災害時の不安と危機感から発生した攻撃衝動/首都圏からの自主避難者研究
東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故は、原発から250kmも離れ科学的見地からも安全が見込まれていた首都圏で自主避難者を生み出しました。記事『なぜ首都圏は恐れいつ忘れたのか 放射線デマと風評加害発生の構図』で、首都圏で悪しき風評が生まれ、拡大され、この風評が信じられた背景を整理しましたが、今回は不安と危機感から攻撃衝動が発生した原因と、風評加害との関係を考えます。
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『なぜ首都圏は恐れいつ忘れたのか 放射線デマと風評加害発生の構図』
『不安や恐怖を共感しあう。いつまでも安心を得られない。だから怒りと悪意をぶつける。』
構成・タイトル写真
加藤文
はじめに
怒りの解明に至るまで
これまで考察を重ねてきた自主避難者とは、福島第一原子力発電所事故の影響を心配して避難指示区域外から必要のない避難をした人々だか、なかでも震災や原発事故の被災地と言い難い首都圏から避難した人々に注目してきた。
どこから避難したか問わず自主避難者の存在は知られているものの、福島県以外の東北地方からの避難者、さらに首都圏からの避難者について実態を把握する試みが十分に行われてこなかったので、発生理由や顛末はほぼ何も解明されていない。このためもっとも実態がわからず、もっとも極端な例であった首都圏からの自主避難者についての調査と考察を優先した。
なぜ自主避難者たちは安全な場所から不要な避難をしたのか。不安によって動揺したから、というだけでは説明として不十分だ。そこで、不要な避難が発生した背景を『なぜ首都圏は恐れいつ忘れたのか 放射線デマと風評加害発生の構図』で整理した。
しかし背景をあきらかにしただけでは、安全な場所から避難した自主避難者の不合理な選択を説明しきれなかった。そこで当記事では、自主避難者が不合理な選択をするまでの心理の動きをあきらかにし、さらに怒りをあらわにして攻撃的な言動を取る者が少なくなかった理由を考えることにする。
自主避難者の怒りがいかなるものか記事内で紹介するが、攻撃衝動を元にした言動が悪しき風評を発生させたり増幅させて風評加害の一因になっていた。つまり自主避難者の怒りと攻撃衝動の原因を探れば、風評加害がいかなる構造下で生まれて影響力を持ったかも理解できるだろう。
調査手法
自主避難者の心理を知るため、自主避難しようとしていた人々がネット上に書き残した声を収集して整理した。このほか、筆者が自主避難者の帰還を助けた際の経験だけでは偏りが大きいため、あらためて筆者の帰還支援と関わりがなかった自主避難者から聞き取りを行った。
自主避難者はネット掲示板(BBS)や短文投稿サイトであるツイッターのサークルから発生するケースが多かったが、掲示板サービスの停止やツイッターアカウントの凍結や削除などで会話ログが失われている。このため当時の会話が比較的残されているYahoo!知恵袋(ヤフーが運営)のほか、発言小町(読売新聞が運営)、ママスタ☆BBS(インタースペースが運営)などから「自主避難」を含むスレッドを抽出して検討することにした。
このうち自主避難する可能性を示唆して相談をしたり心情を吐露する発言が残っていたのは、ツイッターとYahoo!知恵袋と発言小町だった。他のBBSは「自主避難」を含む発言があっても、報道をもとに会話をしていたり、自主避難者を笑い物にしたり厄介者としているだけであった。
ログ数はYahoo!知恵袋の2,595件(「自主避難」を含む発言があった回数)が最大だが、意図・意味不明なものや冷やかしなどを除くと35スレッドに絞り込まれた。これらは2011年から2017年までのものであった。このため他の媒体でも2017年までに限定してサンプルを集め、やはり意図・意味不明のものや冷やかしを除いてツイッターから21ツイート、発言小町から6スレッドを採用した。
自主避難をめぐる相談と心情吐露の類型
Yahoo!知恵袋から35スレッド、ツイッターから21ツイート、発言小町から6スレッドを選別して検討すると、スレッドを立てた人やツイートした人の相談や心情の吐露には類型があるのがわかった。
類型は以下のもので──
「子供の被曝が心配/妊婦として胎児の被曝が心配/母子避難」
