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『ぴっぴら帳』

《ブックカバーチャレンジ(「読書文化普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する」)という、Facebookで行われているリレー投稿の続き》
【2日目】

子どもの頃から、ずっとセキセイインコを飼っていた。子どもの頃は、不注意やら子どもの無邪気にも残酷な性格ゆえに寿命が短かったが、近所にたくさんのセキセイインコを飼っているお宅があって、そこからすぐにヒナをお迎えすることができたので、比較的途切れることなく飼い続けることが可能だった。
小鳥がいることが当たり前の生活。しかも愛らしく、手に乗ったりさまざまな言葉をしゃべったりして、学校や職場で嫌なことがあっても何となくその子らに癒やされていた。
しかし、結婚して共働き生活になると、自分たちの生活だけで精一杯でペットを飼う余裕はなく、また、集合住宅ゆえに当然ペットは飼えない(と思っていた)。
ストレスがたまった。

鳥に触りたい。
あのもふもふした羽に鼻先をうずめたい。
たどたどしいおしゃべりが聞きたい。

生活環境と同時に職場での環境も変わったことが相まって、心身ともに疲労がピークになっていたのかもしれない。
そんなときこの本に出会い、本気でふたたび鳥を飼うことを考え始めた。
鳥専門のペットショップを探したり、アパートの賃貸契約書をきちんと読み直して、実は小動物なら飼育して良いことを知ったり・・・そして、迎えたのが白ハルクインという種類のセキセイインコだった。
白いので、名前は単純に「チロ」。店で初めて会ったとき、寝ながらご飯を食べるというその大物っぷりが気に入った。
冬は過ぎつつあったがまだ気温が不安定な初春に迎え入れことに不安はあったが、子どもの頃から飼っているので慣れているし、そもそもセキセイインコは丈夫だし。ただただ、私は再び鳥がいる生活に戻れることが嬉しかった。
ところが。
迎えてすぐにチロは鼻をぐずぐずいわせるようになり、ちょっと風邪を引いたかと近所の獣医へ連れて行った。
まあ、環境変わったしね。
そう思い、すぐに治ると思っていた。が、ひと月経っても、チロは鼻水を垂らし続けた。
おかしい。
私たちはネットでいろいろと獣医を調べ、どうやら小鳥の診察には専門的知識が必要だと言うこと、その専門医が比較的近くにあることを知り、その病院に連れて行った。
そして知ったのが、チロは副鼻腔炎にかかっていると言うこと。鳥は呼吸器系が何より重要であると同時に、そこが一番弱いと言うこと。チロは、もしかすると、あまり長くないも知れないと言うこと・・・。
それから、本格的な闘病生活が始まった。

セキセイインコはあまりに小さいために手術で治すことはできないため、投薬が中心となる。
点鼻や投薬を続け、定期的に病院に通い、ときには集中治療のため入院させた。
基本的にチロは元気でやんちゃだったが、体調に波があり、何度も「お別れ」することを覚悟した。
ただただ見守るだけの日々のなか、私は、わらにもすがる思いで時々チロに「気」を流した。もちろん、今までそんな技はしたことがない。祈るように、思いを手のひらに込め、それをチロの鼻に流す真似をしたのだ。
(思えば、それが初めての(そして無意識の)ヒーリングであり、それから数年後に本当にヒーリングの学校に通うことになるとは予想だにしなかった・・・)

そんな生活が1年近く続いたころ、治療の最中に鼻にできたかさぶたがうっとおしかったのか、チロはカゴの網にこすりつけて鼻のろう膜をこそぎ落としてしまう。
本来であれば、セキセイインコの鼻の穴は小さくて爪楊枝の先でつついたようなものなのだが、チロのそれはまるでブタのようにぽっかりと空いてしまったのだ。
だが、むしろそれで鼻の通りが良くなったらしく、チロの病状は次第に快方へと向かっていった。

それから、チロは10年という年月を生き抜いた。
夫はチロのお陰で「鳥好き」に目覚めた。
私たちはチロのためにさまざまなおもちゃを買い、チロのためならあらゆることを厭わなかった。
東日本大震災で帰宅難民となった際には、とにかくチロが心配でたまらなかった。
現在住む家の間取りはチロにとって危険がないよう考え、さらにはチロのための部屋まで準備した。
チロがこの世を去った日、2人とも仕事を休んだ。
そして、ただただ2人で泣いた。

1冊の本が、生活スタイルを、性格を、人生を変える。
そんなことが、日常的にあるのだ。

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