“コロナはただの風邪”は意図的に拡散され利用された
この言葉はいつから
・2020年1月から5月
いつ「コロナはただの風邪」という言葉が使われはじめたか、それはどのような人たちが、どのような意味で、意図で使ったのか。それとも自然発生したのか。すくなくとも「コロナ」とあるから日本でコロナ肺炎が報道されたり蔓延したあとに生まれた言葉なのは間違いない。
新しい言葉だけにWEB上にいつ登場したか調べるほかないため、年月日を細かく区切りながら検索と候補の確認を繰り返した。
WEB上に残された(初出もくしは初出に近い)古い例として、2020年1月25日 5chへの書き込みを紹介する。
(【速報】新型肺炎、国内3人目の感染確認。武漢から旅行で来日中の女性★9 )
これは定型句「コロナはただの風邪」ではない。「コロナはただの風邪」は新型コロナ肺炎を再定義するための定型句だ。
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1月30日にTwitterで使われた(初出もくしは初出に近い)例を挙げる。いずれも[コロナ][ただの風邪]を含む一連の文章であって定型句ではない。
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新型コロナ肺炎を「風邪くらいのもの」と軽く見る発言があった2020年1月とは、どのような1ヶ月間だったのか。
1月15日国内初の感染者が見つかったほか、29日に武漢からチャーター機で邦人が帰国しホテル三日月が受け入れ先になったほか、さしせまった危機感を感じさせるできごとは発生していない。
さしせまった危機がなかったので新型コロナ肺炎を「コロナはただの風邪」と表現する人がいた。このような楽観的な気分のなか2月にクラスター認定される屋形船での新年会も行われている。
2020年1月に[コロナ][ただの風邪]を含む文、発言はあるが、いずれも新型コロナ肺炎を再定義する定型句ではないし、使用例は多くない。
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2月から3月にかけて使われた例では「コロナはただの風邪」が定型句になりはじめている。次に示すものは定型句化して行く最初の例と思われる。
(■釧路市スレ★8(道東)1)
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2月から3月は次のような2ヶ月間だった。
2月は北海道で大規模なクラスターが発生し緊急事態宣言が発令されたが、3月13日に朝日新聞の論説委員小滝ちひろが「コロナは痛快な存在」と発言しているところをみると、(彼がひどく非常識だったとしても)新型コロナ肺炎に対して現実味や危機感がかなり希薄な人がそれなりの数でいたと言える。
2020年2月23日、釧路市のガソリンスタンドに勤務する30代女性の感染が判明して、報道されたほかガソリンスタンドは翌2月24日から臨時休業している。老人以外は発症すらしないと思い込んでいる人がいたなか、30代が発症して隔離されたニュースはインパクトがあった。
だが5chの釧路市スレで2月28日の発言者は「普通の風邪よりザコなのにバカの行動って面白いよな」と感染を警戒する人々を馬鹿にしている。
[新型コロナ肺炎の感染者はほとんどいない][老人だけが死ぬ感染症][危険性が低いウイルス]と本心から信じ込んで書き込んでいるのだろうか。
「普通の風邪よりザコなのにバカの行動って面白いよな」とする発言から、前掲の3月2日の2件の書き込みまでの他の投稿を検討してみようと思う。
スレッドに書き込んでいる他の人々は、北海道を封鎖して往来を止めたほうがよいと言い、混乱した様子の店舗でマスクを買い、死者についてつぶやき、咳やくしゃの話題があり、病床が逼迫していることを危惧し、濃厚接触者に言及している。
これらをサンドイッチするかたちで前掲の「ただの風邪」発言がある。
「ただの風邪」は掲示板にありがちないわゆる逆張りだったとしても、他の発言と噛み合わないまま、切迫した現実を無視したり事実と異なる認識を披露する似た発言が繰り返されていることから、このように思い込みたい願望が感じられる。
