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語られてこなかった自主避難/保養という名の不可解な旅行

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加藤文宏
協力/ハラオカヒサノ


第一回

第二回


不可解な保養が作り出した被害幻想

 「保養」と聞けば、体を休ませて健康を養うことを思い浮かべるのが普通だ。だが避難や移住を意味する「保養」があった。厳密に言えば、今もある。この「保養」は2011年に発生した原発事故のあと登場し、きわめて特殊な活動であるため一部の人々には強烈な印象を残したが、特殊さゆえに実態が一般に知られないまま忘れ去られようとしている。
 常識と異なる不可解な「保養」とは何か、どのように参加者を集めたか、自主避難とどのように関係していたかを整理するところからはじめて、「保養」に翻弄された女性Cの事例を紹介する。
 Cは、筆者の協力者Hが福島県から避難してからの生活を書き綴っていたツイッターのサブアカウントを見つけて話しかけてきた女性だった。Cは福島県からの避難者の多くが放射線から逃れるため県外にいると漠然と思い、HはCの思い込みを否定せず当たり障りがない距離感を保って会話をした。CはHを信頼し「保養」について話をはじめた。Hは求められるまでCの考えを正すのではなく聞き役に徹した。
 CはHの助言で「保養」を見限ると、「放射能の被害者で特権階級」になったと思い込んでいたと混乱していた自分自身を振り返った。

保養とは不要な避難を提供する仕組み

 放射線の害に怯える家族のそばにいても、「保養」の実態を知らない人が多かった。前回紹介した自主避難者Bの夫は、「妻は『保養』というプログラムをつかって旅行に行くと言った」と語り、「体や気持ちを休める『保養』ではなく、別居や移住に発展するものだなんて思うはずがない。『保養』という言葉に騙された気がした」という。
 こうした特殊な「保養」の発端は、NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」を運営する野呂美香の活動にあった。彼女はチョルノービリ原発事故後にベラルーシ共和国の子供たちを、「健康回復と放射能を排出させるために保養させる」と称して北海道に招いていた。
 野呂が福島第一原発事故の翌年2012年に、ベラルーシ共和国からの「保養」招待を中断して、福島県などの子供たちを「保養」のため受け入れる活動を開始した。すると「健康回復と放射能を排出させるため」の「保養」は全国的な広がりを持つ運動になった。だが個別に「保養」を実施して参加者を募っても、それぞれの団体の規模と広報能力の限界から、活動は広がりを得られなかっただろう。
 短期宿泊先や移住先の提供者と、自主避難を希望する人をマッチングする活動が「ほよ〜ん相談会」だ。その名の通り会場を設けて相談会を行なっているが、ホームページで「保養」探しや「保養」事業の登録が常にできるようになっている。
 この「ほよ〜ん相談会」のホームページはNPOシャローム(福島市)、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(福島市)、東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌(札幌市)、EnVision環境保全事務所(札幌市)、国際協力NGOセンター(東京都・福島市)によって運営され、2012年6月中旬には現在とほぼかわらない活動をしていた痕跡がある。
 「ほよ〜ん相談会」の活動は福島県で活発であったが、「保養」へは福島県以外の地域からも参加が可能だ(*図1、*図2)。

*図1/条件入力のための選択肢/2012年12月に「保養」プログラムを検索するインターフェイスが用意され、参加希望者が居住地を明らかにするチェックボックスが実装された
*図2/登録されている保養プログラム

 さらに同会のホームページでは、2013年5月まで移住を意味する「疎開・長期保養」の選択肢が提供され(*図3)、目次から選択肢がなくなった後も移住者を受け入れる「保養」がさまざまな団体から提供された。また、のちに「疎開・長期保養」の一部要素は「お試し暮らし」と呼称されるようになった。

