金の目、長い尻尾、黒と白の毛をした、とても気の良い猫がいて、私は、の話
飼っていた猫、ややが2021年12月29日午前に突然死んでしまった。
(Twitterでは大きい猫・猫(大)と書いていた)
翌日30日に火葬をお願いして帰宅、骨は31日に引取。
朝と夜、少しだけ雪が降った。
2004年8月5日に拾ったので17年の付き合いだった。
死ぬのはまだ早いと思う。
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火葬へ行かなくては、行ったことのない場所だから地図と時間の確認・質問の電話、他、頭の中で段取り取って花を購入、必要箇所へ電話、猫を入れる箱の準備、買う物、箱へ入れたい物、と必要な事柄を進めることができる、でもふと置いたハサミやペンの場所を一瞬で見失う、それが何度も起こる、でも全部すぐ見つかる、涙は出るし時々声も出てしまうが泣きっぱなしで動けなくなることもない、いわゆる「滞りなく」準備が出来てしまった。
黒いマット・白い花は毛の色に合わせた。猫を入れる箱は作った。赤いリボンは以前「私とややに」と貰ったプレゼントに付いていた物。赤いチューリップは色もだが、ややの屈託なさと明るさにぴったりだと思う。
足先まで拭いて、なでながら体全体の毛をとかしたら、死んでしまった猫とは思えないほどピカピカになってしまった。「早すぎる」と改めて思った。
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猫を入れる箱を作ったのは、ダンボールに入れたくなかったし、他準備が済みもう段取りを考える必要は無くなったし、何かを考えるのには手を動かしながらがいいし、そういう時間が欲しかった。
泣いたり、途中で失敗してやり直して「何やってんのかな」と自分に呆れたり、ややとの暮らしを思い出したり取り返しのつかない気持ちになったり、考えが二転三転として、そのせいかやたらに時間がかかってしまった。たいした出来でもない。でもそれでも作ってよかったと思う。自分の満足だけだが。
他、箱の中へは私の名前にちなんだ紫色の花、写真、手紙、私とややが育った町の修道院で手に入れた十字架などを入れた。あとややのヒゲをもらう代わりに自分の髪の毛を少し切って入れた。
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「個別火葬して欲しい、骨が欲しい」とは思っていたが自動オプションで読経(葬儀)がついていた。ありがたいと言うべきなんだろうけど何に祈って何のお経をあげられてるのかわからないのが少々居心地悪い
(※次の日骨を引取に行った際、人が少なかったので伺ったところ馬頭観音へ祈っていたとの事。
お経の種類も教えていただけたので後で調べる)
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ひと段落したからか、寝不足なので感情の起伏が激しくなっているからか、初めて行った動物葬儀場かつ年末で普段より混雑していたのもありシステムがわからず流れから外れた行動を何回もしたみたいでそのたび注意されたのが地味にしんどかったのか、自分自身への腹立たしさなのか、部屋に入り、玄関を閉めてから
「祈ってもなんにもならなかった」とふと思ってしまって口にも出てしまった。
普段から「長生きして欲しい」と思っていた。クリスマスにも祈った、正月飾りを作っている時も祈った。けれど「もっていかれてしまった」なにか足りなかったのか間違ってたんだろうか。
「祈っても何にもならない」じゃなくて、
「大好きな者(生物)にずっと楽しく生きていて欲しい、一緒にいて欲しい」という願いは「寿命があるから叶わないものだ」と「わかったような」頭になってしまっている。そう考えたら、暗くて深い谷底へ「祈り」という石を投げ続けているような気分になってしまった。それでも、
それは最後に書く。
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うちの猫ややが、どれだけかわいらしく気が良かったか書く。
素晴らしい、こんな猫がいたと知ってほしい。
長いし思い出ばなしだから、読みたくない人は
「▼▼▼から▲▲▲まで」飛ばしてください。
(初めて使うので目次の使い方がまだわからない)
でも出来たら、読んでほしい。
(※さらに欲を書くと、Twitterで「#白黒のねこ」と検索→最新ツイートを押すと過去の平和なややの日常写真や動画が沢山出てくる。そっちは暗い影なく大変かわいだけなのでお時間あれば見てください)
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お腹を出し媚を取るようなポーズをしない猫で、なでてほしい時には「絶対になでられられなければならぬ」という顔で向かってくる猫だった。
拾った日も、迷いなく道路へスパーンと走り飛び出して、私の前を走っていたスクーターのどっかにひっかけられ?コロンと転がり、驚きすぎたのか痙攣して漏らしていた。そこを保護した。翌日、検査と処置をしてもらった病院のゲージの中で「なにこれ?ここどこ?だせーーーーー!ここからだせーーー!」と怖がりも物おじもなく大声で鳴いていた。
