日記 2024/9/1~11/1くらい
こんにくわ。
このところ漫然と生活していたので、書きたいこともまとまらず更新がすっかり滞っていたが、半年くらい考えていたこととか読んだ漫画の感想とか書く。
・リビドーを育成せよ
いきなり下ネタですみません。でもまあいいでしょう。
最近、すっかりムスコの勃ち具合が衰えて困っていた。
勃起具合はまだしも、ポルノを見たときにアドレナリンがあんまり出なくなってきており、これはかなり寂しい。
Xやインスタグラムが次々にポルノをサジェストしてくるから、刺激に順応してきてしまったのかもしれないし、運動不足かもしれないし、単純に老いなのかもしれない。原因は色々考えられるが、やっぱり勃起したいものだ。
極限に勃起して、抑えられぬ魔羅を抱え込んで紅潮し、脂汗を滾らせたい。
できることなら、公衆浴場で勃起して周囲をびっくりさせたいし、服を着ていても目立つほど逸物を膨らませて、人間たちを困惑させたい。まあ、お縄につきそうだからやらないけど。
インターネットで、ルービックキューブの大会で新記録を更新して、喜びのあまり怒張させた少年の動画と、白昼の中笑顔で立ち尽くして触らずに射精する男性の動画を見たが、羨ましかった。ゲイではない。彼らの自在勃起スキルに憧れる。蘆屋道満だって、ラスプーチンだって自らのチンポ一本、精力一本で国盗りをしたのだ。誰だってチンポが好き。南方熊楠も相当こだわっていた。
そして、思うに、接触を必要しない勃起には魔性の力が宿る。
誰しもを惹きつけて止まないからだ。実態は液体を通すだけのパイプに過ぎないのに。まさに魔茎。
10年ほど前、当時Twitterに陰茎を魔茎と称して、若者を囲いまくっていた性欲旺盛な老婆が居たが、極めて元気そうだった。さすがに10年も経った今はもう耄碌しているだろうが、魔茎の魔性侮れぬとあの時思った。
珍棒が好きな人は、男女問わず、たくさん見てきたが、嫌っているひとはほとんどみたことがない。いや、皆表明しないだけだろうか。しかし、わざわざ好きと公言するひとも稀だから、観測できるチン好きと観測できないチン嫌いの割合は、結局チン好きとチン嫌いの割合はチン好きの方がずっと多いものと思われる。男にとっては、誰もに備わる必殺のブルータル・メイスにして女性にとっては愛すべきディルドー。いや、時には男にとってもディルドー。
そう、つまり表明しない。女性には想像及ばぬところだろうが、男性同士にとっても逸物を披露しあう機会はそうそう無い。いや銭湯ですれ違うだろうと思われるだろうが、99.99%が非戦闘態勢、つまり萎んだオフの姿だ。まあ、逸物が怒張して涎を垂らしている時というのは、本人もその飼い主も欲情しているときがほとんどだから、情事の際以外にそうなっていたら恐怖である。
そもそも陰茎は本人にもよく見えていないものであり、つまり持ち主の視点から見えるのは上側の一側面だけで、他人に披露する時に露呈するのは、下側の一側面だけだ。
人体への接続部である鼠径部は傾斜が付いているので、実は持ち主と観測者では大きさの感じ方が異なる。そして、持ち主が観察する時には手のひらに伝わる感触が大きいので、実際の硬度や熱量は正しく自覚できない場合が多い。
逸物は存在感故に誤解されがちだが、常に一側面しか見せない複雑な多元構造をしており、まさに陰部と呼ぶに相応しい。
ところでけっこう昔に騒動になったアイクぬわらは、自分の逸物に「シゲちゃん」と愛称を付けていたようだ。これはさながらファイト・クラブ。時に宿主を洗脳してコントロールする危険生物。まあセクハラはモラル的にアウト。
さて、用途の有無はともかく、勃起している間は、自分の雄性を実感できるのだ。勃起している間は、自分は何者なのか、何をしたいのかはっきりするし、それを喪えば、すなわちアイデンティティの喪失と言って差し違えない。
