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教会での集い終了とオンラインでの学びの開始

2019年8月。愛猫が虹の橋を渡ったと同じ月に教会での集いが結果的に終わりました。この日、「あなたのためにやっていたようなものだ。」と牧師先生は言いました。
そして、まだ数回の参加者の方に私を指して
「この人はもう抜けてるから。ここにはじめて来た時には真っ暗でどうしようかと思ったよ。」と牧師先生。
それを聞いた私は驚きました。
「え??私ってそんな感じだったの?? 」と。
闇の中にいる人は自分が闇の中にいることに気づけないのだとその時はじめて気づくことができました。
聖書に触れたことのない、神様を全く知らなかった私は、この月に一度の集いの中で神様と出会い、受洗しクリスチャンになりました。
自分でも全く想像していなかった未来でした。
同年11月の集いはお休みしますと係の方から連絡があり、その翌月に牧師先生の奥様が病で倒れ、翌年の20年はコロナ渦に突入。わたしにとっての本当に大切なバイブルサロンでの集いはこのタイミングで幕を閉じることは必然だったのだと今は感じています。

そして、すでに始まっていたオンラインでの聖書の朝の学びに参加するようになったのもこの頃でした。
聖書箇所はヨブ記17章でした。
ヨブ記を読んだことがなかった私はもっと知りたいと牧師先生の録音されているメッセージをヨブ記の1章から聞くようになりました。
そして、ヨブ記に夢中になりました。

教会での集いと16年間わが子のように可愛がってきた愛猫の死が重なり、わたしの中ではひとつの幕が降りたという感覚が強く、物の整理をはじめ気づくと断捨離していました。










8月4日

きのうはサロンでごとうさんとまなびました
あだむの系図のとこではなすことないかんじで12時半におわった
mえちゃくちゃあつい日だった。
先生にあなたのためにやってるようなものだといわれ、
また今度もきてよーといわれ、はいきますといった
この人はもうぬけてるから、
さいしょここにきたときはまっくらでどうなるかと思ったけど・・・っていってた。

そんなこといってたんだーと改めて今おもった。

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