「避難先・受け入れ先の不安」
「金銭的心配/仕事の心配」
「ホットスポット/線量」
「制度・手続き・その他の行政」
「夫(男性)が理解してくれない」
「強いストレス/パニック」
「国や東京電力に対応を望む/期待できない」
──これらはひとつの相談や心情の吐露に融合して複数含まれているケースが多かった。
それぞれの内容は──
「子供の被曝が心配/妊婦として胎児の被曝が心配/母子避難」 相談や吐露される心情の前提。類型どおり表現されていない場合でも「関東から自主避難し母子2人で住めるアパートの様な所を探しています」などと表現されていた。
「ホットスポット/線量」 不安や危機感の原因。
「避難先・受け入れ先の不安」「金銭的心配/仕事の心配」「制度・手続き・その他の行政」 自主避難をするため解決しなくてはならない課題。
「夫(男性)が理解してくれない」「国や東京電力に対応を望む/期待できない」 課題を解決しようとするときの障害。
「強いストレス/パニック」 不安そのものへの反応と、課題と障害が負荷となってかかるストレス。
──だった。
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「子供の被曝が心配/妊婦として胎児の被曝が心配/母子避難」について。
女性が我が子や胎児の被曝を心配する例が多く、さらに夫(または義父)の無理解が重なりやすく、家出同然の母子避難を生み出す原因になっている。
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「ホットスポット/線量」について。
不安の原因であるホットスポットや線量は、まず報道によって情報がもたらされている。これらが注目されたことで、独自に線量を計測してSNSやブログで報告する人々が現れ、誤った計測法で得られた値が一人歩きする例も少なくなかった。また線量を正しく認識する知識に欠けていることが多く、情報が真であれ偽であれセンセーショナルに受け止める傾向が強かった。
[ホットスポットや線量を懸念している例]/
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「避難先・受け入れ先の不安」「金銭的心配/仕事の心配」「制度・手続き・その他の行政」について。 課題について。
避難先と受け入れ態勢、避難に必要な費用だけでなく先々の収入、これらを補う制度や、制度を利用するための手続きと、かなり冷静に課題を洗い出している。福島県からの自主避難者には自治体から援助があったが、他の大多数はすべて自己解決しなくてはならなかった。
[課題の例]/
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障害について。
課題を解決しようと試みても家族の理解を得られなかったり、国や東電に頼れないのを知り(あるいは諦めて)、諸々の制度が利用できなかったり物足りないため、これらが不安を解決する障害と認識されている。
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被曝への不安から自主避難までを整理すると次の流れ図になる。先々のことを考えず発作的に自主避難した人々は皆無ではないだろうが、少なくともネット上で相談したり心情を吐露した者や、筆者が聞き取りをした者は、数段階の葛藤を経て課題が未解決なまま自主避難を決行していた。
冷静さがありながら安全の事実を受け入れなかった人々
自主避難は冷静さに欠けた行動だと思われてきたが、自主避難者たちは眼前に立ちはだかっている課題を洗い出して解決を試みようとしていた。こうした建設的な葛藤があったにもかかわらず、安全性を伝える情報を頑なに受け入れなかっため不合理な選択に至ったのである。
安全性を伝える国や自治体からの情報を、なぜ自主避難を望んでいた人々は拒絶したのだろうか。また強いストレスがかかっていながらも課題と向き合っていた者が、なぜパニックに陥るように自主避難を決行したのだろうか。これらを、Yahoo!知恵袋と発言小町に寄せられた反応と、その場の状況、反応によって決断された内容から検討することにした。
対象からツイッターをはずしたのは、双方向性が高く少数の相手と会話が行われるツイッターより、双方向性が低くスレッドのテーマに対して多数の回答や感想が一方的に寄せられる2つの掲示板がサンプルを確保しやすく類型の抽出で確実性が高かったからだ。
