大切な存在を亡くした後に経験した不思議なこと その① *母の時*
私は今までの人生で、愛しい存在を亡くした後に不思議な経験をしたことが何回もあります。
今日は、母を亡くした後に経験したことを書きます。
母は、ずっと実家で介護サービスを受けながら父と兄と暮らしていました。
最期まで自宅で過ごさせてあげたい!
ずっとその思いで、私も兄と介護をしてきました。
だけど・・・
もともと足の悪かった母が、急に歩けなくなってしまって・・・
実家は狭い県営団地。車イス生活は無理で・・・
それまで通っていたデイケア施設で、リハビリのために入所しました。
リハビリして、また足が善くなれば戻ってこれる。
そう信じていたんだけど・・・
善くなるどころか悪くなる一方で・・・
兄やケアマネさんと何回も話しをし、リハビリ施設をでて普通の入所施設へ入所をしました。
私は母が入所してからもずっと悩んでいました。
本当にこれでいいのかな・・・と。
在宅で最期まで。ずっとそう思ってきたのに。
母を見捨ててしまった。
そんな悲しい思いをずっと抱えたまま、母はますます体調が悪くなっていきました。
ここまで体調が悪くなるまでには、いろんなことがあったのですが・・・
長くなるので、そのお話はまた別でお話ししたいと思います。
そんな中、入所施設から母が入院をしたと連絡がありました。
慌てていくと、酸素チューブをつけて苦しそうな母がいて。
原因がわからないが、血液検査で強い炎症反応がでていると。
それを調べたいのでこのまま入院を。おそらくすぐに善くなるだろうと。
それを信じて、母に「善くなるから、がんばってね」と声をかけそのまま帰りました。
あの時、別の先生に診てもらっていればきっと母はもっと生きていられたんじゃないか・・・
そう思うのは、先生の話からたった三日後に危篤だと連絡があったからです。
その原因は、施設が母の既往歴を話さなかったのか、病院が確認しなかったのか。既往歴を無視したあり得ない治療だったからです。
私は、苦しい思いをしている母を一人でいさせたくなくて、それまで在宅でお世話になっていた先生と看護士さんに連絡をし、無理やり退院をさせました。
自宅に戻ってから、少し元気にはなったものの、三日後、家族が駆け付けたのを見届け、眠るように心臓が止まりました。
母が死んだのは、私が施設に入れてしまったからだ。なんで最期まで在宅で出来なかったんだろう。絶対に在宅でも過ごせる方法はあったはずだ。
母は私を恨んでる。
もうそんな事ばかり考えてしまって、自分で自分を壊してしまいたかった。
自分で自分が許せなくて、苦しくてたまらなかったんです。
泣きながら、母の写真に「お母さん、つらいよ。苦しいよ。お母さんは私を恨んでるよね。もし恨んでないなら、夢でもいいから会いに来てよ。」と言ってしまってました。
その日の夜です。
もう寝ようとベットに入り、ウトウトし始めたとき、寝室のドアをコンコンとたたく音がしました。
「ん?」と思った少し後「○○ちゃん、来たよ!」とハッキリと母の声がしたんです。そして、目をつぶっていたにも関わらず、そこに母がいる温もりも。
この話を家族にしたら、それは絶対にお母さんが会いに来たんだよ。と。
会いに来てくれたってことは、お母さんは私を恨んでないって思っていいんだよね?
このことがあってから、だいぶ私の心は楽になりました。
だいぶ、です。完全にはやっぱり楽にはなれません。
どうしても自分を許せない気持ちが消せないのです。
でも、こうやって書くことで気持ちが発散できる。
noteはありがたい場所です。
これからもいろいろ書いていけたらいいな。そう思います。
前回の投稿を読んでくれた方、スキをくれた方、本当にありがとうございます。