さいとうなおき先生が炎上している件(にかこつけて持論を語るだけ)
いつものように、youtubeをラジオ代わりにしてR18イラストを描いていました。
トップページに出てきた、竹花ノートさんの配信を適当に聴きながら作業していたのですが、どうやらさいとうなおき先生が画像生成AI(以下生成AI)に関する発言をして炎上しているらしいです。
自分はゴリッゴリのいわゆる「反AI」派なので、興味が出てきて調べてみました。
リプライをさらーっと見ていたのですが、自分の普段考えていることと完全に合致していて、言いえて妙だな~と思える発言があったので、ご紹介します。
この方の発言の場合だと、技師ではなく、ピッチングマシーンの投擲ボタンを押すだけの人間を世間では「AI絵師」と呼んでいるんですよね…
自分の場合は、陸上競技、例えば200m走の場合に置き換えて、「AIで画像生成する人」を「自動車の運転手」、「絵描き」を「陸上選手」に例えて考えていました。
ゴールする頃には、横で走っていた陸上選手が自身のタイムを確認して「どや!」ってやってるわけですが、それはもう人類が到達しうる最高の「タイム」をたたき出しているわけです。自動車が。
んで、それを観衆はタイムのみ見て、「うお!すげータイム!この選手すげえ!」と賞賛をしているんです。自動車の運転手に。その歓声を浴びながら運転手は「応援ありがとうございます!私は陸上選手です。あ、走っている皆さんのことはもちろん尊敬してます!!」とのたまうわけです。批判しようものなら、「運転にだって技術はいるんだぞ!!(オートマ)」とか言ってきそうです。
自動車の運転手が~とか言いましたが、「(有名陸上選手)の走法を再現した二足走行ロボに乗っている人」の方が近いです。無理があります。こう考えると、やっぱりピッチングマシーンで例えた方は言いえて妙です。
一番この状況で解せないのは、大多数の観衆がタイムにしか関心がないことです。
要するに、生成された画像と、自分の手で描いたイラストが、大多数には本質的に同じものとして見られ、賞賛されていることに合点がいかないんです。
アクセルをベタ踏みしてたたき出したタイムと、下手でも一生懸命走り方を学んで練習して努力してたたき出したタイムとを、同列に見られてしまっているんです。
レギュレーションがそもそも違うのに、それを観衆は気づこうとしない…声を上げているのは走者のみです。
そんな人権が脅かされ声を上げている走者を「反AI」って呼ばれ方しているのも、なんだかなあ…と思います。生成AIを推奨している人間が大多数で、「そうでない過激派」みたいな扱いをされている感覚です。(自分はSNSや配信では絶対にそういった書き込み、というか書き込みすらしないんですが、noteにぼやいている時点で過激派なのかな…)
テストの答案用紙の例えもありました。参考書を読んで勉強した子が90点を出して先生に褒められます。その隣で、答案用紙をカンニングして90点を出した子が同じように褒められています。勉強した子にとっては面白くないし、周りの必死に勉強して60点を出して褒められない子も面白くないと感じています。
そう、絵描きたるもの、陸上競技の観衆や先生に褒められ、賞賛されたいんです。つまり承認欲求です。創作をする人、ここでは限定的に絵を描く人は大きく3種類に大別できると思います。
「純粋に絵を描くことを楽しんでいる人」
「絵を見せて努力や成果を褒めてほしい人」
「お金のために描いてる人」
自分は完全に2番目の人間。1番目の人はたぶん、生成AIに賛成も反対もしていないと思います。創作の邪魔さえされていなければ。3番目は後述します。
結局のところ、みんなに努力や成果を、「みてみて~!いっぱいがんばってかいたの。ほめて~!」って言いながら、「よく頑張ったね~、えらい!」って正当な評価を受けて褒められたいだけなんです。だから生成AIが面白くないんです。
ところがそれに対し、今のところ泣き寝入りするしかないのも現状。法整備もされていなければ、AI生成かそうでないかを判断するのも黎明期のころとは打って変わって難しい。倫理観を武器にして、さきほどの「面白くない!」という感情論で反撃しようとしても無駄です。反撃しようとしてる相手の倫理観がアレなんですから…
ここで完全に余談。いつも論争では論理的な思考だけをフォーカスされがちですが、常に被害を訴えている側の「心情」に焦点が当たるべきだと思います。人間同士の問題なんだから、そりゃそうです。でも、それじゃ平行線だし、一方的にまくしたてるだけになってしまう。だからあくまでマクロに見て公平にするための論理的思考なんでしょうけど、それではミクロな心情の揺らぎを取り除いて考えてしまうことになり、それが必ずしも正しいとは限らないと思うんです。
知的なことを言おうとして恥ずかしくなったのでここで終わります。
自分は被害こそ受けていないとは思います。弱小絵描き、しかも生成AIが苦手であろうニッチなジャンルを描いているので。可哀そうなのはイラストレーターたちです。些細な抵抗として「AI学習禁止!」ってプロフィールに書いてる方たちがたくさんいますが、無駄なんだろうな…と思います。AIで画像生成している人たちの倫理観を考えれば…
ちなみに自分は無名もいいところだし、そもそも意味がないと思っているので書いてません。
あと、一番言いたかったこと。自分はお金のことを一番に考えている人を毛嫌いするようです。もちろんお金は大切です。ですが…なんというか、いるじゃないですか。あらゆる行動を金銭的な損得勘定で決める人。そういう人に嫌悪感を抱いてしまうんです。
絵を描く人…というか、何かしら創作活動を行う人には、「いいものを作る!!」っていう情熱を感じる人がいっぱいいます。もちろん例外もたくさんいますが、そういった人にはリスペクトをついつい抱いてしまいます。
ですがAIで画像生成する人には、そういった情熱を全く感じず、ラクして稼ごう!という魂胆が透けて見えるから一層嫌いなんだと、最近気づきました。例外はもちろんいるかもしれないけど、自分には全員そう見えてしまいます。
だから、絵描きの目に見えないところでコソコソ生成して自家発電する分には、自分としてはギリOKです。
とはいえ、金稼ぎのついでに「絵を描く」という文化そのものを破壊しかねない生成AIの存在自体に警鐘を鳴らす人の気持ちも滅茶苦茶分かります。自動車が開発された時のように、ガラケーがスマホに置き換わった時のように、テレビが廃れSNSやYoutubeが発達したように、その時代に順応すればいいじゃないか!みたいな意見もありますが、ちょっと違う気がします。ここでビシッ!と言語化できればいいですが…とにかく、「描く」という文化を、「描く」ことすらしない文化に破壊されるのは違うと思います。
ちなみに「破壊」は、「描くのや~めた」「あほらし」っていう感情にさせられることとします。
ふう。すっきりした。
今回のような炎上があって、自分もふつふつと日頃鬱積していた感情をぶちまけたくなったので。言いたいことは大体言えたので、しばらくこの怒りは湧いてこないと思います。よかったよかった。
ちなみに、ここまで偉そうに持論を展開した自分ですが、所詮はR18の二次創作をしている人間です。
人によっては説得力皆無に聞こえるし、版権元がダメ!と吹けば飛ぶ命です。
以上!
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