*図3/2012年時の「ほよ〜ん相談会」WEBページ/「疎開・長期保養」の選択肢があり移住先を示すマップが用意されていた。

 「保養」や「ほよ〜ん相談会」の影響力は、筆者が帰還を支援した首都圏からの自主避難者や、避難願望を抱えていた者の動向から見て、2012年から2014年がピークだった。2012年は自主避難が多かった時期で、2014年は避難を決断できなかった人が悩み深くなったり、避難先からさらに転居しようとする人が現れた時期だった。
 こうした人々が「保養」や「ほよ〜ん相談会」を頼ったのは、避難先で住居を確保することが難問で、自主避難実現の難関になっていたからだ。前回紹介した女性Bは「保養」を利用して自主避難した理由を「簡単だったから」と証言している。
 親族からの反対や移住先での収入の確保などに悩んで、ストレスを抱えてパニック状態になっている避難願望を抱えた者にとって、「保養」が提供する「住居」は自主避難の障壁にぽっかり開いた突破口だった。
 また「保養」や「ほよ〜ん」という言葉の軽さが「避難」の深刻さを薄めてカジュアルな感覚のものにしていたのではないかと思われる。
 「保養」が先か、母親の不安が先か。どちらであっても「保養」が過剰に言い立てた放射能の害に、母親の不安感が反応した。母親は「保養」が提供する逃げ道に依存した。こうした相互関係のなかで、簡単な避難方法としての「保養」が自主避難への敷居を低くした。
 次章で紹介するCは大きなトラブルが発生する前に「保養」を見限ったが、前出のBほか「保養」をきっかけに自主避難した母親は思い込みが固定され、社会的に孤立し、家庭が崩壊したり、経済苦に陥るケースが多かった(*図4)。
 保養とは不要な避難を提供する仕組みだったといえる。

*図4

女性Cの事例/放射能の被害者で特権階級

 「保養」提供団体らは、「原発事故で放射性物質が飛散した。放射能の不安から逃げなくてはいけない。逃げることで落ち込んだ気持ちだけでなく免疫力が回復して健康を取り戻せる。放射能排出が期待できる。いま子供たちは外遊びができないが、保養先では存分に外遊びができる」と「保養」プログラムへの参加を勧誘していた。このように勧誘されていたプログラムを一覧できる「ほよ〜ん相談会」の存在を、東京都で暮らす幼稚園児の母親Cは2012年の夏に知って強く惹きつけられた。
 Cはしばらく「ほよ〜ん相談会」のホームページに掲載される「保養」情報を注意深く眺め続け、意を決して半月間避難できるプログラムに申し込んだ。夫へは参加が確定したときはじめて報告した。夫は「保養」を野外活動や地方との交流会のように解釈して、気晴らしや子供の情操教育に役立つかもしれないと考えた。
 Cははじめての「保養」を首都圏からやや足を伸ばした地域で、まるで民宿や貸別荘で暮らすように避難生活を体験した。半月間の滞在期間は瞬く間に過ぎて、退去日が目前になったとき彼女は途方に暮れた。これから「汚染されている東京に戻る」つらさ。さらに「保養」以外の日常に強い違和感を感じた。Cの夫は帰宅した妻を「地に足がついていない感じだった。理屈ばかりを口にしてイライラしている。精神的にさらに悪くなっているのではないか」と思った。
 Cは当時を振り返って、「『保養』も『ほよ〜ん相談会』もぬるま湯の甘やかしだった。無料や1ヶ月数百円から数千円で借りられる部屋や民家など常識外れで、感覚が異常になっていた。このときは気づかなかったが、『自分たちは放射能の被害者で特権階級』という変な気持ちだったと思う」と語った。
 半月間の「保養」で特権階級意識に浸ったCは現実の世界にうまく戻れず、このため彼女は日帰りや短期の「保養」を繰り返した。二度目の『保養』を終えて子供と駅からタクシーで自宅に戻ってきたとき、彼女は運転手に「ぼんやりしていないでトランクから荷物を下ろして」と強い口調で命令して、その場に居合わせた夫を慌てさせた。
 夫は「『保養』先でちやほやされて、悲劇のヒロインにでもなったつもり」だろうと思い、このままでは子供にも悪影響が及ぶのではないかと恐れた。

女性Cの事例/小さな疑問

 Cには一つだけ気になることがあった。
 「ほよ〜ん相談会」のホームページでは、「保養」を提供するそれぞれの団体が受け入れ可能な対象者をあきらかにしている。たとえば福島県の人々は受け入れるが、他の地域の人々は対象外といったケースがある。
 「保養」プログラムを企画した団体は、どの地域の在住者を受け入れるか選択項目のチェックボックスをクリックして登録しなければならない。福島県は[福島県内(現在在住の方)][ 福島県内(放射線量の高い地域) ][福島県内(県外避難者含む)]の選択肢がある。他の東北地方の県名には線量の高低についての但し書きはついてなく県名だけだったが、関東は[関東地方の放射線量の高い地域]と書かれていた。こうして登録されたものが一覧表になってホームページに掲載される。
 Cはどうして関東だけがこうした記述になるのか疑問だった。
 「この疑問を受け入れ先の団体に話して『関東の線量マップを見てみたい』と頼むと、『線量の高さは自己申告』だという。私がエッ? となっていると『あなたは線量が高い地域から来たのだから、いいの』と担当者から言われた」という。
 このときCは担当者の言葉通り「線量が高いところから避難したのだから、それでいい」と自分に言い聞かせた。

