ナラティブで脅す人々を許してはいけない ──レジ袋鼻血から
加藤文宏
はじめに
鴨下全生氏の投稿が波紋を呼び、福島県民から批判の声があがった。出来事の詳細と課題は林智裕氏による記事に詳しく書かれているので、ぜひ読んでいただきたい。なお記事では、筆者の『鴨下家は福島を代表するのか 鼻血は何だったのか』が資料として紹介されている。
今回は、レジ袋に鼻血を受けて歩いたという逸話が生んだ「ナラティブ」について考える。ナラティブとは自らの体験を語ることや、こうして語られた証言で、小説や伝説のような創作された「物語」とは別種のストーリーで、昨今はビジネスから学術、医療まで多様な分野で注目されている事実把握の手法だ。
だが「いつどこで」発生した出来事か問われても鴨下氏は答えない。しかも鴨下氏のナラティブは彼が所属する早稲田大学辻内ゼミで、原発事故の「正史」なみの扱いをされている。辻内ゼミは、未だに福島県を「フクシマ」とカタカナ書きしてスティグマ化しようとする集団でもある。
ここには風評加害の問題だけでなく、負のイメージを一方的に固定するため利用された言ったもの勝ちな「ナラティブ」の問題がある。
インチキに箔をつけるナラティブ信仰
ナラティブが注目された背景は、個々の「体験」が唯一無二のものとして価値があったからだ。たとえばビジネスの世界で製品やサービスを差別化して特別なものとして売り出すとき、個々の体験であるナラティブはセールストークに活用された。また製品やサービスを開発するとき、消費者のナラティブからアイデアを借用した。
他の分野でもナラティブは個を理解するための重要なきっかけとされたが、報道ではやや違った目的で活用された節がある。ファクトチェックさえ拒絶する、絶対的な証言に持ち上げられたのである。
福島第一原発の事故後、2011年10月3日から朝日新聞で連載された『プロメテウスの罠』はナラティブの集積といった体裁だったが、その人しか知らないこと、その人が感じた他人が立ち入れない感情といったものを、捏造したため問題を起こした。
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