リビドーが薄れれば薄れるほど、外見も内面も努力のモチベーションは下がる。
まあ、性欲をたぎらせ過ぎれば、いずれ抑えきれなくなって犯罪行為に繋がってしまうだろうが、性欲が無く搾りかすのような薄い精神性でのうのうと生存するよりは、我慢し続ける方がずっと楽しいだろうと思える。
何が言いたいかというと、首題のとおりリビドーは育成する必要があると思う。
滾らせに滾らせ、極限に至った時に、人は全身全霊を発揮できると思うのだ。
諦める口実や、小出しにして落ち着ける方法はいくらでもある。
というか、我慢することを倦んで、ストレスから逃避してぐちぐち発散しているのが自分の現状だ。
Xのタイムラインに素晴らしいポルノイラストが流れてきても、吟味せずとりあえず保存してスクロール、andスクロール。結局、後でフォルダを見返しても、見覚えのあるイラストはあんまりなくて、なんだ!?このエッチ・フォルダは……となるのが日常だ。
そういったイラストは吟味に吟味して、それこそ美術館の企画展にやってきたゴッホのひまわりを、ここぞとばかりに観察するミーハーな観客のように味わって、「はぁ…憧れるぜ…俺もいつか…」という気持ちを育てていきたい。
twitchでセクシーな配信があれば、コメントを送信したい。刺激から逃避しない。劣情からの逃避を癖にさせない。
内側で、日頃の劣情を煮詰めて、まあ、イラストを描くときに爆発させたい。
でも、他人に向けたら恐怖だし、そもそも性欲を必要としてない人は例外です。はぁ。
・ゴルゴ13(劇場版)をみた。
性欲の文章で一本分くらいになっちゃったから別記事にしようかなと思ったけど、書く。
ゴルゴ13といえば、原作漫画ではなんか900話くらいありそうだし、アニメ化もいくつもいくつもあって追い切れるイメージは無かったが、この作品は単話で独立しているらしいので、見てみた。
面白かった。
思えば、最近、ブラックジャック(劇場版)や銀河鉄道999(劇場版)も見たのだが、ぜんぶ80年くらいの作品だったし単話完結型だったから、そういった時代の長寿シリーズはこのあたりの時代に総集編を作っておこうみたいな風潮があったのかもしれない。(後から調べたらこの作品は73年だった)
いずれにしても、★5を付けられる素晴らしい作品だったので、ぜひおすすめしたいところ。
で、自分はというとゴルゴ13はまったく初めて見たので感想はとても浅いものになるだろう。が、書く。
・ゴルゴ13は、意外と近接戦闘もするんだなぁと思った。
スナイパーなのにメインウェポンが小銃ってどうなっとんねんと思ったけど、ポジションへの進入時とか離脱時とか結構狙われて戦わざるを得なくなっているので、大抵対応できるアサルトライフルを所持してるっぽい。まあ、おおよそ連載当初は取材困難だったから設定が甘かったんだろうけど、こういったリアリティはとても好感。
アサルトライフルを使い切ったら拳銃も一応あるし、ナイフでも戦う。どの戦い方でも強いのは当然かと思いきや、アクロバットで超人的な闘い方をする敵に比べると、直線的で割と現実的な闘い方をする。他のシリーズは知らないが、少なくともこの劇場版は、デューク東郷の内面に迫る内容だから、主人公がリアリティがあるのは良い。
・殺人者の目
ゴルゴ13はモテるけど、マジで喋らない。ハードボイルドなのだ。喋れば喋るほど言葉の価値は軽くなり、やがて雲のように浮く、とトリコの鉄平は言っていたが、間違いないだろう。