反応は次のように類型化され──
「反対・反感・中立」 自主避難に反対であったり、不安などを吐露する発言への反感。また自主避難を積極的に勧めることがなかったり、吐露された心情に共感することなく感想を述べる書き込み。
「賛同/具体的なアドバイス」 受け入れ先や制度や解決策を具体的にアドバイスする書き込み。これらの情報の真偽は問わない。
「賛同/被曝不安や危機感」 線量やホットスポットについて語るほか、体験や伝聞によっていかに現状が異常な状態かを述べ、危機感を共有また煽ろうとする書き込み。これらの情報の真偽は問わない。
「賛同/共感・なぐさめ」 アドバイスや情報の提供がないか、あったとしてもおざなりで共感を伝えたり相手をなぐさめるための書き込み。
「賛同/精神の安定優先」 相手が特定の考えに取り憑かれていたり、考えを肯定してもらおうとしているのを察し、精神の安定のためには思うように行動したほうがよいとする書き込み。
「賛同/国・東電批判」 国や東電が悪いのだからしかたないとするほか、これらに対して抗議したり戦わなくてはならないと勧める書き込み。
──サンプリングした41件中、避難意思の撤回や不安が解消されたのは6件、不明が16件、明確に避難を決意したり不安を強固にしたものが19件だった。
賛同が反対・反感・中立の出現数を上回るのは、Yahoo!知恵袋と発言小町の性格上テーマに興味がない者はスレッドを読まず、敢えて反対や反感を表明するために書き込みをする者が少ないからだ。(サンプルを採用しなかったママスタ☆BBSなど反感をぶつけることに参加者の躊躇いが少ない掲示板もある。また発言小町は共感が反応のテーマになりやすく、共感を抱くことへの反感が登場して激しい意見の応酬が演じられる場合も多い)
「具体的なアドバイス」が多数寄せられているのは、課題を解決する具体策を求めるスレッドが多かったためだ。
「被曝不安や危機感」を高める書き込みはスレッドのテーマに沿って放射線量を具体的な数値で示したり、ひどいことが発生していると伝えるケースが多いが、そうであってもなくても「かねてから用意」していたように資料や記事などへのURLを即座に複数紹介するなど自説を開陳したい欲求を感じるものが多かった。
「共感・なぐさめ」や「精神の安定優先」の書き込みは、スレッドを立てた者から評価されたり言及されることがなかった。
「国・東電批判」が自主避難のための相談や心情の吐露に対して反応として書き込まれるのは稀であったが、Yahoo!知恵袋の原発事故を話題にしたスレッドでは定番のテーマと言ってよい様相であった。
以下に、反応を得てどのように「避難意思の撤回や不安が解消されたか」、「避難が決意されたか」例示する。
[避難意思の撤回や不安が解消された例]/
[避難を決意した例]/
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順を追って整理する。
相談や心情がスレッドに書き込まれる前に、国や自治体から安全であるから避難の必要はないと情報が伝えられていた。だが国や自治体の発表が信じられず、避難指示区域外から避難することを前提にスレッドが立てられた。
相談や心情の吐露に対して、自主避難に賛同のうえ「具体的なアドバイス」と「被曝不安や危機感」を高める書き込みが数多く寄せられた。
避難の意思が撤回されて不安が解消されたケースには「大丈夫と言って欲しかった」と書かれている。これは隠されていた共感を求める気持ちが「大丈夫」と言われたことで満たされ、居住地が安全である事実を受け入れた稀な例だ。
避難を決意したケースは、素性がわからない非専門家の「危険だから避難すべき」とする回答とアドバイスを無条件に信頼していた。具体的な数値を示して安全性を丁寧に説明する回答があっても避難を撤回していないことから、求められていたのは共感と同意を土台にした、不安や避難の裏付けになるもっともらしい数値や情報だったようだ。
不合理な選択は国や自治体の発表を信じなかったことにはじまり、課題を洗い出す冷静さがあったにもかかわらず、不信感と危機感に同調する人々の意見のみ受け入れ、相談や心情の吐露は不安でいることの肯定感を高めて終わっている。
不快なはずの不安を取り除こうとしなかった心理は、
[PまたはQのうちどちからが真である。Qならば恐ろしいことになる。したがってPが真である]
