あの人の世界を知りたかった 一 きっといつかは
Day64 2024年10月17日(木)シンガポール時間 12:00
「そうじゃないんです。」「安心したいんです。」
私たちは分かり合えなかった。
ありったけの言葉を連ねてやりとりをしても、声に伝えたいことや、感情を乗せられるだけ乗せても、何度も会って時間を過ごしても。
たまたま出会ってしまって、私はこの人のことをわかりたかったし、その人は自分のことをわかってもらいたかった。
一方は知りたい。一方は知ってもらいたい。そのうち前者はおかしいなと思う。後者は前者のことを知りたいと思っていないことに気づく。
お互いさまではない。
私の常識では、人付き合いはお互いさまが基本。
その常識で生きてない人もいるのだろうか?
分かり合えない両者。
やっとのことで、わかったことは
前者も後者も自分たちが何モノなのか、わかっていなかった。この出来事はわたしの人生にとってこのままでは重荷でしかなく、でも、もう過ぎ去った過去の出来事として知らん顔できるようなことではない。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、三日に一度は思い出す。そして、答えを探そうとしている。
そんなときに、今日、これを書きたくなったのはこの投稿を見たらから。
まず、自分を知ることから。
勘違いしないでほしい。
私はいい人ではない。
ただここに言われている、他人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう。
私はいい人ではない。
でも私の中にいろいろな人が住んでいる気がする。
それは困ることなのかしら?
それとも、ちょっといいことかしら?
それすらもわからない。
私は、答えを探しています。
あの人の世界を知りたかったし、いつかはきっとなんとかなるのではないかと希望を持っています。
私は人への注意力が高すぎる。
あの人はそうではなかった。人混みにいると困っていた。わたしの隣に座るときさえ、とても遠くに座った。私的には遠く。あの人にとってはその距離が居心地がいいのだろう。
お互いの匂いを感じない距離。
あの人は森羅万象を見ていたのかもしれない。今もきっと私とは違うところを見ている。見ようとしているのではなくって、そこにしか焦点が合わないので、多くの人が常識だと思っている世界では生きにくいかもしれない。
+M laboratoryさんの投稿を読んで。
もしかしたら、お互いに知り合いたかったのかも知れない。私は常識にとらわれてないフリをして、常識通りにあの人と関わった。
いつか、お互いに必要とする時が来ればいいなと思う。
心からそう思う。
とても一方通行で勝手な意思だけれど、いつか戻って来てくれたときに、私の準備が整っていますように。
ご縁があってここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今日も良い感じの一日になりますようにー
今日も貼っておきます。