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対話はラリーと同じ

Day38 2024年9月9日(月)シンガポール時間22:30

あっ、またあと20分。

”哲学対話”という言葉が流行っていて、、、、
(流行っているというのは、わたしのSNS、オンライン生活の中でよく流れてくる言葉ってことで、世間一般に流行っているのかどうかは定かではありません😅)

で、哲学対話に憧れています。


ところで、テニス部に入った時に、バッシバシ打ち合う先輩方を見て、とても楽しそうだったことが憧れでした。とは言え、何を勘違いしたのか、自分もあのくらいだったら、すぐできると思ってうずうずしていた、玉拾いだけの数週間だったような記憶があります。

やっとボールを打たせてくれる時になって、見ているだけだとできそうだったことが、やってみるとめちゃむずくて、
「あれっ、あのくらい簡単じゃないの?」
って思った自分がめちゃくちゃ恥ずかしくって、その自分を正当化しようとして、めちゃがんばって、一応、自分が思っていた”あのくらい”にはなったかな?みたいな経験があります。


なんでもそうですね。
かっこいいな、憧れる、自分もそうしたい、できるんじゃないか。
みたいな、心が惹かれる方へ行ってみて、自分もちょっとやってみる。それで、自分にしっくりくることがわかったりするんじゃないかしら?

しっくりくることを見つけられるのは、とてもラッキーだと思います。
「今のあなた、最上級にしっくりきてますよ。もうこれ以上は無理です。」
とか、そんなこと誰も言ってくれないからね。

この辺もっと話したいけど、もう遅いからこの辺で。

で、今日書いておきたいのは、憧れていた哲学対話、ちょっと今日はできたような気がするけど、正解なのかわかりません。

知を愛する。フィロソフィー

誰にも認められなくっても、知ることが楽しくてしかたがありません。

テニスで、
”いいラリー”
っていう言い方をすんですけど、それは、お互いに”なかなかのベストのショット”を打ってるのに、相手がちゃんと返してきて、それを自分もなかなかのベストショットで返せて、、、、その連続みたいなラリーのことなんですけど。

どちらかが手を抜いていたらつまらないのです。どちらかが未経験すぎてもつまらないのです。

切磋琢磨ってよく言ったものですよね。


でも、こちらが未経験なのに、少しよい相手になるまで、ぼちぼち相手してくれて待ってくれるパートナー、仲間がいるのもとても大切です。

こちらも、いいボールが打ち返せるように、がんばっておきたいなぁって思います。



哲学対話の話に戻りますが、自分が関心があって知ったことから感じたこと考えたことを話せる相手がいることは、本当に楽しいです。
それは、もしかしたら、知を愛しているってことなんじゃないかって、今日思いました。愛ってなんだろうねってわからないけれど、今私はなんとなく、自分は知を愛していると言いたいです。

誰に認められるとか、そんなことはないのに、なんだか嬉しいのです。

これは書いておいた方がいいと思って書いておきます。


ご縁があってここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今日も良い感じの一日になりますようにー


今日も貼っておきます。

変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.

ニーバーの祈り:Wikipedia


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Mo
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