とする広告やマーケティングの手法のひとつ「恐怖に訴える論証(fear, uncertainty, and doubt/FUD)」そのものの反応で、政府や自治体を信じたら恐ろしいことになる前提に立っていたと言える。
避難先は決められても住居と家賃、収入と仕事の目処を立てるのは難問で、これらを解決する制度がないため課題は容易には解決しない。冷静さを保って真剣に課題を洗い出して葛藤が強かった者ほど焦りを覚えたほか、被曝不安や危機感を高める書き込みに子供を守ろうとする使命感は高まるいっぽうになっただろう。筆者が帰還を手助けした首都圏からの自主避難者も、掲示板やツイッターで助言を受けるたび正常な判断力を失っていた。そして問題を解決できないまま自主避難を実行するまで追い詰められたのだった。
なぜ彼女たちは怒っていたのか
2011年3月17日に撮影スタジオに集まった首都圏在住の女性モデルたちは、福島第一原発が茨城県のさらに先にある(それさえもあやふやな者もいて)遠い未知なる場所としか認識していないまま原発事故に怒りを露わにして、「震災で福島が余計だった」、「福島が原発をつくった」と言った。このほか2011年3月24日前後にマンションの敷地内で見かけた花粉を劣化ウランと信じ込んで後に自主避難した女性Aも、「こんなに怖い思いをしたのは福島のせいだ」と発言している。
この女性たちに限らず、福島第一原子力発電所が福島県に建設された経緯と、電力が首都圏で使用されていた事実への理解が浅いというだけでは説明できない、悪意と攻撃性をもった発言がネット上に残されている。
多くが原発事故とその影響を福島県と県民の自業自得とするもので、原発事故と影響は他人事として関心が薄いふりをしつつも被害者意識が横溢し、原発事故以前からずっと損をし続けてきたと言いたげなものもある。
福島県への悪意ある発言ではないが、著名人が攻撃的な発言している例を紹介する。雁屋哲は2011年3月12日に激しい感情的な言葉を自民党に向けている。
Aのケース
首都圏からの母子自主避難者女性Aの事例は、Aの友人から筆者に相談がもちかけられ、同時にAの夫を紹介された。友人と夫から説明を受け、Aが出入りしている掲示板や彼女のツイッターアカウントを観察した。その後、友人が間に入り筆者とAのメールによる対話がはじまった。
Aの怒りの矛先は福島県だけではなく国や東京電力に対しても激しく向けられた。彼女が率直に不安をさらけ出したのは、連絡を取り始めてから1ヶ月経過してからだった。
Aは避難先の近畿地方で反原発運動に参加していたが、活動家になりたくて横浜市から自主避難したわけではなかった。Aは原発事故後に自宅マンションの敷地内で見つけたスギ花粉を飛散した劣化ウランと信じ込んで不安を覚え、このままでは小学生の息子が死んでしまうと2012年に近畿方面行きを考えたが準備が整わず、2013年の夏に息子を連れて避難した。
Aはツイッターで知り合った支援者にアパートの紹介を頼っただけで、ほぼ何も準備できないまま、夫に黙って家を出ている。
生活費のほか家財道具の購入や息子の学費と養育費は負担が大きく、食事が提供されたりアルバイトが紹介されることもあって反原発運動にかぎらぬ政治運動にできる限り参加した。運動に参加すると、他の自主避難者と出会えて孤独を癒すことができた。
「私がこの子を守らないといけない」と、Aは横浜市から500km離れた近畿地方で避難生活をしながら怯え続けていた。「お子さんと別れわかれになったのをお父さんはどう思っているのでしょう」と問うと、彼女は夫については触れず「避難は息子と私のこと」と我が子以外は眼中にない様子だった。しかし彼女が本心を表すようになっても、強い怒りを福島県や国や東電にぶつけるのは変わらなかった。反原発集会でいかに過激なスピーチをしたか誇らしげに語り、メールに攻撃的な文言を書き連ねてきた。これらは、自分と子供がこうなったのも、福島県や国や東電のせいであるとする主張だった。
Aは山本太郎に心酔していて、彼の主張をなぞるように政府は信用ならないと主張していた。このほか有名なツイッターアカウントでは竹野内真理、木下黄太、オノデキタ、早川由紀夫、白石草の名を挙げることが多く、デマアカウントではケンジ(@buick54aki/3500フォロワー)の影響を受けていた。
