『何かが変わりそう』-汽笛の音が聞こえるか?-[CatherInTheRelay/感想/レビュー/考察]
私の感想を書くにあたっての"姿勢"については、こちらの記事を御覧ください『音楽の感想文を書くという変な趣味について』
今回はナツさん主催の企画『Cather In The Relay』の記事になります。多くのもの好きが集まって行うユニゾン文章企画ですので、ぜひ他の方の記事も御覧ください!(推理編トレーラー・解決編トレーラー・企画まとめ記事)
今回も自分の意見100%でお送りします!
物語に事件はつきもので、
そのどれもが”誰かを救いたい 笑顔にしたい”と思うが故に
事件のちいさな証拠の一つ一つが
推理となって結末に向かう
『何かが変わりそう』-解決編-
作品から受けた影響
Cather In The Spyが発売された、2014年頃やその前年2013年頃はラジオなどでも語られているが、田淵にとってインプットが多かった時期であったと思われます。
特に、表立って見える部分ではラジオにて「映画100本見る」という企画が始動するくらいにはインプットの機会を作っているということでしょうか。そんな大量のインプットから得られたインスピレーションは、今回のアルバムにも多大な影響を与えていると感じます。
アルバム名『Cather In The Spy』は、「Catcher in the Rye(訳:ライ麦畑で捕まえて)」から取られていると噂されており、今作のリード曲『天国と地獄』は、日本映画の巨匠 黒澤明の映画「天国と地獄」からつけられていることが明言されています。加えて、当楽曲のMVは映画「天国と地獄」を撮ったスタジオで撮られたとも語られており、田淵自身がモノクロ映画の中で最もよかった作品として名前をあげています。
そんな、本アルバムに収録されている楽曲『何かが変わりそう』も、明らかにモチーフになっているであろう作品があります
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
歌詞の中でも耳に残る「銀河を走る鉄道」が指すものは間違いなくこの文学作品のことでしょう。
今回は、この文学作品にフォーカスを当てつつ、楽曲『何かが変わりそう』について書いていこうと思います。
『銀河鉄道の夜』とは
銀河鉄道の夜とは言わずと知れた名著であり、宮沢賢治の代表作である。
物語は主人公のジョバンニと友人のカムパネルラが、銀河を走る列車「銀河鉄道」に乗って不思議な世界を冒険するサイエンスフィクション的な作品になります。
楽曲を深掘るにあたって、『銀河鉄道の夜』の内容を理解いただいた上でご覧いただきたいので、お時間があればぜひ、宮沢賢治が書いた文章でお読みいただきたいのですが、今回私の方で可能な限り要約したものを別の記事にしました。
が、3000文字もあるので、
さらに本記事では、楽曲『何かが変わりそう』に関連がある部分を中心に再要約したものを掲載いたします。
要約するにあたって、元の作品描写を歌詞に合わせて改変することはしていませんが、一部解釈が分かれるような文章については、歌詞に寄せて要約している部分がございますので、ご了承ください。
※要約スキップはオススメいたしませんので、必ず物語を把握されたうえでこの後の考察パートを御覧ください🙇♀
銀河鉄道の夜-要約-(『何かが変わりそう』)
物語はケンタウル祭という、「銀河のお祭り」が行われる日
主人公のジョバンニが一人さびしく街を歩いていると、同級生のいじめっ子達と友人のカムパネルラが一緒にお祭りに行く姿が見えました。いつもだったら出会わないように避けて歩きますが、「今夜だけは彼らとすら話がしたい」と思い、近づき話しかけようとしました。しかし、いじめっ子達はいつも通りジョバンニをからかいのけ者にするのでした。
ジョバンニは一人街が見渡せる丘まで走り、そこで体を倒しました。街全体を見渡すと、今夜の祭りに人々が浮かれる様子が見えました。さらに、街の外れから"汽車の音"が聞こえ、その列車の中でも人々が今夜のお祭りを楽しく過ごす姿が想像出来てしまう有り様です。
