名もなき者の声
オリーブのように
mosoyaro
桜が咲く春
2人だけの結婚式が終わって幸せの頂点にいた頃の私 彼とずっと一緒に幸せに暮らしていくものだと思っていた。
それは幻だと気づいた頃
そこから抜け出すことが出来なくなっていた。
私の名前は冨田美桜 26歳
夫は冨田陸 29歳
気づけなかった彼の本当の姿
結婚生活が始まると彼は今まで隠していた本性を現した。
最初はコップの洗い方が汚いとか洗濯物のたたみ方が違うとかそんな感じから始まった。
気がつけば全ての事に自分のやり方を押しつけ、間違えると言葉より先に手をあげられるようになった。
仕事が終わって家に帰るのが辛くなる。でも帰る家はそこだけ。
重い足取りで帰っては彼の顔色を伺う
そんな生活が半年続いた頃私は妊娠している事に気がついた。
つわりがひどく会社に行けない日々。だけど彼はそんな私を見ても完璧を求めた。
妊娠中は叩かれる事はなかったが言葉での暴力は続く。
出産のために病院に入院している時だけが救いの時間だった。
産まれた子供は夫によく似た男の子。
名前は麗音と名付けた。
子供はよく熱を出す。
その都度に会社を休むので同僚から嫌味をいわれ そこに居づらくなった私は会社を辞めた。
初めての育児、子供とだけ向き合う毎日、社会から取り残された気分になる。
孤独と寂しさでどうにかなりそうだった。
親にはこの結婚を反対されていたのでそう簡単には実家には頼れない。
優しい両親だったが夫が家に挨拶に来た時、神経質そうな彼を見て大らかな性格の私には無理だと反対した。
苦労するからと。
その反対を押し切って結婚した。
上手くやれると思っていたから。
だけど両親の言葉は現実になった。
夫は会社から帰ってきては部屋が散らかっている 食事を手抜きしていると怒った。
子供が泣くと私を睨んで違う部屋に行き一人でゲームを始めて出てこない。
そして夫の暴力は再発した。
私は子供を守るために、振りかざされる拳は全部自分が受ければそれで済むと思っていた。
ようやく麗音が2歳になった時、私は2人目を妊娠した。
それでも夫は変わらず、事あるごとに私を殴った。
一人で子供を育てていく自信がない私は耐えるしかなかった。
2人目の子供も夫によく似た男の子だった。
名前は詩音。
麗音が5歳になったある日、夫は珍しく子供は自分が見てるから一人で買い物をしてきて良いと私に言った。
一人で買い物に出かける事が嬉しくて普段より少しだけ遠くのスーパーに行ってみた。
買い物を終えて家に帰って玄関ドアを開けた時、奥の部屋から子供の泣き声が聞こえてきた。
急いで靴を脱いで子供たちを探したその時、夫が麗音に馬乗りになって首を絞めているのが見えた。
顔には殴られた跡がある。
私は力一杯夫を突き飛ばし麗音を助けた。
夫が向こうに転がって行くのが見えた。
「やめて、お願い」
夫は急いで立ち上がって向かってきた。
「お前が俺に子供の面倒を押しつけて買い物に行くのが悪い。うるさくてテレビの声も聞こえない」
と言って私を殴った。
3歳の詩音は夫を怖がって、さっきから大声で泣いている。
顔にはマジックでバカと書かれていた。
もうここにはいられない
子供たちの手を握りバックだけ手に取ってそのまま家を出てきた。
夫は、どうせすぐに帰ってくると思っているのか追いかけてこなかった。
出てきたものの、行くところがない。
こんな時どこに行けばいいのかわからなかった。警察に相談したらいいのかな?
