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移住記念日

11月14日は移住記念日だ。東日本大震災が起こった年に、いま住んでいる家を建てて、いま住んでいる町に移り住んだ。
震災による影響で、トイレの在庫がないとか薪ストーブの工場が流されたとか、引っ越し準備が終わらなくて夜中にめそめそないたりだとか(これは震災とは関係ない・・・)いろいろ滞りがあったものの、無事に引っ越すことができた。引っ越し業者が「荷物多いですよね」とぼやくほどモノが多かった我が家。人間、やればなんでもできるんだなあと思った日々を思い出す。

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移住のきっかけは、「山が見える田舎で、仕事をしながら畑作業をして、半分自給自足的生活がしたい」という同居人の願いからだ。
関東地方の人々に移住先として人気が高い甲信地方を探していたが、現金収入のある仕事に就ける見通しが立たず、都内への通勤も可能な田舎、しかも農業が盛んな埼玉西部の地にターゲットをしぼった。
いまの土地に落ち着いたのは、概ね理想に近かったから。ただそれだけ。
冷静に考えると、親戚や知り合いがいるわけでもなく、どんな文化がありどんな人が住んでいるのかよく分からないのに、ぽん、と移り住んでしまったのは無謀としかいいようがないと思う。
事前リサーチはしましたよ。いいお店があるなあとか、いい人多いなあとか、農業っていっても有機農法なんだいいね、とか。
でもそれは、本当に表面的なもの。観光で訪れるのと実際に住むのとでは、その土地が見せる表情はがらりと変わる。
本当によく決心したよなあ、としみじみ思うのだが、多分、単になーんにも深く考えていなかっただけだ。
けれど、熟考したからといってよい結果につながるとは限らない。最後は直感にたよる。その点、同居人の勘はここぞというとき、変に良い。その同居人が執着する場所なんだから、ま、何とかなるだろう。私はそう思っていた。
そして、今回もそれが功を奏した。

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移住して数か月でどんどん知り合いが増え、さまざまな活動団体に顔を出すようになった。
よく行くお店ではオーナーの方と知り合いとなり、ほかの常連客とも顔見知りとなって店の外で会ったときにも話し込んだりするようになった。常連でないお客さんにも話しかけたり、町の良いところを紹介したりするようになった。

私は人見知りだったのに。

実は、私のことをいち番心配していたのは、同居人なのだ。
未知の土地、知り合いは1人も居ない土地。それまでフルタイムで働いていた仕事は、通勤時間が大幅に増えたためにパートタイムとなり、「未知の土地」にいる時間が圧倒的に多くなる。
「人見知り」で「甘えん坊」の私がそこでやっていけるんだろうか、と。
移住先として見つけてきておいて今さら何を、という感じだが、我ながら驚くほどに私は(というか、私たち家族は)この地になじんだ。
いまでは、それまで10年間住んだ小さなアパートでの暮らしが夢の中のように思える。生まれ育った故郷のように愛おしく、都内から帰ってきて駅前の広い空を見上げるとホッとする。
私たちのあとから移り住んできた人々も増え、どちらかというと「たまたま」この地に移住した感が強い私たちより明確な意志でもってこの町にやって来た彼らを、ちょっと不思議にすら思ったりもする。
何が、彼らをこの町に引き寄せたのだろうか、と。
私が会う移住者たちは、チューニングが合わずに雑音ばかり聞こえてきたラジオの音がほんのちょっとした加減で突然驚くほど明瞭に聞こえることがあるように、移住する前はどこか輪郭がぼやけて不安げな雰囲気をはなっていたのが一転し、まぶしいほどの存在感をもってこの町で翼を大きく拡げ始めるのだ。
人が、それまでかぶっていた殻を破り、光輝いていくその課程に立ち会えるのは感動的である。
「嫉妬」という感情がわいてこないわけではないが、なんというか、その人ならではの輝き方なので、自分のそのちっちゃな感情に対して苦笑しつつ、やはり向けるべきは賞賛の拍手だ。風が火をうらやんだり、大地が風をねたんだりするのはナンセンスだろう。
いっとき、私はそういう素晴らしい人々をサポートするためにこの地に来たのだと思っていた。
私はあくまでも黒子。彼らがもっと輝けるために働いていこうと。
けれど、最近になって氣付いた。きちんと波に乗っている彼らに、私ごときのサポートはいらないのだと。
「私ごとき」なんて、すねているわけではない。私よりもっと適切なサポーターを得ているのだ。

つまり「宇宙そのもの」からのサポートだ。

なぜなら、そうとしか思えないほど絶妙のタイミングで、彼らにはコトがやってくる。
そうとしか思えないほどの絶妙な巡り合わせで、コトが進んでゆく。

私というサポートが必要だと思っていたのは、単に私の怠惰だ。
私が彼らの夢に便乗しようとしてただけだ。

そう氣付いたとき、実は自分にもちゃんと翼が生えていることが分かった。
小さいけれど、大切に育てていきたい光の翼。

私が住む町は不思議な町だ。
町のあちこちに小さな神さまがいて精霊がいて、人がすることをにこにこ見てたり手助けしたり、ときにはちょっといたずらしたりしているような、こそばゆい感覚を抱くときがある。
閑散とした寂れた印象の町並みの中に、毅然と立ついにしえの建物。
崩れながらも威厳を放つ古民家。
顧みられずとも自然の営みは悠々と続き、氣付いた者のみに見せる一瞬のアート。
どこにでもある、けれど、ここでいまこの瞬間にしか出会えない風景。

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この町で一生を終えるのかは分からない。
また、別の土地に呼ばれるのかもしれない。
でも、いま私はここにいる。
ここで、精一杯生きている。

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