ジョバンニはなんとも言えない孤独から、空に眼をやり、夜空の星々に思いを馳せるのでした。
そして、場面は銀河を走る列車の中へと移ります。
ジョバンニは気がつくと列車に乗っており、窓から光輝く銀河を見ていました。ふと窓ガラスに映る車内を見ると、そこには見覚えのある少年の姿が目に入ります。
ここから、ジョバンニとカムパネルラの銀河を巡る旅が始まります。
「鷲の停車場」なる場所に着くと、20歳弱の青年とジョバンニ達と同い年くらいの少女とその弟の三人が乗ってきます。
青年の話を聞くと彼らは船に乗っていたところ、氷山にぶつかり船が沈み気づくとここに来ていたと話しました。
青年はなぜその船に乗ったのかや、氷山に当たってから船内で起きた狂騒、他人を押し除けて連れの姉弟を助けることが必ずしも彼女らの”幸せ”ではないこと、そして沈みゆく船の中で神に祈りを捧げる讃美歌が歌われたことなど当時の様子や心境を話してくれました。
その話を聞いた際に、ジョバンニはいたたまれなくなり、その青年達の”幸せ”のためにどの様なことをしたらいいのだろうと考え出します。
青年と一緒に乗ってきた少女は同年代であるジョバンニやカムパネルラに話しかけます。ジョバンニはいつもの具合でなかなか話に参加することが出来ず、カムパネルラと少女が楽しそうに会話しているのを隣で聞くことしか出来ませんでした。故に、「あ〜僕は、どうしてこんなにも孤独で寂しいんだろう」と現実世界でも銀河鉄道でも何も変わらない自分を憂いていました。
その後、着いた違う停車場で青年たちと別れ、ジョバンニとカムパネルラはまた二人きりになりました。青年達との旅はジョバンニの人間関係の下手さを痛感する一方で、幸福とは何かや一緒に何かを分かちあう楽しさを実感できる旅でもありました。故に、ジョバンニは「どこまでも一緒に行こう。”みんなの幸いのために”できることなら何でもしよう」とカムパネルラと話します。
2人で天の川を見ていると突如黒い雲が眼の前に現れます。いつものジョバンニであれば得たいの知れないそれを恐れますが、カムパネルラに対して「君といれば怖くない。ずっと一緒に旅して、人々の幸せのためにできることをしよう。」と問いかけますが、カムパネルラは「あそこの野原はすごくきれいだね。まるで天上のようだ。僕のお母さんもあそこにいる。」と語り出します。
カムパネルラが指す”その野原”をジョバンニは見ることが出来ず、なんとも言えない寂しさがこみ上げてきますが、また「ずっと一緒にいよう」とカムパネルラに問いかけると、そこにカムパネルラの姿はもうないのでした。その瞬間、ジョバンニは列車の窓から体を出して、力いっぱい叫び、泣きました。
ジョバンニが眼を開くと、そこは街が見下ろせる丘の上で、疲れて眠っていたようでした。目からは”何故か”涙が流れており、胸の奥は”不思議と”熱くなっていました。
街はすっかり沢山の灯りで溢れて、熟したように街を包んでいました。
家で待つ母のことが気になり、急いで街の方歩いて行くと何やら川の近くが騒がしいことに気が付きます。嫌な予感がして、ジョバンニが近くの人に話かけると「子供が川に落ちた」とのことでした。
さらに広い川の方へ行くと同級生が居り話を聞くと「カムパネルラが川に落ちた同級生を助けに川に入り、彼を助けた後にカムパネルラ自身が川に飲まれたんだ。」と話しました。
多くの人がカムパネルラを探し、彼のお父さんも探しに来ていましたが、いよいよ見つけることが出来ませんでした。
ジョバンニは、ふと川の水面に映る銀河を見て
「カムパネルラはもうこの銀河のどこかに旅立ってしまった」
と人知れず思うのでした。
『何かが変わりそう』との共通点
さて、本題であるユニゾンスクエアガーデンの楽曲『何かが変わりそう』と『銀河鉄道の夜』の共通点について書いていこうと思います。
ユニゾンの楽曲記事を読みに来たのに、文学作品の要約を読まされた皆様、本当におまたせしました。と同時に、ここから先は”100%私の意見”になりますので何卒!