喋らないし目で語ることもないが、デューク東郷のプロフェッショナリズムは多弁だ。シリアル・サイコ・キラーのスネイクやら、過酷なサバイバル・人体実験からSURVIVEしたゴールド・アンド・シルバーといった同じ殺しの世界で生きる物や、ギャングスタやらFBIやらが出てくるが、ゴルゴのプロフェッショナリズムは一線を画していた。劇中のセリフでもサラッと言っていたが、どう見ても殺し屋以外の家業ができるような人間では無い。
永遠に人殺しを稼業として続けて、大事な仲間も居るから、人の命の重さも実感しているが、なお殺し続ける。それしか無ぇから…
眉間の皺はそういった苦悩の証だろうし、たぶんそれははっきりと刻み込まれて薄れることはないだろう。
いわば哀愁だ。
ただ眼前の一本の道を生業にして、それに殉ずる。
ゴルゴ13が最も流行っていたのはたぶん70~80年くらいだと思うが、バブル期のさなか、経済的に充実して、「何でもできるけど結局何物にもなれない」っていう絶望感がひっそり蔓延していた世間にとって、そういったハードボイルドなプロフェッショナリズムはある意味まぶしく感じられたのだろう。
自分が思うに、その後、デフレの到来と共に、哀愁というのはありきたりで凡庸な存在になってしまって廃れたのだろう。
この作品は間違いなく名作だが、今時流行るとは思えない。流行は世相を反映する。
デフレ時代に流行っていたのはビジュアル系バンドみたいなやつらだ。つまり、セフィロスであるとかベターマン・ラミアであるとか、トロワとかウィングガンダム・ゼロとかストライクフリーダムガンダムとか…要するにアイドル然としていて、到底ふつうにサラリーマンとかやる感じじゃない奴ら。
デフレになったら、みんなシリアスになって働かざるを得ないから、むしろカタい職業に就けなさそうなアイドルに魅力を見出したのだ。と、思う。90年代後半くらいの作品は全部暗い。旧エヴァンゲリオンとか、ゼオライマーとか、例をあげればキリがないが、バブルの反動120%といった感じだ。で、アイドル。これは2000年代くらいの話だ。
2000年後半くらいからはAKB48とかが流行ってた。一周して享楽的になろうとゆう感じだろう。
テレビでは音楽番組かバラエティーばかりやってて、全部AKBとジャニーズ、あとEXILEだった。ガキだったからそんなもんかと思ってたけど、今思うとちょっとどうかな~みたいな。
というか、当時はAKBのメンバーもギャル風メイクもギャル男も、可愛いしかっこいいしで、狂いそうだぜ…と思っていたが、今はほとんど魅力を感じない。時代をひとつ超えてしまったんだろう。これは自分の老いを多少実感する瞬間のひとつだ。
ではこの例話の時代、最近はやっている奴らはどんなんだろうと思って検索したが、男性は山崎賢人、吉沢亮とかで、女性は吉岡里帆やら今田美桜。まあ、アイドル然としたやつらだが、まあ、ヒョロガリはあんまりいない。僕の解釈によればインフレーションの波を受けて、ふたたび時代は流転している。ちなみに、男性ランキング第4位に阿部寛が居た。ハードボイルドブームの先触れだろう。
閑話休題。
・CGはガチゴミ
まあ、80年代としてはしょうがないが、CGの出来だけでマイナス70点されてもしょうがない。実際、この映画は売り上げ的には相当コケたらしい。無理もない。アニメーションパートの演出が、アニメ表現の完成形みたいなレベルだったのにいきなりボウリング場のアニメーションみたいなのを挟むから… いやもう、ボウリング場のアニメーションも変わってしまっただろうか。でも、プレステ1とか64よりだいぶ前の時代だろうから。いや、このCGすらそろそろ一周回って素晴らしく見えてくるはずだ。
今時は、blenderやらアセットやらGPUやらが充実してるから、逆に粗末な3Dモデルを作る方が難しい時代だ。
水木しげるの猫楠の感想も書こうと思っていたが、疲れたから終わり。