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宮下公園は憩いの場だった 震災瓦礫は3ヶ月で片付いたと語り出す人々

加藤文宏


10年前は遠い昔か

 MIYASHITA PARKに改修される前の宮下公園は人々の憩いの場であったとか、東日本大震災の瓦礫は3ヶ月できれいに片付いたと語る人々が現れた。屋上庭園化前の宮下公園再整備が2011年、震災も同年だが、10余年前は記憶が別物になるほど遠い昔だろうか。


宮下公園の実態

再整備前にホームレスと反対派が残したゴミなどを撤去する作業/朝日新聞・報道写真より

 まず旧宮下公園およびMIYASHITA PARKの立地を確認しておこう。

 旧公園と現MIYASHITA PARKにかかわる一帯を仮に「宮下公園エリア」と呼ぶことにする。宮下公園エリアは渋谷駅から直線距離で約500m、スクランブル交差点から約300m離れた場所にあり、センター街側とは趣が異なるものの繁華街の中にある公園だ。
 1953年に初代公園が開園。1963年に嵩上げされた人工地盤の公園に作り直され、2003年にフットサル場が開設された。さらに宮下ナイキパーク化計画が持ち上がるなどしたうえで、現MIYASHITA PARKに至っている。
 このように宮下公園エリアは時代ごと大きな相違がある。
 明治期から大正期を経て戦前の渋谷は童謡「春の小川」の舞台であることからわかるように東京の田舎または郊外だった。初代公園は近隣住民用に整備されたもので、60年代にはやや様相が変わったため公園下部に駐車場がつくられた。多くの人が渋谷に抱く大繁華街のイメージは1973年のパルコ開業以後のもので、宮下公園の荒廃とホームレスの居住地化は80年代末または90年代に入ってから加速した。
 居住している人が減り、大繁華街になり、世相も景気も変わったが、公園が需要に応えられなかったため、ブルーシートハウスが立ち並ぶ場所になってしまったのである。
 私は2007年に渋谷センター街パトロール隊を取材した。センター街では青少年が路上にたむろしたり座り込むだけでなく、犯罪が多発し治安の悪化に歯止めがかからなかった。パトロール隊の隊員は、「宮下公園とはJRの線路(築堤)で隔てられているが、公園の荒廃とセンター街の治安の悪化は無関係ではない」と証言している。
 アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングは「1枚の割られた窓ガラスをそのままにしていると、さらに割られる窓ガラスが増え、いずれ街全体が荒廃する」と割れ窓理論を提唱した。宮下公園にホームレスのブルーシートハウスが増え、ところ構わず落書きされ、売春婦が集まり、違法薬物の売買が行われるようになり、地域一帯の印象が悪化しただけでなく更なる犯罪などを呼び込み、センター街にも影響が及んでいたのだ。
 この頃を振り返って、ぜんぜん怖くなかったと言う人もいる。それは公園の異変に気づかなかった人か、荒れた渋谷の空気に慣れ親しんでいた人なのだろう。

 OurPlanet-TVの『【高画質版】ドキュメンタリー「宮下公園」 #1 ~ホームレス~(2010/11/16)』では、ブルーシートハウスだけでなく再開発反対派がテントを張って居座っている様子が紹介されている(下掲動画のスタート位置)。この動画では、反対活動をしていたいちむらまさこ氏が「宮下公園が怖いっていう、(ホームレス?)が怖いっていう意見を聞いたことがあって、私はぜんぜん怖くないんですけど」と語っている。彼女が言うように、怖いと感じて憩いの場にできない人は多かったのである。

 かつての宮下公園はホームレスや裏社会の人々の問題だけでなく、耐震強度が満たされず、バリアフリー化も思い通りに達成できなかったが、これらを解決したためMIYASHITA PARKではごくごく普通の人々が憩えるようになっている。冒頭で紹介した「憩いの場である公園」とは、いつの時代の、どのような状態だった宮下公園エリアなのだろうか。

震災瓦礫の実態

 東日本大震災では瓦礫が瞬く間に撤去されたが、能登半島地震ではいつまでも放置されたままと語る人がいる。だが東日本大震災から4ヶ月後の7月8日掲載の朝日新聞「がれき撤去やっと35% 被災県、焼却施設も未整備」を読めば、見出しだけでも当時の状況を知ることができる。

批判のために事実を歪曲する人々

 宮下公園の再開発に反対する人々は、ホームレスの安住の地である宮下公園エリアを奪うなと主張した。そしてMIYASHITA PARKへの批判も、ここからはじまった。
 ホームレスのブルーシートハウスが立ち並んでいたとき、宮下公園エリアが怖い場所として周知されていたのは反対運動を行っていた人物も認めている。しかし現在、再開発によって「人々の憩える場所が奪われた」と事実が歪曲されたうえに論点がすり替えられている。
 震災瓦礫の撤去についても同様だ。
 何者かを批判するために嘘をつく。事実または歴史を書き換える。これらによって批判された者が貶められるだけでなく、新たな弊害が生み出されかねないのをホームレス問題を例にして考えたい。

 これは東京都が公開しているホームレス数と、支援事業の利用者数の推移だ。
 OurPlanet-TVのルポルタージュが撮影された2010年(平成22年)は、宮下ナイキパーク化反対運動が始まった年だ。あのとき宮下公園にいたホームレスは、緊急一時保護や自立支援を拒んでいた人々だった。そして、年を追うごとにホームレス数は減少の一途を辿っている。再開発反対派は、都がホームレスを追い出して見殺しにすると訴えていたが事実はまったく違ったのだ。
 宮下公園エリアをホームレスの憩いの場や安住の地にしてはいけなかったのである。反対派の主張を鵜呑みにしてブルーシートハウスが立ち並ぶ宮下公園のままにしていたら、他の地区でも対策が滞り、ホームレスの多くが福祉を拒んだままになっていただろう。
 なぜ事実を歪曲するのか。それは事実そのままでは、何も批判できないからだ。批判することが目的であるから、当事者に降りかかる弊害はおかまいなしなのである。

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加藤文宏
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