女性Cの事例/東京避難者数マップとの矛盾

 夫が「また行くの?」と言ったときは口喧嘩になったが、Cもまた度重なる「保養」と日常の行き来に疲れていた。このため移住に該当する「疎開・長期保養」を探した。しかし「疎開・長期保養」は募集が少なく、あっても条件やタイミングが合わなかった。
 Cは移住型の「保養」を探すため「ほよ〜ん相談会」のホームページを開いた。以前リンクをクリックしたときは情報が掲載されていなかった「避難者受け入れの現況」の「東京都への避難者数の推移」という項目をなんとなく見てみた。すると区市町村別に福島県からの避難者数が色分けとともに地図に表示されていた(*図5)。

*図5/「ほよ〜ん相談会」避難者受け入れの現況──東京都への避難者数の推移より

 Cの自宅がある区に、福島県から避難者がやってきて暮らしている。それどころか東京中に避難者がいる。
 「ほよ〜ん相談会」は関東地方に「放射線量の高い地域」があるとしていた。受け入れ団体は「あなたは線量が高い地域から来た」と言っていた。「『ほよ〜ん相談会』は、危険な東京への避難を止めていない。むしろ肯定していないか」とCは驚き、この地図を掲載する意図をはかりかねた。
 Cは「『ほよ〜ん相談会』は関東に放射線量の高い地域があると言っているのに、なぜ東京への避難を止めようとしないのか?」とHにメールで問いかけ、Hは次のように答えた。

1.『相談会』は関東を危険とは考えていない。危険性があると思いながら東京都への避難を止めないとしたら悪質すぎるし、そうすることのメリットはない。
2.それなのに『放射線量の高い地域』があるような表現をしているのは、『相談会』や『団体』が関東在住で危険性を疑わない人を『保養』に連れ出したいからだ。
3.『保養』に連れ出したいにもかかわらず、関東全体を汚染地域として表現しないのは、関東に『保養』先を用意して提供している団体の顔を潰すわけにはいかないためだろうし、これだけ多くの避難者がいるのだから汚染されていると言えるわけがない。
4.繰り返すが、そもそも『相談会』は関東を危険とは考えていない。

 これはHの観察と福島県在住者から聞いた「ほよ〜ん相談会」と「保養」活動の実態をもとにした分析だった。
 納得できない様子のCにHは自らの考えをさらに返信した。

1.福島県から人々が避難してくるくらい東京都は隅々まで安全だ。
2.東京都は安全なのに、『保養』の大袈裟な表現を信じて、『保養』に頼ることで、あなたは放射能の不安を消し去れなくなっている。あなたは『保養』の被害者だ。
3.『保養』は体から放射能を排出させる必要があるかのように言ったり、子供が外遊びができずかわいそうと言って、福島県全体を救いがたい汚染地域のように宣伝している。怯えて『保養』に参加する人が絶えないことで、宣伝がまるで事実のように信じられている。とても迷惑だ。(*図6)
4.あなたは被害者だが、福島県を貶める『保養』活動に参加することで加害者になっていないか考えてほしい。

