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風評と怒りの伝道者 山本太郎研究 / これからの山本

── 第4回 ──

加藤文宏

象徴的だった暴力的なダイブ

 入管法改正案の採決が行われた2023年6月8日の参議院法務委員会で、傍聴中の山本太郎が杉久武法務委員長に飛びかかろうとして、自民党の若林洋平参院議員と永井学参院議員に打撲傷を負わせた。

 山本は何度も委員長に飛びかかろうとしたが、単に危険だっただけでなく、暴力で採決を阻止しようとする行為は民主主義の原則を否定するものであり、懲罰動議が提出されたのはとうぜんの成り行きだ。

 暴力に訴えて採決を阻止しても事態は好転しない。山本は参議院法務委員ではないが、入管法改正案に反対であるなら、議員らに自らの考えを説いて賛同者を増やすのが政治活動のはずだ。しかし、こうした地道な取り組みがないまま派手なパフォーマンスをしてみせたのだ。

 このパフォーマンスは、当研究が指摘してきた山本特有の行動である。

 立法府である国会は法律をつくり、変え、廃止するためにあるが、山本にとっての政治は別物だ。彼の政治は、人々の漠然とした不満を怒りに変え、怒りをぶつけるべき相手を指し示し、その相手に対してパフォーマンスを演じ、人々に溜飲を下げさせるだけである。だが、そうまでしても社会や政治は何ひとつ変わらず、支持者の怒りはさらに強くなり、支持が強固なものになる。

 山本は、ポピュリズムというだけでは説明できない政治、何ひとつ改善されず進歩しない空転するだけの政治、山本単独公演型の政治というジャンルを生み出し、同時に彼特有の政治を期待する有権者を生み出した。

 サブタイトルの「これからの山本」の答えは既に出ている。彼は風評を発生させ人々に怒りの感情を抱かせるパフォーマンスをこれからもまちがいなく続ける。ではれいわ新選組は、残された影響はどうなるかを考えてみたいと思う。

 

統一地方選挙が教えてくれたこと

 統一地方選挙が4月9日と23日に行われた。

 選挙では、

1.共産党の衰退
2.立憲民主党の崩壊
3.日本維新の会の躍進
4.れいわ新選組の関東での伸長・近畿での敗北

が目を引いた。

 共産党の衰退は支持者の高齢化と浮動票をつかめなくなった影響が大きいだろう。「不満があったら、とりあえず共産党」の図式は消え去ったと言ってよい。浮動票をつかめなくなった原因は後述する。

 立憲民主党の崩壊は、小西問題を党が処理しきれなかったことと、有田芳生の下関への憎悪創出に見て取れる。同党は党内を制御できず、しかも小西や有田の言動を肯定する支持層に頼らなければならないが、これら支持者では党勢を支えることさえできなくなっているのが可視化された。

 2党の敗退と日本維新の会の躍進は無関係ではない。

 読売新聞と早稲田大学が行った「読売早大調査(2017)」では、もっとも保守的な党は公明党、次に保守的なのが共産党と民進党、自民は中間に位置し、もっともリベラルな党とされたのが日本維新の会とされる結果が出た。ただし60歳以上の高齢者は従来の保守・革新の図式通りもっとも保守的なのは自民党、もっともリベラルなのは共産党と見る傾向が強かった。

 3年後の「読売早大調査(2020)」では、「改革志向が強い」政党として認識されているのが自民党と維新、「改革志向が弱い」政党は立憲民主党、公明、共産、無党派とされた。なお、改革志向についての認識は全年齢層に共通した傾向だった。

 これらの調査から、イデオロギーに基づいた主張の対立が高齢層にしか意味をなさないものになったことと、成果を残した政党が改革志向の強い革新的政党と評価されるのがわかった。維新は成果を残したと目されて躍進し、自民はパランスがよいとされ、共産と立憲は何もなし得ていない社会の現状を改善する気がない政党と見做されている。

 つまり、イデオロギーの違いで認識されてきた左派と右派の位置付けが消え去り、有権者が判断する有能か無能かの違いで左派と右派の違いが意識されるようになり、統一地方選挙では左派は仕事をしない無能な存在として見限られたことになる。「不満があったら、とりあえず左派」「左派の得票数で自民党にお灸をすえる」「左派に投票して議席数のバランスを取る」は過去の価値観で、無駄であったり有害な行動とさえ考えられるようになったのだ。

 いっぽう山本太郎のれいわ新選組は統一地方選で、首都圏で伸長して近畿圏は厳しい結果に終わった。これは世田谷区長選で左派の保坂展人が当選したほか、杉並区議選で中核派のほらぐちともこが当選しているのと同傾向の、地域の特殊性が反映された選挙結果だ。