これら3件の発言者が別人か同一人物の書き込みが混ざっているかなんとも言えない。かなり似通った言い回しがあるので、(IDを変化させながらの)同一人物と言えないまでも書いているのは二人かもしれない。
「ただの風邪」と主張する発言は、74「イタリアとか韓国は知らんけど日本だけ見たら雑魚の分類に入るただの風邪」へのレス75「その根拠は?」以降このスレッドには登場しない。
こうした書き込みに飽きたのかもしれないが、当時どう考えても北海道では「ただの風邪」と言える状況にないのだから根拠はないだろうし、現状を曲解してでっちあげた根拠を書き込んでもスレッドの雰囲気にそぐわず他の人々から叩かれると判断したと解釈するのが自然だろう。
彼または彼らは、新型コロナ肺炎を「ザコ(雑魚)」ということにしたかった。感染や蔓延を警戒して生活する態度を、新型コロナ肺炎がザコ(雑魚)であることを根拠に「バカの行動」としたかった。
新型コロナ肺炎を「ただの風邪」と再定義して現実から目を背けて安堵したり、自粛をばからしいとしいとする態度が、日本で最初に危機的な蔓延状況になり緊急事態宣言で自粛を求められた北海道で登場したことは実に興味深い。
彼または彼らは、他の人より緊張していたか、欲望を抑制することに飽き飽きしていたかのどちらか、あるいは緊張が高まりすぎて欲望を押さえつけるのが耐えられなくなっていたのだろう。
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釧路スレの会話から数週間後の3月29日、志村けん氏が死亡する。
志村けん氏が亡くなって全国の楽観的だった人たちの雰囲気が一変した。志村けん氏が亡くなったことを悲しみ、新型コロナ肺炎に危機感を募らせた人は多かったが、この話題は1ヶ月程度でフェイドアウトした。その後は警戒を強める層と、楽観視したい層に二極化して後者がノーマスク、反自粛の潮流をつくりあげていった。
・2020年6月から
6月以降、欲望を抑制して自粛することを否定し、欲望のままに振る舞いたい自粛しない人たちが「コロナはただの風邪」をキャッチフレーズとして使うようになる。新型コロナ肺炎を再定義する定型句としての使い方だ。
釧路での例のように、「コロナはただの風邪」は切迫した現実を無視したり事実と異なる認識を披露するため使用されている。
6月以降「コロナはただの風邪」という定型句を使う人が増え、人々に知れ渡ったきっかけは何だったのか。
日本国内の動向をGoogle Trendsで調べると6月に「コロナはただの風邪」への大きな関心の盛り上がりがある。都知事選に出馬した国民主権党の平塚正幸がポスター、政権放送、街宣などで「コロナはただの風邪」を使用した結果、「コロナはただの風邪」への関心が高まり言葉が一般化したのがわかる。
このとき平塚正幸の支持者(党員や党員にかなり近い人)や、彼の主張を面白がったり、賛同する人たちが盛んにSNSや掲示板で「コロナはただの風邪」を連呼したので発言数が急増している。
都知事選以前はどうだったか。
2月末から4月半ばに[コロナ][ただの][風邪]が断続的に検索されていた。検索の目的や、なぜこの時期なのかはわからない。いずれにしろ「コロナはただの風邪」は一般的な言葉ではなかった。
6月初旬から都知事選が終了するまで、人々の「コロナはただの風邪」への関心が持続し、7月以降は関心度が下がるものの6月以前の状態には戻らなかった。定型句「コロナはただの風邪」を使う人が増え、人々に知れ渡った=一般化したのだった。
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平塚正幸が発端となって「コロナはただの風邪」が一般化する様子をWEB検索の側面から考えるとき、検索した=興味をもった人が東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、大阪府に集中していて、他の地域との差があまりにも大きい点は注目に値する。
ほぼ首都圏と大阪府から検索され、他の地域・地方の人々は興味を抱いていない。平塚正幸が首都圏ローカルの政治活動家で、この時期に都知事選や県知事選に出馬したこと、デモンストレーションは渋谷駅前ほか都内街宣が主であったのが理由だろう。とはいえ、SNSのほか全国規模の報道に登場し悪目立ちしているにもかかわらず首都圏と大阪への偏りが激しい。
首都圏ローカルの「話題の人」の「話題の発言」なのに、なぜ大阪府の人々が興味を持ったのか。