山本太郎が「ベクレてるんやろなぁ、国会議員に出すお弁当は」と発言したとき(2013年10月24日)は、「もっと言ってもよかった」と思い、風評被害などというものはあり得ず、放射能汚染されていようがいまいが危険を世の中に知らせて、安全と言っている人たちを「わからせるのが無理なら退場してもらう」必要があると考えていた。2012年政権に自民党が返り咲いたことについて、彼女の自民党批判は陰謀論じみたものになっていた。
Aは交通安全運動を例えにして、何度も自分の言動を正当化した。[暴走車が事故を起こしたとき、暴走運転の危険性をテレビで報道したり、別の場所の道路にスクールゾーン注意と立て看板を立てると車への風評被害になるだろうか。誰もそんなことは言わないし、もっと自動車に厳しくしろと言うはずだ。母親として、暴走運転者に怒るのはあたりまえで正義だ]と、独自の論法で語った。
経緯を整理する。
・夫は「不仲ではなかったが、以前から考え方が合理的すぎる、世の中はそんなふうにできていない」と言われたと証言。
・黄色い粉は劣化ウランではなく花粉であると理路整然と説明する夫がAには得意げに見えて、不安の本質に気づこうとしない彼や、大袈裟だと言う義父母に不満を覚え、このままでは息子が死んでしまうと考えた。
・地域のネット掲示板やツイッターに同じ不安を抱えた人たちが多いことを知り、互いに共感しあい「不安なのがとうぜん」と感覚の真っ当さに自信を得た。
・ネットコミュニティーで自主避難が話題になり、支援者が登場して、避難へ背中を押し合い、このまま横浜に居ては死を待つだけと危機感が高まっていった。
・避難後、反原発運動や瓦礫持ち込み反対運動と次々市民運動に熱中して、食べ物やアルバイトを得る実利だけでなく、怒りをぶつけることで安堵感や充実感を得た。
・夫との離婚成立後、経済困窮だけでなく精神を病み、被曝不安と後悔の念の板挟みに陥り、コロナ禍突入後連絡を断ち消息不明。
Bのケース
(Bへの取材はツイッターのDM機能を使い行った)
横浜市在住だった女性Bは、当時5歳児、4歳児、0歳児だった子供たちにおやつを与えようとしたとき東日本大震災の激しい揺れに見舞われた。
「阪神淡路大震災を思い出し、ただことではないとすぐにテレビをつけました。情けないですがその後のことはあまり記憶にありません。情報収集のためにずっと付けっぱなしだったテレビから、福島第一原発の水素爆発の映像を観てからすぐに放射能不安が始まり、15日の長女の卒園式への参加に強い不安を抱いたことを覚えています」
もっとも危機を感じたのはいつか。
「ネット上、とくにツイッター上で風向きや海洋汚染の画像情報が拡散された時だったような気がします。政府や東電から発表されたデータなどはデタラメで信用できないと思い込んでいました」
情報収集はNHKとEテレ(教育テレビ)とツイッターで行った。
「年齢が低いほど放射能からの感受性が高いみたいな言説があり、市販のマスクにさらにガーゼを縫い付け0歳児に付けさせたり、買い物から帰ると全ての服を着替えさせたり、落ち着いて振る舞うフリをしながら常に内面はノイローゼ、ヒステリー状態でした」
「ノイローゼ」「ヒステリー」と表現されるパニック状態に陥っていたとき、どのような言動をしていたか。
「千葉に住む第一子妊娠中の同郷の友人がおり、『私は子供3人抱えて疎開はできないが、あなたは1日でも早く実家に戻って!』と必死に説得していました。友人はのんびり構えていたのですが、私の説得で里帰り出産の予定を早めて実家に戻り、産後に千葉に戻ってからは簡易的なガイガーカウンターを購入し、共に反原発の同志的な時期を共有しました」
Bは「放射能汚染への強い不安」にとらわれて現実逃避のためインターネットやSNS漬けになり、情報を収集する過程で「Twitterで山本太郎氏や、池田信夫氏などの界隈を次々とフォロー」し、自らは反原発の意思表示を発信して反原発の活動家に心酔していく。
「共感できたのは、ネット上では当初は山本太郎氏や、千葉麗子氏、早川由紀夫氏、烏賀陽氏、オノデキタ氏だった気がします。本音は正確な情報が欲しかったはずなのに、感情的に原発や国──当時の民主党ではなく、自民党の過去の国政──を批判して怒りを共有してくれるアカウントの発信に心酔していました」
幼い3人の子供を連れて首都圏から避難するのは難しいと考えていたBだったが、北陸地方の都市への避難を前向きに考えるようになった。
「地震後、私は放射能ノイローゼ状態、次女の小学校受験不合格、夫は事業の失敗による失業が重なり、私の郷里へ引っ越して心機一転しようという話を夫に持ちかけました」
