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つたない自分を観察する

微創造のオートエスノグラフィー

Flier Book Camp のタイトル。何回見ても覚える気がないから、ぜんぜん覚えられない。

開催日を思い返すのに貼ってみる。Day4はこれからだけど。
DAY1:2024年4月18日(木) 20:00-22:00
DAY2:2024年5月23日(木) 20:00-22:00
DAY3:2024年6月20日(木) 20:00-22:00
DAY4:2024年7月18日(木) 20:00-22:00


その気があっても覚えられないのだから、その気を相当出さないと覚えられない。

覚えていることは、ドミニクチェンさんと渡邉康太郎さんのキャンプであること。

自分で毎日茶々入れしている、おとぼけ加減。

おとぼけの私の言い訳は、
”大事なことしか関係ない”
”大事なことしか目が向けられない、バカだから”

こうやって、ちょっと無理をするのを避けています。(←気づき)


To make a long story short (←と言っても長そう)

毎日、いや、週に4日程度、日記(オートエスノグラフィー)をつけて、メタ的に補助メモをつけるというような(と解釈した。メタテクノの意味がわかっていない)そんなことを課題にもらったのが4月。

日記は苦手
だから、声で残そうと声日記をはじめることにした。とても良いアイデアだと思った(←けど、今はその時はそうだったね、くらいの気持ちはかわってる)

毎日いろんなことが起こるので、日記に残すコンテンツを決めておかないと続けられないなって思って、振り返ることを普段しないし、音読するのが楽しいなって思った時だったから、2023年11月くらいから気まぐれで始めていた100日noteを音読して、振り返る部分は声で残してみることにした。(←一人遊び、一人ツッコミ、持続可能性の高い遊びか!🤭)

18回配信しました。


6月27日
夏休みに入り、
日本に二週間ほど。
アメリカの家について、ホッと一息していたとき、忘れていたわけではなくて、いつも頭の片隅にあったけれど、そっちに気持ちが向かなかった課題。「やらなきゃっ!」ってなって、とにかく日本で何をやっていたか、振り返ってみようと思い立ち、小さなスケッチブックを開いたのが、6月27日。
(↑A5サイズのスケッチブック、息子が小学校低学年のころのお下がり。表紙に何か描きなさいと言われたのだろう。落書きがしてある。中は2ページくらい描いてあったのをとてもがっかりしながら破ったのを覚えている。私は昔から画用紙が好きだったな、と思い出させてくれたのもこのスケッチブック。でも私は絵を描くなんてしない人だし、うーむと唸っていたのが2年前くらいかな。オンラインに住むようになって、いろいろなバックグラウンドの人たちと知り合いになった。オンライン繋がりのカメラマンのお友達がくれた写真が素敵すぎて、これをちょっと描いてみたらどうだろう?と何回か試しに描いてみたりしたんだけど、そんなのの一つ、富士山が1ページ目に描かれている。もっと時間をかけて色をつけたいな、とかよぎるけど、未だやらない。いつかはやるかもしれない。2ページ目からは声日記を聞いてくださったお友達が自分もオートエスノグラフィーをやりたいと言ってくれて、私の声日記のまとめのようなものとご自身が感じるところをLINEで送ってくれるようになり、それを受け取るたびに「うにゃっ、尊すぎる」となって、LINEに返事することではなんだか足りなくて、申し訳ないような気がして、いただいたLINEの中の印象に残った言葉や文字をこのスケッチブックに書いて、空いているところにきまぐれに何にも関係ないスケッチのようなものも加えてみたりした。きまぐれというのもなかなかむずいので、無理やりやった。今、見たら7ページなんらかが書かれて残っている。そんなスケッチブック。)




開いたスケッチブックには、書いてるとすっかり童心に返ってしまうペンを使って、振り返りをしたんだけど、そのページは童心に戻ったついでにもうとにかくいっぱい書いてしまおうっって書いたので、呆れるほどぐちゃぐちゃすぎて、めちゃくちゃ恥ずかしいけれど、キャンプの最終課題にはそのページを写真に撮って貼るつもり。もう、破れかぶれ。

