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気分がドラマティックに変わった日を”ある運命の日”と呼んでもいいでしょうか?

Day79 2024年11月11日(月)シンガポール時間22:00

隣の部屋から中国語のスピーチの練習をしている声が聞こえています。母は、高校生になってやっとのことで、学校のことを、なんだかちょっとだけやる気になってきている息子のこと、おもしろくっておかしくってニヤニヤしています。

そんな普通の日なんです。

そうこうしてると、日々そうやって過ぎていく。


でも、今日は、ある特別な日と指定しておいてはいけませんか?


子供の時、子供がいる時、行事があったりして、なんとなく区切りがあった気がするのですが、こう、大人になってくると、そんな区切りもなくなり、いつのまにか、終わりが近づいていることだけを考えてしまいます。


ドラマティックな人生なんて、そうそうあるものではないのかもしれませんが、わたしは随分前から、みんなの人生がそれぞれストーリーであって、尊いと思ってきました。残念ながら、私一人では全員のストーリーを映画化やドラマ化することはできないので、とりあえず自分のストーリー、ただのその辺のおばさんのストーリーをこうやって書いてみるのはどうなのか、とそんなことも少し考え始めたのは、とにかく日記を書こう、という気持ちにさせてくれた人がいたからです。

はじめの100日は、ちょっと壁にぶつかって、何かを変えたかったから。その原因になった人にもいづれ感謝したいと思います。

それを読んでくれたお友達が、私の日記を褒めてくれたことがとても嬉しくて、それで、2回目の100日チャレンジをすることにしました。そのきっかけになったお友達には、今日さっき、お話しして感謝しました。また褒めてもらいました。

私はその辺のおばさんである前に、人であって、なぜか、悲しい人に出会うとこちらも悲しくなるという性質を持っています。そうでない人もいるそうだけれど、多くの人が同情や、共感して、心を痛めたりすることもあるでしょう。そういうことを考えている時、自分が何かをしたいと思います。できないことのほうが多いと思うけれど、何かしていると、気持ちが軽くなる。

何かっていうのは、人のためになっていたらいいなぁって思うことを自分が動いてやっているとか、言葉にして発しているとか、そういうことなので、それが善いのか悪なのか、実際にはわかりません。

とにかく、勝手に善いと思っていることをして、それが誰かに届いていると思ったり、もしかしたら届いていると勘違いして、心が軽くなったりします。
そうすると周りに寛容になれるし、一瞬でもとても気持ちがいい。
そういう経験をしているから、そういう経験をしたことがない人には、ちょっとオススメしたくなってしまいます。本当に大きなお世話かもしれません。

オススメするには、いろいろお伝えしたいことがあるわけで、うまく人に伝えるには言葉が大切で、ポッドキャストもやってきたけれど、相当のことはなかなか話しきれないのだなってわかってきました。

だから、書くしかなくなる。

自分の自己満足のために書く。もしかしたら誰かに届くかもしれないし、届かないかもしれないし。

そんなことを考えていること、それをここにタイプしている自分がいること。

そんな自分に気付けた日。あとはお友達とお祝いした日。そして、自分の気分がドラマティックに変わった日。姪の誕生日、娘から英語をご好意で習ってくださった女の子のお誕生日。
気分が変わったことで、昨日とは違う動きをしている日。
運命の日になりそうな予感がする日。


今日は、将来、わたしが”あの運命の日”と呼ぶようになる”ある運命の日”です。


ご縁があってここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今日も良い感じの一日になりますようにー

今日も貼っておきます。

変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.

ニーバーの祈り:Wikipedia


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Mo
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