波乗り狂想曲(小説) 1
AM4時50分
スマホのアラームが鳴り、その土曜が始まった。
いつものようにヤブさんに電話をかける。
「ヤブさん、今日も行ってますか?」
ヤブさんは大学の先輩で、ほとんどの週末を高知県の西部にある大方町で過ごしている役場に務める公務員だ。
「おはよう」
「今、窪川のインターを下りたとこや」
「今日はどうやろねー、コーさん達(らー)が先に行ってるみたいやけど、潮が混みすぎててあんまり割れてないらしいで」
「もう少し時間が経って、潮が引いた方が良いと思うで」
定型文を読むような、いつもの話から電話はスタートする。
隣で寝ている彼女は、「またいつもの電話だ」と、あきれ顔。もうそろそろ関係も終わる雰囲気をかもし出している。
「また、今日も行くの?」
「いつ帰ってくる?」
こちらもいつもの定型分を読むかの言葉で、今日の締切を求める呪文のような言葉だ。
これを言われると自由が奪われた感情が沸き、もう終わっても仕方がないなと自分を納得させることとなる。
「自由」という曖昧なものは、彼女には分からないことで、無意識にこれを奪っていることなどつゆ知らずなのかもしれない。
終焉を迎えそうな、そんな雰囲気であることも分かっていながら、今日も海に向かう。
末期のサーファーのルーティーンとはそうゆうものであって、一部の者以外は全く理解されない、「健康的病人」なのである。
「ヤブさん、これから向かいます」
彼女が隣で寝ている布団から抜け出し、サーフボード やウェットスーツや水を車にそそくさと詰め込み、エンジンのボタンを押し、いつものラジオにチューニングを合わせ、海へと出発するのである。
つづく