さすがにここには貼れない。笑

(↑ この辺、まだ出しきれてない感じだけど。
SNSもそうだけど、出すことと出さないことにラインを引くことの大切さについては、ポッドキャストをやっていても気づいていたけれど。公言することの重さ。こうよく考えるとこのページには大勢の方に知っていただきたくない内容も書いてあるということでもあります。心理的安全性のあるところだけで開示することがバランスの取れた状態だと思う点。
これからもオンラインご近所、ポッドキャストをやり続けていく上で考えて行きたいこと。)


6月22日
6月20日分キャンプアーカイブを拝聴。
ちょっとお酒が入っていたのもあって、はじめの20分頃まで見て、涙が止まらず、Campのアーカイブにコメントを投稿。
今読み返しても何言ってるの?って感じのコメントだけれど、残しておいたので、見返すことができる。感情がたかぶり、実は他にもDMをしたりしているのだけれど、今見返して日付がわかる点は良い。残すことの大切さは少しわかる。

もちろん感情丸出しで、恥ずかしい。

過去の自分がやることに、責任を取れないようになってきている。



7月2日
また気を取り直して。
何かを残さなければ!
とBook Campのウェブを開く。
あっ! 卒業制作を企画されるとのこと。今日の分の日記を提出すればいいらしい。今日の分ならなんとかなるかも!
とやる気が少しでた。提出したのはこちら↓


7月9日
7月17日が最終課題の提出期限。聞き終わっていなかった6月20日分キャンプアーカイブを最後まで拝聴。


7月10日
前日に書いていたnote。自分では”こんなこと”を書く人間だとは思っていなかったのだけれど、なんか残しておきたい衝動で書いたもの。


ちょうどこのnoteを公開した日に、ドミニクさんのこの言葉を聞いた。

”自分の記憶をケアできていないという気づき”

私は自分の記憶をケアできておらず、それをなんとかしようとじたばたしてきたのだと思った。

わたしにとっては人に言うようなことではないと思っていたので、本当のことを書いていなかったのだけれど、100日noteをはじめた本当のきっかけは、自分ではどうすることもできないわだかまりが私の中に存在していて、それをなんとかしたかった。
とにかく、このままではいけない。何か新しいことをしなければいけない。

本当の理由はそういうことです。

こうやって小さな嘘とか、言わないこと、そういうことが私にはあるんだなって、薄々わかってはいたけれど、そういう人間だなって改めてわかったし、はじめて書きました。


さて、キャンプのアーカイブ視聴からの気づきの続き

継続していれば発酵する

“ひっきりなしに書けと言うの
は、それが「自分に関する証
拠」すなわち「自分証拠」を作
成することになるからだ。

キャンプのドミニクさんのスライド


この講座を受けることが決まっていたから、note100日を思いついたのかもしれないなって思いました。
全部振り返れてなくて、書いただけで放っているのだけれど、とにかく書いていたとき、ドミニクさんのNotionに記されていた効果がわたしにもあったような気がするし、いろいろなことが、発酵しているのだろうなってぼんやり思ったりしています。

私はツイッター(エックス)に住んでいるのですけれど、エックス住人という表現も時々面白がってくれる人がいますが、エックスで毎日放っている投稿も、いろいろな思いが詰まっていたりする時もあるし、ただ言いたいだけと言う時もあるけれど、その辺小さな嘘と言わないことが混じり合っているな、そんなことも気づいてきました。

これは、とても大切なことなので、今日ちょっとがんばって書いてみた。

あとがきのようなもの↓

夏休み中大学の単位を先取りするオンラインコースをとっている娘がカフェで勉強したいというので、一緒にきて、書き始めて2時間。

この夏休み中カフェに来たのはもう6、7回目なのに、やっぱりもうすぐ最終課題の提出日だからなの。

康太郎さんのキャンプを2シーズン、谷川さんのキャンプを1回、これで4シーズン目のFlier Book Camp

最終課題を出せるのはもしかして、はじめてかも!笑

何もかもがつたなすぎる、ままならない毎日。



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