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〇〇してあげようと思うくらいならやめたほうがいい

Day63 2024年10月16日(水)シンガポール時間 12:00

目の前で転びそうな人がいたら、不意に手を伸ばせるだろうか?

こちらの体が痛くって、その人の体が大きかったりしたら、ちょっと無理そうだと思って尻込みしてしまうかも知れない。

それが、自分の子供だったら、自分の体が痛かろうがなんだろうが、体を張って助けるだろうか?


人を助ける

とても難しいことで、私はよく考えている。時々、人から感謝されることがあり、その経験から自分ができることをしていると感謝されることもあって、嬉しいなという気持ちのいい記憶が、また機会があったら自分ができることをしてみようと思わせたりする。
とは言え、それは助けになることかもしれないし、ありがた迷惑になるかもしれない。
こちらの態度にもよるだろうけれど、受け取り手が望んでいないタイミング、やり方だと、大失敗に終わる。


大失敗のときに、大後悔することだって経験してきたから、
〇〇してあげようと思うくらいならやめたほうがいい
という教訓ができました。

では、その代わりにどう思ったときに行動にうつすか?
それは、
〇〇したいから、やる
です。

直感に任せます。迷ったらやりません。だから結局大したことはできないのです。
でも、また感謝されたりする。
そうすると単純な私は、何かできることがあったらやりたいなって思ったりする。

言葉にすると当たり前なんだけど、
できることだけしかできないんだよ。 キャパがない。脳みそもない。

感情がなかったら、もっと淡々と量をこなすことができそうな気がするけれど、感情があるから同情、共感、共鳴できるのだろうし、それはそれで役に立っていたりするのだろう、いや、役に立っていたりすればいいなぁーって希望的に思う。


ご縁があってここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今日も良い感じの一日になりますようにー

今日も貼っておきます。

変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.

ニーバーの祈り:Wikipedia


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Mo
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