首都圏と大阪府に偏っている同類のキーワードに「コロナは茶番」、「コロナは概念」がある。
「コロナは茶番」とは、パンデミックが発生していると世界中の人々が洗脳されているだけで、新型コロナ肺炎などというものはこの世に存在していないという立場だ。「ただの風邪」さえ存在していない立場なので、「コロナはただの風邪」と共存できそうもないが平塚正幸は両方使用している。
「コロナは茶番」では圧倒的に大阪府で興味がもたれ、次いで東京都の人が反応している。かなり限定的なキーワードと言える。
「コロナは概念」は片岡ジョージ作の四コマ漫画(WEB連載、書籍化)のタイトルだが、「コロナはただの風邪」に対して関心度が高い地域で注目されている。
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「コロナは茶番」と定型句化された言葉のTwitterでの初出または初出に限りなく近いツイートを紹介する。
ハッシュタグ「コロナは茶番」の初出または初出に限りなく近いツイートを紹介する。
新型コロナ肺炎やコロナ対策を「茶番」とする言説は陰謀論から政治批判、医療批判までかなりの幅でコロナ禍の初期からあるが、「コロナは茶番」と定型句されたのは2020年3月末から4月にかけての時期だった。
「コロナは茶番」は陰謀論と無関係に自然発生したが、たちまち陰謀論者御用達の言葉になった。ハッシュタグ化されてからは、ますますこの傾向が強くなっている。
「コロナは茶番」は平塚正幸の都知事選での「コロナはただの風邪」発言とともに関心を集め、広く知られるようになった。だが陰謀論の側からの新型コロナ肺炎の再定義であるため、「コロナはただの風邪」ほど一般化していない。
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「コロナは概念」は「コロナはただの風邪」や「コロナは茶番」ほど知名度がなく、まったく一般化していない。WEB上限定と言えそうな「コロナは概念」が関心を集めた時期は、「コロナはただの風邪」や「コロナは茶番」と同期しているように見える。
「コロナはただの風邪」「コロナは茶番」「コロナは概念」は限られた人によって繰り替えし使われ、使われるのは平塚正幸の行動が注目を集める時期で、このとき世間の耳目を集めていると言える。
コロナはただの風邪は平塚正幸の名前を売るため利用された
「コロナはただの風邪」は2020年2月から3月にかけて5chで定型句化されたあと、いくつかの使用例はあるが一般的と言える状態にはならなかった。アンダーグランウンドな言葉であったしマイナーな言葉だった。
平塚正幸が5chでの使用例を知って採用したか、独自に創作したかわからないが、東京都知事選の選挙運動で連呼したことで世の中に拡散、定着したのは間違い。
整理してみる。
・2020年2月から3月にかけて、かぎられた範囲で新型コロナ肺炎を再定義する意図で「コロナはただの風邪」が使われはじめる。
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・2020年6月、平塚正幸が都知事選にむけて知名度向上のため「コロナはただの風邪」を使いはじめる。
・同時期に平塚支持者が「コロナはただの風邪」を拡散し、反自粛派がこぞって「コロナはただの風邪」を使うようになる。
・2020年8月9日、平塚正幸が「コロナはただの風邪」を掲げて渋谷でクラスターフェスを開催。
・2020年12月20日、平塚正幸渋谷駅前デモ(クラスターフェス)報道。
・2020年12月23日、平塚正幸が「コロナはただの風邪」「マスクはいらない」を掲げて日本医師会館に居座り逮捕。
・2021年3月21日、平塚正幸が「コロナはただの風邪」「ワクチン危険」を掲げて千葉県知事選に立候補。
平塚正幸、国民主権党、「コロナはただの風邪」それぞれへの関心度をWEB検索数で比較すると次のようになる。
「コロナはただの風邪」は平塚正幸の活動が目立てば感心度が上がり、その後急降下する。平塚正幸、国民主権党、「コロナはただの風邪」いずれも連動している。人為的に広められ、人為的に盛り上げられているのだ。
平塚正幸に関心を抱いているのは、ほぼ首都圏と大阪府の人々にほぼ限られていた。では平塚正幸が盛んに活動し「コロナはただの風邪」を連呼していたとき東京都と大阪府はどのような状況だったか。