Bの夫は家族揃っての移住に同意したが、移住予定地のIターン支援を使っても希望通りの転職先が見つからなかった。
「夫婦間のズレが大きくなりました。お互い、心身共に疲れ切っていたなか、(2012年)1月頃に離婚話に発展しました。そこから4月には私が子供を連れて別居、7月頃に離婚が成立しました。正直、郷里に戻ってからは、急速にノイローゼが落ち着きました。横浜では生野菜などはXX県(北陸にある県・伏字は筆者による)の両親に頼んで送ってもらうほど気にしていたのに、風評被害に気付いて率先して北関東の野菜を購入するようになっていました」
反原発運動に心酔して自民党を批判していた段階から、自主避難を経て不安が消え考えが様変わりする様子を、B自身が次のように整理している。
「反原発活動家に心酔する→
反原発・反差別のはずの活動家たちの多くが、正義を振りかざして被災地の人や東電家族を差別攻撃する姿に疑問を感じる。→
(あれ…?)→
現実の家族を放り出してる自分に気付く。→
全てが嫌になる。→
いつまでも馴染めない都会で死にたくない。→
志賀原発やもんじゅがあって万一それが事故ったとしてもXX県の方がイイ!→
夫と一度は意見が合ったが、彼の転職問題で引っ越し計画は難航。→
元々夫婦仲はキンキンに冷えておりケンカして離婚騒ぎ→
キリ良く年度末で別居→
石川県で両親に頼りながら働きつつ、自然派ママ寄りに。→
自然派と左翼活動家との深い繋がりに辟易。→
一気に振り切ってネトウヨ化→
右も左も変わらないことに絶望。」
その他の証言
Cは被災地支援に携わることで、福島県外避難者、県内居住被災者、これらの支援者と関わりをもち、「母親たちがいわゆるスピ系や陰謀系にハマる様子や、『被災者ママ』の立場を利用する様子もリアルタイムで見てきました」と言う。
無料や安価に旅行に行ける、団体に寄付された品々をもらえるという理由で、「支援者が望んでいる『被曝におびえる子供の心身に不安を持つかわいそうな母親』を演じる人」が少なくなかった。このように母親たちを利用する団体は、政治思想系であれば不安を煽るプロパガンダが多く、経済活動系では復興予算に群がり食い散らかすことで福島県民の生活をかき乱したとCは証言した。
福島県から関西に自主避難した母親の例。彼女は「福島に住んではいけない」と発言する福島大学の荒木田岳准教授を崇拝し、避難先の京阪神を中心に反原発系団体の講座や講演会のゲストとして招かれて、謝礼や寄付金を得て生活をしていた。自主出版した避難生活の記録を反原発団体が取りまとめて買い上げる関係にあり、海外の反原発団体は同書を翻訳発行した。この実績によって作家を名乗り、講演を続けるうち「ウケる話題」や「話のツボ」を身につけ、身の上話が誇張されていった。
この女性は自主避難者に貸し出されていた自治体の旧公務員宿舎に暮らす他の避難者の個人情報を講演会で話したほか、避難者コミュニティーでトラブルを起こし自主避難者たちから距離を置かれるようになった。県外への自主避難である自らの決断と現在を肯定するかのように、県内在住者や帰還者を「低脳な人たち」呼ばわりしていた。
福島県から東京都に自主避難した母親の例。活動費を反原発団体が支援して、自主避難者の母親サークルを結成した。彼女は全村避難中の飯館村からの避難者に「放射能まみれの村に帰りたいと言っている人の神経がわからない」と挑発的な発言をしている。
不安を解消させず火に油を注いだ政治家と活動家
A、B、Cの証言に限らず自主避難者は反原発政治家や反原発活動家らインフルエンサーらの影響下にあった。
名前が挙がった政治家や活動家は、国と自治体と東電の発表は信用できず、信頼できない相手であると批判し、原発事故の影響を過大に評価して危機感を煽った。これは前章で紹介した[PまたはQのうちどちからが真である。Qならば恐ろしいことになる。したがってPが真である]という「恐怖に訴える論証(FUD)」そのもので、こうして彼らは支持者を集めている。
そして、政治家と活動家は国と自治体と東電を批判するだけでなく、福島県を原因の地と位置付けていた。
「ベクレてる」は山本太郎が2013年10月24日に発言する以前から使用されているため、次に紹介するツイートがいつのできごとを語っているかわからないが、東北地方または東北産品を指して「ベクレてる」としているのはまちがいない。「ベクレてる」は福島県を筆頭とした被災県と、この地域の農畜産物、魚介、水のことで、山本太郎はこれらを揶揄して反原発を訴えたのである。