「一人は好きだけど 孤独が寂しくなっちゃって」
ジョバンニという少年は基本的に一人でいることが多い人物であることが、現実世界の描写では描かれています。ところが、"一人が辛い"といった心境を吐露する場面は描かれておらず、むしろその辛抱強さがジョバンニの強みであるように書かれています。
しかし、銀河鉄道に乗り旅をしていく中で、途中で現れた同い年の少女がカムパネルラと楽しそう話している際には、少女に嫉妬して、「どうしてこんなに一人寂しいのだろう」といった心情が要所要所に書かれています。
ジョバンニは現実世界で”一人”でいることは、決して辛くなかったけれど、友と一緒にいるはずの銀河鉄道の中でうまく輪に入れない状況を”孤独”と捉えていることからも、こういったジョバンニの心理状況を歌詞にした場合、このような一節になったのだと思われます。
「銀河を走っていく鉄道 今 その窓に君が映った」
ここは、銀河鉄道に乗った際に目にした、窓に反射した列車内にカムパネルラが居たことを指す一節だと思われます。
「ジョバンニが外側から銀河鉄道を見ていた時にその窓にカムパネルラが見えた」という解釈も出来なくはないのですが、原文ではジョバンニ自身も気がつくと列車に乗り合わせており、その後に銀河鉄道とカムパネルラを認識する順であることを考慮すると、この解釈は少し難しいかも知れません。
また、この一節があるからこそ、本楽曲が文学作品からインスピレーションを受けていることを感じ取れるため重要な歌詞であるように感じます。
「涙がこぼれそうな夜だ」
作中ジョバンニは「涙でいっぱいになりました」や「悲しい気持ちになりました」などの描写が多々されています。実際に「涙がこぼれました」や「泣きだしました」といった記載は、カムパネルラとの別れの時にしか書かれていません。
こういった背景から、「涙がこぼれそうになる夜」という表現は本作を表すのにおいて、的を射ている表現に感じます。
「その一瞬を奏でるのに どれだけの犠牲がいるんだ」
銀河鉄道の夜然り、何かが変わりそう然り、この一節が出てくるようなネガティブな物語や文脈は一見見当たりません。が、要約でも記載した悲惨な事故の一幕を謳っているのであれば少し辻褄が合います。
それが「タイタニック沈没船事故」の一幕です。
史実として本当だったかは明らかになっていませんが、タイタニック事故の1つの根強い伝説として、沈みゆく船の中で音楽隊が「主よ御許に近づかん」といった名の「賛美歌320番」を歌ったというものがあります。
途中で乗車してきた青年たちは、まさにタイタニックでの事故にあった方をモデルにしていることは間違いありませんし、実際に作品中でも本事故のことと讃美歌のことは記載されています。
よって、もし、当該箇所を謳った歌詞なのであれば、この一節が持つ意味は「沈みゆく船の刹那の時間において、神への祈り/賛美歌を奏でるのに、どれだけの人が犠牲になったのだろう」という問いかけのように考えることも出来るかもしれません。
「柄にない仕草の〜柄にない夜には〜柄になく当てはまっていくんだ」
こちらはいわゆる「ケンタウル祭」が行われる特別な夜。”柄にない夜”は、このことを指しているのではないかと考えられます。この時に、ジョバンニが取った「いじめっ子達ともこの夜は話がしたい」という柄にない行動。これも"柄にない"という文脈では関連性がありそうですが、"仕草"でも"リアクション"でもないことを考えると歌詞との繋がりは薄い気がします。
ただ、次節「しまい込んでた憧れが ふわり舞っちゃって」は、「いつも対等に喋りたいという思いが柄にない夜に溢れた」という解釈の仕方は、間違いではないかもしれません。
「優雅に走っていく鉄道 今 この世界に何を思った?」
1番の歌詞「銀河を走っていく鉄道」とは違うニュアンスでの"鉄道"の使い方。これは要約でも記載した、ジョバンニがいじめっ子達にからかわれた後に駆け上った丘の上から見た"現実世界での鉄道"のことを指す一節と思われます。その後に書かれている「この世界に何を思った?」は「ジョバンニが丘の上で何を思ったのか?」という問いかけになるでしょうか。
色々な悩みを抱えて登った丘の上で、ジョバンニはこの世界に思いをはせるのではなく、星々に思いを馳せています。ことを考えると、この世界に希望を持っていない状態であるように感じられます。
作中では、ジョバンニが現実世界に対して辛い気持ちを吐露する文章は存在しません。田淵としては、この時のジョバンニの気持ちが気になったために、書かれた一節なのかもしれません。
「忘れていく 忘れていくよ 幻と出会ったように」
これはまさに「銀河鉄道での出来事」を指している歌詞になります。作中、ジョバンニがカムパネルラを失って、丘の上で目を覚ました時の描写は「胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。」と書かれています。注目すべきは「胸は何だかおかしく」と「涙がながれていました」いう記述。
銀河鉄道での出来事を覚えているのであれば、なぜこういった気持ちになって涙が流れているのかは明確なはずです。
さらに、記憶が曖昧であることを示す記述として、ジョバンニが次の瞬間に思い、心配する人物は「家で帰りを待っている病弱な母」のことです。もしも、銀河鉄道での出来事を覚えているのであれば、カムパネルラのことを一番に思うはずですが、母を思い丘を後にする描写がまさに銀河鉄道での出来事を忘れている様を書いているものと思われます。
以上が、私が読み取り感じた『何かが変わりそう』と『銀河鉄道の夜』の共通点でした。
本楽曲において重要そうな「落としたパズルは闇の中へ」や「流れる星にそっとつぶやいた」などは、私の方では作中描写が見つけられなかったので、本記事では取り上げませんでした。
(ぜひ、探してみたり、考察してみたりしてください)
まとめると、『何かが変わりそう』で謳われている内容は「文学作品『銀河鉄道の夜』で書かれているジョバンニの視点から見た、一夜の心情」を謳った曲であるように感じられます。
さて、
ここまで読んでいただいたらわかる通り、本楽曲とこの物語には少ない共通点ながらも、強い関係性があるということは感じとっていただけたと思う。
一方で、物語を知ったことで改めて感じる
「楽曲と物語の"関係性"は感じ取れても、楽曲から物語の"本質"が感じ取れない」
という違和感。
このまま物語の本質や結末に触れず、楽曲は終わってしまうのか。
いや、まだ先がある。
ここはあくまで、転換点
"夕暮れから日が沈むことで夜に変わり、夜はさらに深まることで星が瞬く"
それらどれにも、変化が訪れる瞬間とその予兆がある。
では、この物語の本質はどこに書かれているのか。
物語の本質は?