 首都圏なかでも東京都の城西エリアと一部の多摩エリアは左派支持かつ山本太郎の支持基盤であったが、関東の他の地域でも「不満があったら、とりあえず左派」と流れていた浮動票がれいわに投じられたと見てよいだろう。自公に投票したくない関東の有権者がれいわを選択したのは、維新嫌いと既存の左派政党が説得力を失った影響だが、結果的に感情の対立に基づいた山本型の政治が局地的に支持されたことになる。

 また、この統一地方選挙での勝ち方が山本とれいわにとっての唯一の戦術であり、他に取り得る戦術はないともいえる。


立憲と共産のゆくえと山本太郎のゆくえ

 統一地方選挙ではれいわ新選組が関東の一部で反自・公・維票の受け皿として機能し、共産党と立憲民主党が受け皿となり得ないほど弱体化したことを前章で指摘した。

 立憲が結党された2020年9月15日から2023年5月1日までの政党名を検索クエリとした検索の動向をGoogleが提供するデータで調べると、れいわ新選組、日本共産党、自由民主党は全国から満遍なく検索されていたが、立憲民主党と日本維新の会は地域に大きな偏りがあった。立憲は東京都、神奈川県、千葉県、北海道、兵庫県、埼玉県、愛知県、大阪府以外ではほとんど興味を抱かれていない(図1)。

(図1)

2020年9月15日から2023年5月1日までの政党名を検索クエリとした検索の動向(地域)

 大阪の地方政党から誕生した維新の例をみると、興味を抱く人の分布と総数が必ずしも党勢を表すものではないのがわかる。しかし民主党時代は全国から満遍なく検索されていたにもかかわらず、民進党を経て現在に至りここまで人々の興味から「立憲」が消えたのでは、党の立て直しをはかれる時期を逸したのはまちがいない。遠からず立憲は分裂のうえ同党左派による小さな政党になるか、同党左派が新たな小さな政党が生み出して消滅するだろう。

 同党左派を支持している層は、支持政党をれいわに変える積極的な理由がない。党内左派以外の要件で支持している層もれいわを支持しない。同党左派が何らかの理由でれいわと共闘する路線を選択しても、そうならなくても、山本太郎は極端であったり奇矯な言動をしがちなよく似た小さな政党が横並びになることを(表向きは協力姿勢を見せたとしても)嫌い、彼はますます「風評と怒りの伝道者」たる姿勢を鮮明にする。

 では共産党はどうか。

 過日、共産党の議員が埼玉県の公園で行われる予定だった水着撮影会を相次いで中止させて話題になった。もし撮影会に問題があるなら、慎重に現状を検討したうえで、必要であれば法令と照らし合わせて県の条例などを手直しするのが政治家本来の職務だ。ところが同党の議員は活動家気質の性急な現状変更と、変更の既成事実化をはかったのである。

 このように民主的な手続きを無視して圧力をかけたのには、共産党が掲げるイデオロギーとは別に背に腹はかえられない動機が背景にあった。

 共産党は政党交付金を受け取らず赤旗の収入に頼って運営されているが、同機関紙は80年代の355万部から100万部(日刊20万部、日曜版100万部)まで減少している。部数増をはかるため「インパクトと党の威力の誇示が求められている」と語るのは、今年の春に党員を辞めた人物だ。長らく党員だった彼は、赤旗の購読者を増やさせと幹部に尻を叩かれていたと言い、これが迷惑YouTuberやワイドショーなみのなりふり構わない議員の「政治」活動の原因になっていると証言した。

 撮影会中止のみならず政治の本分を忘れた共産党のパフォーマンスが、山本型の政治と同類のポピュリズムであるのは言うまでもない。違いがあるとすれば、ファシズム的な権力行使と反抗への弾圧を行おうとする点だ。

 政治家の劇場型パフォーマンスを採点して有能か無能かを決める人たちが、左派に投票するようになって久しい。したがって立憲、共産、れいわはこれからも支持者に向けたパフォーマンスを激化させながら、ますますシュリンクして内向きの党になる。立憲、共産、れいわそれぞれの、せせこましく貧しい本音を知ってか知らずか肯定論や擁護論を繰り出す識者やメディアもあるが、これもまた各党が規模と質ともに縮みゆくことに抵抗する悪あがきで、批判を避ける姿勢は誠実さに欠ける。

 これらの党と悪あがきする識者やメディアは、怒りの無限回廊から解放されないままの各党支持者の不幸を、これから先も養分として吸い続けていくつもりだ。


第1回から3回


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