国や原発に批判が向けられるとき、このように原因の地が指し示され、汚染の供給地とされた。汚染の供給地とする発想は、原発事故直後に「福島が余計だった」と発言したミセスモデルや、花粉を劣化ウランと誤解した女性Aにも見てとれ、いずれも怒りの矛先が福島県に向けられていた。政治家や活動家の言動が人々の不安の火に油を注いで怒りを増幅させたのはまちがいない。
「被災地の子供の葬列デモ」も、福島県を原因の地として取り上げた反原発運動の例だ。「被災地の子供の葬列デモ」は2011年9月1日および10月18日、大阪市で「命を守るデモ」実行委員会と原子力行政を問い直す宗教者の会によって行われ、原発の危険性、自主避難、瓦礫の焼却拒否を訴えながら、僧侶と喪服に身を包んだ参加者が子供の棺を運ぶものだった。このデモは福島県で子供たちが被曝死するという脅しにとどまらず、我が子の被曝におびえていた首都圏の母親への脅迫でもあった。女性Aも、当時デモを紹介する画像や報道を見て危機感を高めている。
「被災地の子供の葬列デモ」の支持者は次のように証言している。
文中の「福島の方」とは近畿地方在住の自主避難者であり、避難済みの人々にとっては選択と行動の正しさを確認できる自己肯定感が増すデモだったのだ。しかし一時的に溜飲を下げられても、政治家と活動家から瓦礫処理で被曝するなどと次々と不安が提供されていつまでも危機感を消し去れなかった。
怒りをぶつけても不安が解消されず、政治家や活動家によって新たな不安が提供され続けるため負の感情の循環が止まらなくなる。しかも、いくら抵抗しても不安や危機感が消えないため怒りが増すばかりだった。
いっぽう政治家や活動家に幻滅した女性Bは、負の感情の循環を断ち切ることができた。彼女は「家族を放り出してる自分に気付」いて問題の原点に立ち返っている。その後、不安を解消するまで時間を要し、離婚を経験しているが、この間に原発事故を客観視できるまでになった。
結論
『なぜ首都圏は恐れいつ忘れたのか 放射線デマと風評加害発生の構図』で福島県に無関心だった首都圏在住者が、震災と原発事故をきっかけに福島県を強く意識し、一方的に被害者意識を強く抱いた層が登場して、彼らが不安から抜け出せなくなっていたことを指摘した。
『なぜ首都圏は恐れ──」では、人々の興味や関心の度合いをGoogleが公開している検索動向データから調べた。検索ワード「福島産」および「米 放射能」「野菜 放射能」「魚 放射能」は2011年中にピークを迎え、2012年に向けて急激に検索数が減少していた。また消費者庁の調査によれば、放射性物質を理由に福島県や被災地を中心とした東北等の産品の購入をためらう 人の割合は、2022年にこれまでで最小になっている。しかし福島産の購入をためらう人の減り方はゆるやかで、平成25(2013)年の19.4%から6.5%に至るのに9年間を要している。
検索動向を見るかぎり、首都圏のみならず全国の大多数から福島産への忌避感、いわゆる「ベクレてる」ものへの恐れが2011年中に収束していたと言えるが、不安を煽る反原発運動や被曝の危険性を訴える運動は2012年に激しさを増した。山本太郎の「ベクレてる」発言も2013年のものだ。いずれも被害者意識を刺激するもので、不安な感情を正当化させたい人々は、さらに不安を煽る情報やデマを取得して「ますます不安になる」サイクルから脱することがなかった。これらから、不安で動揺したままの層、感情を煽る報道、反原発運動、被曝被害を主張する運動の4者が相互に影響を与え、風評加害を生み、増幅し固定したと前回は仮説を立て、今回は被曝への不安に動揺した層の心理と、何によって影響を受けたかを考察した。
現在も政治家と活動家がALPS処理水の放出を「汚染水」の放出と表現して不安を煽り続けている。これらを伝え、自らも不信感を高めようとしているのが一部の報道機関だ。このように11年間絶え間なく不信感と不安が提供され続け、「ますます不安になる」サイクルから脱出できなくなった層の影響は大きく、福島産の購入をためらう人の減り方をゆるやかにしてはいないだろうか。恐怖と危機感の供給を断ち切れば、負の感情の循環と怒りが収束するのは女性Bの経験が証明している。
次回以降、政治家と活動家と報道の関係を整理しようと思う。