1万と902円

これは、今日の出来事。

午前中、特に何のようがあるわけでもないが
喫茶店でも行こうと外に出て歩いていると、
前に体の上半身を左に傾けながら、今にもよろけて倒れそうなおばあちゃんがいた。

心配して見ていると
おばあちゃんは、そのまま左によろけて電柱に手を付いた。
思わず僕は近寄って
「大丈夫ですか?」と声をかけた。

小柄なおばあちゃんは、か細い声で
「うん。ちょっと階段で転んじゃってね」と言った。
どうやら、足を骨折して上手く歩けないらしい。
僕は助けようか迷ったが、周りに人もいるしここで助けるのも恥ずかしいなとか、まだ何とか歩けているから大丈夫かな…と思い
「あ、そうですか…お気をつけて…」と言って、そのままおばあちゃんの横を通り過ぎてしまった。

そのまま喫茶店まで行こうと思った。
しかし、すぐ足を止めた。
普段人助けもしないし、自分から声を掛ける勇気もない僕だったが、あまりにも辛そうに歩いているあのおばあちゃんが心配だった。

僕は横断歩道手前の個人タクシー駐車場の脇からおばあちゃんが来るのを見守っていた。

あれから10メートルほどしか進んでいないのに
通っていくのは若い男女ばかり。
あのおばあちゃんの姿は中々現れない。

心配になって、戻ろうとするとゆっくり歩いてくるおばあちゃんの姿が。
足を引きずるように歩いている。

さっき声かけた奴がもう1回声を掛けるのが恥ずかしくて、僕はまた駐車場の脇に隠れてしまった。

横断歩道に差し掛かった。
おばあちゃんは今にも倒れそうな体を必死で支えながら横断歩道を渡りだした。

「俺、ここで見過ごしたら絶対後悔するな」

そう思って、僕は急いで横断歩道を渡って
おばあちゃんの元に駆け寄った。

おばあちゃんは知らない民家の壁に体を寄りかけていた。
僕はその日2度目の声掛けをした。

「おばあちゃん大丈夫?どこまで行くの?」
「あぁ、足を骨折しちゃって中々上手く歩けなくて。あなたさっき声掛けてくれた方よね?」
「はい。流石に心配で、すみません」

すみませんは、1度見逃してしまったことに対して言ったつもりだった。

「おばあちゃん、どこまで行く?」
「武蔵小山駅まで」
「あ、じゃあ一緒に行こうか駅まで」

僕はおばあちゃんのバッグやらを持ち、
さっきまで傾いていた左側に立って一緒に駅まで行くことにした。
右腕を差し出すと、おばあちゃんは
「ありがとう、借りるわね」と言って僕の右腕を掴んだ。

10メートル進んだくらいだろうか。
「ちょっと休憩」と言って近くの石垣におばあちゃんと僕は腰を下ろした。

「半年前に階段で転んじゃって…もうそこからリハビリしてるんだけどいうこと聞かなくて…」
「そうなんだ…それはもう歩くの大変ですね…」
こう言う時、おばあちゃんにタメ口で接していいのだろうか。
タメ口の方がおばあちゃん喋りやすいかな?
でも生意気だよな…とか考えながら
タメ口に時折敬語を交えながらおばあちゃんと会話をした。

「予定あったでしょ?ごめんねぇ本当に」
「いや、何もないんで大丈夫ですよ」
「本当親切な方ね」
「いやいや、心配になって声掛けちゃっただけですよ。今日はどこまで行くの??」
「平塚の方に帰るの」
「あ、家こっちじゃないんですね」

タメ口と敬語を交互に織り交ぜながら会話をしていると、
おばあちゃんは自分のバッグをいじって何かを探し出した。
そして、大量の札束が入った封筒の中から1万円を取り出し
「これ貰ってちょうだい」と言った。
いきなりの高収入に「あ、あざーす!」と言いそうになったが、
本当にお金を貰うつもりでやってる訳ではないし、貰ったら何か助けた意味がなくなってしまうような気がして
 「いやいや!そういうつもりでやってる訳じゃないんで…流石に貰えません」と言った。

しかし、おばあちゃんは折れず
「受け取って。そういうつもりじゃないのは分かってるから。お金ならあるから心配しないで」と言った。

「いやいや…」と返答するも聞いてもらえず
泣く泣く1万円を受け取ってしまった。

駅に着いたら返そう…と3つ折りの1万円を握りしめた。

再びおばあちゃんの荷物を持って、
「また腕借りてもいい?」と言うおばあちゃんに
「もちろん」と言い
右腕をレンタルさせ、駅まで向かった。

「平塚に行ったら迎えに来てくれる人はいるの?」
「うん、連絡すれば迎え来てくれる人いるから」
「あ、よかった」
もしかしたら僕を心配させない嘘かもしれないと一瞬思ったが、そうでないことを信じるしかなかった。

その後もう一度休憩を挟んだ。
おばあちゃんはかなり汗をかいていた。
「大丈夫?お水買ってこようか?」
「ううん、大丈夫。自分で買うよ」
「駅に行ったらコンビニあるから、そこで買おうか」
「うん、ありがとう」

再び駅に向かって歩き出す。

「おばあちゃん、もうすぐ駅着くよ」
「あ、ほんと。よかった〜」

最初は上半身が左に傾きながら歩いていたおばあちゃんだったが、少し真っ直ぐ歩けるようになっていた。

そんなおばあちゃんが、駅に着く直前僕に言った。
「今日という日は私本当に忘れない。もう先長くない人生だけど、今日だけは忘れない」
何て返せばいいか分からず
「ありがとう〜」と言った。

駅に着き、おばあちゃんから預かった1000円で98円の水を買った。

ホームで切符を買い、改札の手前で
「これ本当に大丈夫ですから…あと、さっきのお釣りも」
と10000円と先ほどのお釣り902円を差し出すと
「いや、本当に受け取って、大丈夫ですから」
「いや、でも…そういうつもりじゃないんで」
「もうそれは分かってますから。本当にありがとう」
「……いいんですか?」

結局1万と902円受け取ってしまった。

「横浜方面は改札通って右です」
と教えたが、
おばあちゃんは改札を通ると、どっちに行けばいいか分からず駅員に横浜方面の電車を訪ねていた。

横浜方面の電車に向かうおばあちゃんは
また体が左に傾いてきてしまっていた。

僕はおばあちゃんの背中が見えなくなるまで、ホームで見送りながら、おばあちゃんに言われたあの言葉を思い返した。

「今日という日は私本当に忘れない。もう先長くない人生だけど、今日だけは忘れない」

おばあちゃんの背中を見ながらこの言葉を思い返すと、少し泣きそうになった。

名前も知らないけど、
おばあちゃんちゃんと無事に平塚行けたかな。
駅まで迎えに来てくれる人はいたのかな。
どうだった、おばあちゃん。
この1万902円、どうすればいいかな。

#創作大賞2023
#エッセイ部門
#今日の思い出













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