休むことは至福なはず
Day36 2024年9月7日(土)シンガポール時間22:30
うーむ、ちょっと重い話になってしまったかもしれないので、気持ちが塞いでる人は読まないでね。
変なことをいいますが、もし、この現代に生まれていなかったら、と考えて。
たとえば、自分の意識が芽生えた時に、
「あらっ、私のお父さんはマンモスを追いかけているのね」
っていうなそんな時代に生まれていたら、私はどう生きていたのだろうと考えることがあったりして、そういうのは結構私にとって大切なことです。
話は相変わらず飛びますが、ベッドのふっかふかに至福の時を感じるとき、
どうして、
「起きなければいけない!」
「だらだらしている自分はダメだ。」
とか、思っちゃうんでしょうか?
ベッドのふっかふかは私たちが気持ちよく眠るためにあるんじゃないですか? 岩の上みたいなところで日光浴(そんなことしないでも黒かったんだけど笑)するために寝転んだことがありますけど、ゴツゴツしていて気持ちいいもんではありません。でも、マンモス食べていた頃はそういうところで寝ることもあったでしょう?
心地いいお布団やら、めちゃよくできたマットレスやら、本当に気持ちよくって起き上がる気がしないです。湯船が大好きで3時間くらいつかっていて、子供が私が死んでるんじゃないかと思って確認してくれることが多々あります。でも、気持ちいいところにいるって、ダメ?
この歳になっていい経験をしたなってことがあります。何にも邪魔されずとことん休んだことがあるということです。仕事もやめて、ダラダラしていたことがあります。
今思うといろいろ疲れたから休んでいたんです。たくさん泣いたし、自分のことを責めたし、でも先に進む感覚は全くなくって、そこに埋もれてしまいたかった。でも、いろいろいい環境だったのですね。たくさん休んだ。
その後、面白いことが起こりました。
何かに埋もれていた私は、急に出たくなった。体を動かしたくなった。
休んだ期間はどのくらいだったでしょうか?
わかりません。
そんなこと、すぐ忘れてしまうんですね。動きたくなって、数日経てば、実は休みが足りなかっただけなんだって、そういう結論を出したりして、次に進めたりしたんです。
休んでも、困ることはないんじゃないかな?いや、タイミング的には困ることもあるかもしれない。一つ言えることは、残念ながら、時間は流れていて、一方にしか進んでいないんです。
マラソンなんです。ゴールは自分で決めるわけにはいかないけど、そういう長距離ラン。
休み休み行きましょう。本気で休んでください。休んだって、大丈夫だと私は思います。それを責める人(自分だったりすることがあるかもしれないけれど)がいたとしたら、その人にも
休みませんか?
って誘ってみましょう。
そんなことを今日は考えています。あっ、あと10分で日本時間明日になっちゃう。連続投稿記録が切れちゃうのは残念すぎるので、ここまでにします。
ご縁があってここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今日も良い感じの一日になりますようにー
今日も貼っておきます。