harmonized finale
「I miss you(あなたを失って)を通過して」から始まり、「be with you(あなたと居ること)を懇願して」で締めくくられる当楽曲
『銀河鉄道の夜』もジョバンニがカムパネルラを失い、カムパネルラとずっと一緒にいることを懇願した物語
その物語が掲げる主題は、諸説あるが「本当の"幸せ"とは何なのか?」である
もしも、『harmonized finale』こそが『銀河鉄道の夜』をオマージュした作品なのだとしたら?
本楽曲『何かが変わりそう』はあくまでも、"何かが変わる夜を予感した歌"であり、
物語の根幹"何かが変わった後"を謳った解釈が"次曲"に書かれているのだとしたら?
『harmonized finale』
-何かが変わりそうな夜を経て-
そんなことを思いながら、改めて『何かが変わりそう』を聴いた時に、
イントロのドラムとギターのメロディーが
”汽車の走る音”と”その汽笛”の様に聞こえた気がした
では、次回「陰謀論編」で、
おまけ!
ここまでお読みいただきありがとうございました!(毎回文章が無駄に長くて申し訳ない)
以下は、考察の過程で生まれた適当に書いたおまけ文です!
銀河鉄道の夜を読んで、実は「何かが変わりそう」の前曲『メカトル時空探検隊』と『流星を撃ち落せ』についても「銀河鉄道の夜からインスピレーション受けてるんじゃね?」という激ヤバ妄想を考えたのですが、要素があまりにも、うっっっっっすいので、こちらで成仏させてください。
銀河鉄道の夜において、今回の要約からは外したのですが、2つのお話があります。
1つ目が「ジョバンニとカムパネルラが訪れた白鳥の停車場、そこは百万年前の生物の化石を掘り出している採掘場で、その周辺には当時の植物(作中ではくるみ)が落ちている不思議な場所でした。」といったお話です。
すごーーーーーく曲解して考えると「時空を探検みたい」なお話だな〜と思ったりした次第でしたが、「メカトル時空探検隊」との繋がりはそれ以上、深掘る要素がなかったのでここで成仏。
もう一つが鳥を捕る人の話。
話としては、「鳥が雪のように降る場所で鳥を捕る人(作中では「鳥捕り」)が鳥を捕って、押し葉にして鳥をお菓子にする」といったお話。
意味わかります?マジで、こんな感じのお話なんです。自分の想像力がないからかもしれないが、全然意味がわからなかった。ぜひ、読んで欲しいきっと同じような感想になると思いますw
ちょっと話がそれましたが、上記の「降ってくる鳥を捕る」という行為を「鳥を星」に変えて考えると「降ってくる星を捕る」→「流れ星を捕る」→「流れ星を撃ち落とす」かな〜とか考えたけど、作中からの関連要素はゼロだと思ったのでこちらで成仏。
加えて、その鳥を押し葉にして作ったお菓子はチョコレートのような味がしたと主人公が言っていることから「全人類に愛とチョコレートか?」と思ったりしたが、「ま、違うか」となりました。
あと、作中で「ツインクル・ツインクル・リトル・スター」という言葉が出てきます。英語にすると「twinkle twinkle little star」で和訳すると「キラキラ星」のことだそうです。「shouting shouting star?」とかいう激やば曲解から、「へ〜ユニゾン流キラキラ星は流れ星を撃ち落せなんだ〜」とか言ってやろうかと思ったけど、ね、違うね。
といった具合でした。
もしも、「銀河鉄道の夜」をお読みになった際には、これらの要素の繋がりも深堀ってみてください!また、マンガ版の『銀河鉄道の夜』は内容を把握するには十分ですが、少々表現や演出が改変されているので、できることならば原文をおすすめいたします!
では、次の曲で!
(0時投稿できなかったらごめんなさい)
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