人がいました(笑)
子供のためなら恥も感じず、突っ走る。
綺麗好きで、部屋をいつも掃除していたし、料理も上手な母でした。
それに、私と妹は母が40歳を過ぎてからの子供。
周りのお母さんより年上で。
授業参観の時に「おばあちゃん?」と言われることもよくありました。
だけど私は、そんな母が大好きでした。
友達のお母さんは、若くてきれいで、エプロンをしてグラタンなんかを出してくれる。
でも母は、割烹着をきて煮物をつくる。
スープではなくお味噌汁をつくる。
落ち着くんですよね。
安心できる。
母がいれば、守ってくれる。味方でいてくれる。
いつも子供のことを考えてくれてるのが分かるから、私も美味しいものを食べれば母に食べさせてあげたい。きれいな景色を見れば、母にも見せてあげたい。そんなことを自然と考えるようになりました。
だからですかね。私は母がいなくなることが、この世で一番こわいことでした。
無理なのはわかってたけど、ずっと一緒に居たかった。
今でも母が生きてた頃に戻りたいと思ってしまう。
いつになれば、きちんと母の死を受け入れられるのかな。