後で大ことになるのも嫌だな。
そんな事を思いながら3人で歩く。
2人はあれからずっと泣いていた。
これからどこにいこう。家に帰ったら子供たちに何をされるかわからない。だけど行くあてもない。
途方に暮れるとはこんな感じかと思う。
ふと子供たちに食事をさせてない事に気がついた。
自分も食べてない。
ファミレスに入った。
店内の鏡に映った自分を見てびっくり、顔が腫れ上がりトレーナーの肩の辺りが破れている。酷い状態だ。
だからさっきから周りの人がこっちをチラチラ見てたのか。
今更だけど髪で顔を隠した。
詩音の顔のマジックを消す事には頭が回ったのに、自分の状態には全く気づいてなかったとは、、、
何故だか笑ってしまった。
食事しながら窓の外を見ると、通りの向こうに3ヶ月くらい前にオープンした
こども館が見えた。
子供たちと一緒に何度か足を運んだ事がある。
西鉄電車の井尻駅が近いとはいえ 普通電車しか止まらない場所に綺麗で立派な施設が建った事が珍しく、連日テレビやネットで話題になった。
その敷地は広く公園やカフェ、フィットネスジムもあり、こども館以外は誰でも利用出来た。
こども館は子供と一緒なら大人も入館できるが大人だけの利用はNGだった。
そういえば子育ての相談にのってくれるカウンセラーがいるって館内のポスターに書いてあった。
今まで誰にも相談した事がなかったけれど今日は私の気持ちを誰かに聞いてもらいたかった。
私達は食事を終えてその建物に向かった。
入館証がバックに入っていて良かった。
入ってすぐ私は子育て相談室を探した。
スタッフの女性に声を掛け相談室まで案内してもらう。
相談中は子どもをスタッフが遊ばせてくれると言うので甘える事にした。
部屋に入ると女性のカウンセラーがゆっくりと話を聞いてくれた。
初めて会うその人に、結婚する前のこと、結婚してからのこの6年間のこと、夫の毎日の言動や今日の出来事など、
そしてもう家には戻りたくないと言うことも話してしまった。
ここには無料で使えるシェルター施設があるので今日は3人で泊まってくださいと彼女は言った。
案内された部屋に入りシャワーを浴びてベッドに横たわるとそのまま子供と一緒に寝落ちした。
何年ぶりだろ、ゆっくり眠る事が出来たのは。
次の日の朝、昨日のカウンセラーの女性と話をした。
今後どうして行きたいか聞かれた。
私は夫の元に戻るつもりはないと言った。子供たちも渡さないと。
ただその方法はまだ考えてはいなかった。
ここの館長を紹介すると言われた。
すぐに若くて綺麗な女性が現れた。
ショートカットで濃いネイビーのパンツスーツがよく似合う。多分年下、この人がここの館長なの?
もっと年配の人だと思っていたのでおどろいた。
館長の後に若い男性が2人ついてきた。
男性に対して本能的に拒絶反応を示した私を見て、自分の護衛の者なのであなたに危害は加えません、気にしないでくださいと言われた。
彼女はソファーに腰掛けて私に優しく微笑んだ。
名刺をテーブルの上に置いて話を始めた。
「冨田美桜さんはじめまして、館長の織田と言います。
昨日は眠れましたか、朝食はたべましたか、美味しかったでしょ。
私は毎日ここで食べますが美味しくて飽きません。食後にコーヒー飲みませんか」
私に向ける眼差しも声もとにかく優しくて心地よい。
だけど何故か緊張した。
「い、いただきます」
館長はSPの1人に声をかけた。
「コーヒー二つね。私はいつもの、あ、美桜さんミルクと砂糖はどうしますか?
