言葉にすることの意義について
Day83 2024年11月20日(火)シンガポール時間 10:17
この日から、気分が変わり、自分の体と相談しながら、7、5、7、、、、kmと歩いてきた。前回7kmはちょっと走ってみた。
ほぼ自分の史上最高体重をキープしているので、このままでは膝が心配。でも10月からはじめていたプランク5分が良かったのか、歩いていたのがよかったのか、はたまた大腿四頭筋のストレッチヨガをつらくても泣きながらやったのがよかったのか、今日は10kmのジョグウォークができた。
来週のランの距離をなんとか達成した。
孤独なジムのトレッドミルジョグウォークの良さは、代謝が上がって肌がスッキリする気持ちになるのとなんと言っても長時間何かを聞きながらできること。
今日は、エックスでよく流れてきていたこれだった。
技術は自分で試行錯誤して習得したいという希望がこの歳になっても結構あって、本やらYouTubeやらで、技術的なことばかり並べられるとちょっと引いちゃうことがあって、それは、私の頭の固いところなのだろうと思い直し、こうやってお手軽に教えていただけるのも良いのだとフレキシブルに考えることも必要なのではないか、と前者と後者が脳内でせめぎあいながらも、聞き続けた。
好きを言語化するご利益についていろいろおっしゃっていたので、気になるなら読むか、Audibleで聞いて欲しいです。
わたしは、自分の気持ちを細分化してよく言葉にしてみることは、人が自尊心を持ち続けられることにつながるらしいということを受け取った。
私がエックスにつぶやいている理由や、このnoteに書き始めたことで少し生きやすくなったような気がするので、やはり書くことはいいことなのではないかとぼんやり思った。
ところで、
エックスで顔出してみたり、下手なのがわかっているのだから、恥ずかしいのにnoteに自分の意見を書いちゃったりすることは、もうやぶれかぶれで振り切ってやっていることなのに、その辺の気持ちを理解してもらっていないのだなって出来事があったので、この書籍を聞いている間ずっとそのことが脳裏に浮かんでしまっていた。
私が書く理由は、別に人に伝えたいからではないな、、、結局は自分のため。今までやったことのないことをチャレンジとしてやっているだけ。
こうやってなんらかの枠を作ってゲームすることを”縛りプレイ”というらしい。昔の私だったら”オタク”と呼んじゃう人たちには、私の知らない文化があって、いろいろ教えてもらえて面白い。
今では私も歴としたオタクなんだと思う。
あー、また話がそれました。
三宅さんのご著書を拝聴いたしまして、とにかく文章を終わらせるということを学びましたので、noteの毎日投稿で短いながらもなんらかの文章を毎日終わらせてきたことだけに、本日は注目いたしまして、
私、よくやったぞ!と自分を褒めます
言葉にする意義はまだ深掘りできていませんが、おいおいよく考えてみたいと思ったりして、本日の終わりの挨拶にかえさせていただきます。
ご縁があってここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今日も良い感じの一日になりますようにー
今日も貼っておきます。