 このあと短期間の信越地方滞在を経て彼女の「保養」癖は消えた。

*図6

保養に入り混じる理想主義と作為

 福島県で復興事業に携わるPは「保養」の実態に詳しい。Pは「『子供の被曝が心配』『避難したい』と訴えて、『ほよ〜ん相談会』の会場に来場する人のほとんどすべてが母親だった。支援側は母親のケアには手厚くても、父親へのアプローチは皆無だった」と語り、もし父親たちが積極的に被曝不安問題に関わっていたら、「保養」や自主避難の状況はだいぶ違っていたかもしれないと考えている。
 また「こうした母親らは、宗教やスピリチュアルやオンラインサロンにはまった人と同じように、もとに戻れない状況に陥っていた。団体は自覚がないまま、他人の人生を壊してしまった」とみる。そして『保養』や自主避難にはまるのは「多角的な考え方ができなかったり、年齢相応の社会経験を積めなかった人が多いのではないか」と思われるという。
 いっぽうで「母親ならではのちゃっかりさが垣間見える参加者もいた。『保養』を使えば、無料だったり安価で旅行に行けるという人たちだ。寄付で集められた野菜や生活用品をもらうため、相談会や保養に参加する人たちもいた。こうしたメリットを享受するため、支援者が望む『被曝に怯えて、子供の心身の状態を不安に思う、かわいそうな私』を演じる人たち」が少なくなかったという。
 長年「保養」の動向を見てきた福島県在住の母親Qは「幼稚園などにビラを撒いて相談会をやっても、最近は格安旅行に行きたい人が参加するだけだ。何ひとつ健康被害など出ていないからあたりまえだ。これでも相談会を続けるのは、原発事故のせいで『保養に参加しなくてはいけないかわいそうな人がいる』『何年経ってもいる』と見せつけることが活動の狙いだからだろう」と推察する。
 そして「今すぐ『保養』活動をやめてほしい。『保養』があるかぎり、外部から今も福島県に重大な放射線の被害が続いていると思われる。安価な旅行への招待は、いつまでもかわいそうな被害者扱いをされているようでとても嫌な感じだ」と嘆いた。
 Pは「団体は自覚がないまま、他人の人生を壊した」とみている。Qは団体が原発事故の被害を大きく見せることを「活動の狙い」として自覚的にやっているという。これはいったい、どういうことなのか。「保養」プログラムを登録しようとするとき「ほよ〜ん相談会」のホームページに表示される「同意事項」を参考にして、彼らの無自覚と作為の関係を考えたい(*図7)。

*図7/「保養」プログラムを登録しようとするとき表示される「同意事項」

 子供を虐待しないように、放置しないように、搾取しないようにと決め事を事細かく列記した同意事項は「ほよ〜ん相談会」の理想主義を反映したものだ。同意した団体も善意に基づいて「保養」プログラムを用意したうえで運営したはずである。ここには純粋な善意しかないよう見える。
 しかし原発事故の被害と影響を実際より誇張して、虚像化しようとする作為が彼らにはあったとしか思えない。「免疫力回復や、放射能排出や、外遊びができない子供という勧誘のための宣伝」「東京避難者数マップをめぐるできごと」「父親へのアプローチを軽視して、母親の思い込みを強化する相談会の姿勢」などはまさにそうだ。また「ほよ〜ん相談会」のホームページや相談イベントでは、実際には何ら健康に影響がない線量の郡山市が、危険地帯であるかのように取り上げられた(*図8)。
 人助けに向ける善意と、虚像づくりに勤しむ作為。「保養」が科学的な事実を無視したことで善意と作為が暴走して、加害性に拍車をかけた。これが、存在しない被害を生み出し、被害者ではない人を被害者にして、被災地にまで「保養」が風評被害を与えた原因だ。

*図8/「ほよ〜ん相談会」今さら聞けない放射能についての質問Q&A/国内の放射線不安が収束した2016年春から掲載されている/郡山市だけが地名をあげられ解説されている。

自主避難者への帰還支援とは

 筆者と協力者による首都圏からの自主避難者への帰還支援は営利のための活動ではありません。協力者は福島県から神奈川県に避難した震災被災者の女性Hと、この女性の旧友Mでした。MがHに紹介した避難相談が筆者にもたらされて円満解決した実績をもとに、寄せられる事案が増えて第二、第三の相談例になりました。自主避難女性にとって、同性かつ避難者であるHの存在は心を開きやすかったものと思われ、筆者が中心になって対応した事例でも折々にHが避難者と連絡をとっています。
 なお支援とは避難者の考え方を正したり、強制的に連れ戻す活動ではありません。可能な限り家族との関係を保ち、双方の話を聞き、正確な情報を伝え、行政などの窓口を紹介しながら、最悪の事態を防ぐのが目的でした。
 筆者と協力者から避難者へ金銭の支援を行うべきではないとしてきましたが、緊急避難的に貸付を行なった例もあります。また一部の反原発活動家に筆者らの存在が知られたことで警察沙汰となるほどの誹謗中傷や暴力沙汰を経験しました。
 自主避難は成功例であっても当事者にとってはつらい経験であるほか、個人情報保護を約束して支援を行なったため公表可能な逸話には限りがあります。当記事ではプライバシー保護のため仮名を使用したほか、経緯やできごとなどを一部割愛しています。


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加藤文宏
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