私はいつもブラックなので」
コーヒーの好みを聞かれたのは何年ぶりだろう、夫と一緒の時は当たり前のように夫の好みのミルクと砂糖の入った物しか飲めなかった。
私はブラックが好きだと言えず我慢していた事を思い出し泣いてしまった。
「何か嫌なこと言いましたか?」
慌てて聞かれ
「いえそうじゃなくて、ただコーヒーの好みを聞いてもらえた事が嬉しくて。ごめんなさい」
館長は私の背中を優しく撫でてこう言った、
「今まで辛かったですね、、、
失礼かとは思いましたが、あなたの家族、冨田家の事を調べさせてもらいました。
個人情報ですので外部には漏らしません。
自分で言うのもなんですが怪しい者ではありません。私はITの会社も経営しています。だから少し調べたら色々情報を集める事ができるんです。
それで、あなたの今までの苦労がよく分かりました」
コーヒーが、運ばれてきた。
飲みながら話は続く。
「前にここに来た時の事覚えてますか?詩音くんがアスレチックしていた時に滑り台から落ちた時の事。
あの時詩音くんに駆け寄ったうちのスタッフが詩音くんの身体にアザがある事に気付きました。
虐待されているかもと。
それから心配になってスタッフに何日かあなたの家の前で様子を見てくるように指示を出しました。
毎日夜になってご主人が帰ってくると家の中から怒鳴り声がら聞こえると報告を受けました。
ご近所の方も何人か気づいている方がいましたよ。
警察が家に来た事があったと思います。でも事件にはならなかった。
あなたが頑なに違うと言い張ったから。
あなたが違うと言えば警察もそれ以上動けない。
ご主人が怖かったから自分と子ども達が暴力を受けてる事を言えなかったんですね。
だけど、昨日は我慢が出来なかった。よく決心しました。勇気を出しましたね。
まず子ども達の事を1番に考えましょう
家には戻らない とあなたは言いました。子どもは渡さないと。
でも一人で子どもを育てていくには住むところと生活費が必要です。
経済的に追い詰められたり、生活環境を変えると、子ども達へのダメージが大きい。
そこでどんな方法が1番ベストか、勝手にスタッフと考えました。
ここのスタッフは皆若いですがそれぞれ教職を持っていたり保育士の免許を持っていたり法律の知識と資格を持っていたりのスペシャリスト揃いです。
現実可能性な知恵を出し合い考えました。
結論から言います
ご主人に家を出て行ってもらいましょう
幸い仕事はちゃんとされているようなので、生活費は給料から強制的に3分の2天引きさせるよう手続きします。
美桜さんあなたは子ども達と今まで通り家で生活してください。
こちらが把握している金額なら家のローンも払えて生活もできます。
ご主人は家に近づけないように私達が管理します。子ども達が成人するまで会わないように約束させます」
「どうやってそんな事を実現させるのですか?今の法律では無理でしょ」
「今の法律では無理です。男性に、ご主人に有利に出来ています。
法律を変えてほしいのですがなかなか変わりません。頭が古くて硬い人達は子どもは親の所有物だと今でも思っています。
しかも日本は男性議員が大多数です。基本的人権とかを盾に変えるつもりがない。
だけどそんな事している間に子ども達を死なせてしまう事例がたくさん起きてます。
まず子ども達の安全を確保していくことが優先なのに。
色んなことは後で考えれば良いんです。
私は税金を使ってこの施設を作っていません。だから行政の目は届きにくい。少し強引な手を使えます。
ご主人にはこれから私達が行動を管理しても訴えないように了解をとりつけます。
まず、会社に手を回して、出張扱いにし研修所に入所させます。
もちろん私の会社の施設にです。
そこで、人としての勉強をしてもらいましょう。この間およそ1年間。
会社にはその間も給料を減らしたりしないように手配します。
あくまで公のやり方ではないですが非人道的な危害は加えませんし、社会的立場も取り上げません。
それが私達のやり方です。
その後はこちらが用意したマンションに入居してもらいます。
そこから会社に出勤です。