両都市で感染者が増えているとき、たまたま都知事選があったり、たまたまクラスターフェスが行われたり、平塚正幸が大きく報道されただけかもしれない。しかし、平塚正幸が盛んに活動するのは(都知事選や千葉県知事選のように偶然もあるが)感染が深刻度を増している時期と一致しているように見える。だから、報道に拍車がかかるとも言える。
2020年2月から3月にかけて日本初の緊急事態宣言下にあった北海道の釧路市で「コロナはただの風邪」が慣用句化されていき、新型コロナ肺炎を再定義しようとする人がいたことを思い出してもらいたい。
第2波と第3波による緊張の高まりと自粛したくない気持ちから、東京と大阪の「新型コロナ肺炎はたいしたことがない」としたい人たちにとって「コロナはただの風邪」と連呼するマスクをつけない平塚正幸は彼らの代弁者だったろうし、平塚正幸や国民主権党を支持しないまでも「コロナはただの風邪」論はかっこうの鬱憤ばらしになったはずだ。
これが「コロナはただの風邪」をはじめとする定型句がアンダーグラウンドから浮上して広く使用された理由と言ってよい。片岡ジョージが漫画のタイトルを「コロナは概念」と新型コロナ肺炎を再定義する定型句にしたのは、同類の再定義によって「ただの風邪」派、「茶番」派に取り入るためだったこともわかる。
東京都(および首都圏)と大阪府は、他の地域よりコロナ禍のストレスが大きかったのかもしれない。私生活だけでなく社会、経済の疲弊度が高かったり、つらい情報が数多く集積され逃げ場がなくなっていたのかもしれない。このため「コロナはただの風邪」に関心が集まったのではないか。
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だが平塚正幸が自粛を不要にしてくれたわけでも、自粛不要で経済が回りだすこともなかった。
「コロナはただの風邪」とSNSに書き込んだり誰かと喋って自粛を嘲笑しても結果は
・都知事選 得票率 0.15% (8,997票) 落選
・千葉県知事選 得票率 0.97% (19,372票) 落選
(2019年第25回参議院選挙でNHKから国民を守る党から出馬した平塚正幸は千葉県選挙区で得票率 3.93% (89,941票)を獲得している)
だった。
平塚正幸の認知向上と、知名度の延命の糧にしかならなかったのだ。
自粛不要を叫んだ人たちが実生活でノーマスク、反自粛だったか疑わしいが、「コロナはただの風邪」「コロナは茶番」「コロナは概念」を真に受けた人々を数多く生み出して行ったのは間違いない。真に受けた人々が蔓延を助長する行いをしている姿がSNSに数多く投稿されているし、他の人へ影響を及ぼそうとしたり勧誘すらしている。
はたしてこれを、現在の深刻な蔓延状況と無関係と言い切れるだろうか。
平塚正幸は落選を重ねているが、2019年の参議院選時と比較すると認知度の向上はかなりのものであるし、党員を確保するなどして資金を集めている。党員は最初からそのつもりだろうが、鬱憤ばらしで「コロナはただの風邪」を連呼していた人々は売名と資金集めに利用されたとする見方もできる。
こうして残されたものは、いつまでも収束しないコロナ禍だけではないか。
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2021年4月、ゴールデンウィーク前に[ノーマスクピクニック]計画が公表された。当初、主催者が何者かわからないとされていたが、GW中に強行して関係者が盛んにツイートしたことから、国民主権党の離党者を中心に企画・運営されていたことがわかった。
5月5日から7日にかけて国民主権党から離党者が続出し、一時は150名を超える党員がいたとされる同党は支持者をかなり減らしたと思われる。平塚正幸そのものとも言える国民主権党は2020年の秋頃から勢いを失いはじめ、2021年3月の千葉県知事選以後離党する者が続いていたと言われている。
平塚正幸と国民主権党の勢いが落ちているのは、WEB上の関心度が下がっていることからもわかる。だが離党者が[ノーマスクピクニック]のほか講演会を盛んに行うなどしていることから、「コロナはただの風邪」「コロナは茶番」「コロナは概念」といった言葉の影響力はしばらく消えることはないだろう。