職場では奥さんや子供への暴力は隠しておきたい所でしょうからそれをネタに少しだけ脅します。
まあ弱みを握るとでも言いましょうか、表現は良くないですけどね。
行動制限は設けませんが何処にいるか常にわかるようにして、家族に近づいたら社会的な地位は取り上げ警察に証拠を提出して逮捕させます。
人の心は目に見えません。もし改心しても子供達が大きくなるまで会うことは出来ない と言う事を最初の1年間で叩き込みます。
それは誰のせいなのか どうしてこうなってしまったかを自覚させる事が大事なんです。
繰り返さない、逆恨みさせないように。
ここまでで何か質問がありますか?」
「いえ 今の話が実現するなら嬉しいです。でも本当に出来るんですか?」
「実現させますよ、必ず約束します。見ててください。
最後に私から一つだけお願いがあります」
「何ですか」
「美桜さんあなたはまだ若くて綺麗です。これから先 別な人とやり直すチャンスがあると思います。
だけど子供達が大きくなるまでは自分が女であるよりお母さんである事を優先させてください。
一生ではありません、強制でもない。
だけど当分の間 愛情は麗音くん詩音くんに注いでほしい。
これからあなたは父親の役目も背負っていかなければなりません。
一人で心細い時がきっとあると思います。
そんな時は思い出してください。あなたは一人じゃありません。私達を仲間だと思って相談してほしい。
昨日あなたがカウンセリングしている間 麗音くんと詩音くんと話をしました。
自分達もお父さんに酷い事されたのにそれよりも泣いているお母さんの心配をしてました。
ママ大丈夫かなって
大丈夫、おねーちゃんがママの味方になるって言うと、ボク達もママを守るって、ママが笑うと僕達も嬉しいって。
あなたの光はこんなに近くで輝いてました。
こんな小さくてもわかる事を大人がわかっていない、腹が立ちます。
世の中を変えていきたい。
アニメ ポパイの話に出てくるオリーブっていますよね。
ピンチになったら
「ポパイ助けて」って大声で叫びます。そしたら必ずポパイはオリーブを助けに来ます。私はこのアニメが大好きです。
美桜さんも困った時は大声で助けてって叫んだら良いんです。一人で抱え込まないで
世の中には良い大人も沢山います。
忘れないでください。
長くなりましたが今後の事これからスタッフが細かく説明します、聞いてください。
では私はこれで失礼しますね」
そう言って彼女は去って行った。
1週間後
家に帰ったら部屋はハウスクリーニングされていてとても綺麗になっていた。
そして本当に夫の姿はない。
給料は毎月振り込まれている。
何処で暮らしているかわからないが会社にはきちんと出勤しているのだろう。
私と子供達は笑顔になった。こんな毎日が送れる日がやってくるなんて思っていなかった。
しばらくして私は子供達との生活に支障ないくらいで仕事をはじめた。
また社会につながる事で少しだけ今までの自分を見つめることが出来るようになった。
夫に嫌だと言えなかった。暴力を受けても誰にも相談しなかった。
1人になるのが怖かったから、誰にも助けてと言えなかった。
弱い自分が子供達に悲しい思いをさせてしまった。
私と子供達は今でも定期的にカウンセリングを受けている。
DV被害者や虐待被害者用のプログラムだ。
同時に人権に関する勉強も始めた。
敷地内には女性専用の研修所もあり講座が開催されている。
自分が強くそして自分と同じような悩みを抱えている人の力になりたい、そう思うようになった。
麗音と詩音には護身術を習わせ始めた。
自分の身と大事な人を守れる人になってほしい。
建物では時々館長とすれ違う。
軽く会釈をして通り過ぎる。
相変わらず綺麗で濃紺のパンツスーツが良く似合っている。少し赤毛な髪の色は地毛らしい。ハーフかな?
2人のSPは彼女を守るためにいつも一緒だ。
私がしてもらった事は秘密にするように言われているのでこの出来事を誰にも喋ってはいない。
あの時もらった名刺には
福岡こども館館長・IT会社代表取締役
織田 まり
と書かれている。
私のポパイになったあの人。
本当は何者なのだろう