(ひっかけられたのか、あおられて転がったのか不明だけど幸い無傷だった。よかった。)
病院から引き取り飼うことにした。家を出る予定があったし「縁が出来たな」と思ったら避妊手術をしてまた野良猫に返すのは後ろ髪引っ張られ過ぎた。
実家にいた犬猫へ平気でじゃれつくので、とても嫌がられた。20分以上輪ゴムひとつで夢中になって遊ぶから見ていて「集中力と体力が恐ろしくすごいな…」と思った。
若い頃は、部屋の中でもとんでもないスピードで走り回っていたので、人間が気づかない内にどこかにぶつかっていたらしく犬歯を折っていて一本しか残っていなかった。
悪いことをしている時に「駄目!」と声で叱っても
「手が届かない所にいるから声だけだ」と判断してやめない頭の良さ…ずる賢い所があった
布団の中へ潜っている私を起こすため、わかっていて上から体を踏んで行った。
寝ている私のお腹へ1メートルくらい上から飛び降りされた事がある。直後じゃないと叱らないルールを自分で決めているので叱れないしそれはともかく本当に痛くて痛くてうめいていたら、猫でも「これはまずいな」と思ったらしくそれ以降お腹の上には飛び降りなくなった。
好奇心が旺盛で、「登ってはいけない所」とおそらく本猫もわかっていながら飛び乗って、私のお気に入りだった器を落として割った。
好奇心が旺盛だから、でも旺盛なだけなので相手のパーソナルスペースを無視して散歩してる犬、外を通る野良猫へスイッと近づきジッ…と見つめるから「何こいつ…意味わかんない」と怒らせたり怖がらせていた
初めて家に来た動物嫌いの友人が、猫に対して気配をなるべく消しているのに平気で猫の信頼の行動「お尻見せ」を一方的にやり、行動の意味をしらない友人を困惑させ、そして隙をみての膝もたれもして、でも友人は「ひとんちのねこだから…」と追い払えず、それを見ながら「猫が猫を好きな人がわかるという話、そうでもないな…」と思ったりした
誰になでられても抱っこされてもいい猫だったから小学生数人からもみくちゃにされなでられまくり、帰宅後人疲れしてる人見知りの私よりぜんぜん平気な顔して「えさくれ」と鳴いた。
長く付き合った人と別れ長く住んだ家を引越し、相手に「猫をこちらで引取ろうか」と言われて、どっちの方がややが幸せかなと悩んで、最後は自分の気持ちを優先しちゃってご遠慮し、一緒に新しい部屋へ入った。ややはすぐうろうろして部屋を確認し、納得し、なじんだ。
旅行時1週間〜10日程度人の家で預かりをお願いし帰国して引取の日、私は久しぶり会えるうれしさあったが、ややはひとんちで快適だったらしく「いたの?」みたいなくつろぎと普通なテンションの顔してたし私を見ても特に出迎えはなかった。
「満足する面倒をしてもらえるなら今の飼い主じゃなくてもいい」そんな図太い所が本当に大好きだった、人は何があるかわからないから安心できた。
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10年以上人間対猫のみの関係でやってきたのに、2018年に私が拾ってしまった小さい猫が突然あらわれて正直嫌だったと思う。その上小さい猫は初対面からややの事を好きになってつきまとう様になった。
↓ 猫(小)を拾った経緯と猫(大)と猫(小)のやりとり
(クリックでtogetterへ飛びます)
(その際は欲しい物リストからの贈り物本当にありがとうございました。助かりました。)
幼い小さい猫のテンションをとても面倒くさがりながらも、血を見るような揉め事はせず避けてくれた。
くっついて寝たがる・じゃれる小さい猫に困惑していたが、怒らず、場所を移動していた。まあ、移動だけでなく軽い実力行使もしていたかもしれない
↑布の中にいる猫(小)をちょっと踏みながら「なでろ」と訴えるやや
ややは運動神経が良かったので猫じゃらしは殺す勢いでじゃれつき壊したし、パンチは見えない。
ひどい噛み癖があって「こっちも噛んで痛さを教えてやろうか…!」と思った時もあったのに、いつのまにかその癖がなくなり、嫌な時はまず人の手をなめて意思表示をする高度な技を覚えていた。
先住猫であるややを優先するけれど、あまり人間が猫と猫との関係に介入するのはよくないのでは…と基本放っておいたら、いつのまにか争いが減っていた。
いつのまにか話のわかる猫になっていた。
シニアの年齢だった事もあるだろうけど、もしかしたら私が、そうさせてしまったんだろうか。過去に何をして叱られたか嫌がられたかを覚えている猫でもあったから。
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普段はお腹を出さないけれど、なでられると丸くなってお腹を出してしまう猫だった。
機嫌良く喉を鳴らす猫だった。猫を吸うと毛がつくから…とややの体に顔を寄せて息をプウッと吹きかけても怒らず喉をゴロゴロ鳴らしていた。いつでも抱っこできたし、どうなでてもゴロゴロ喉を鳴らし喜ばれた。なでてなくても私の顔をうっとりと眺め、それだけでちょっと喉を鳴らしていた。
頭が小くて長い足・すらっと長い体・淀みなく伸びた尻尾・金の目・真っ白な毛・黒い鼻・黒い肉球、デザイン的に美しい猫だった。
足が見えないくらいきちっと香箱を組むから「鴨スタイル」と呼んでいた
マズルが小さいので顔がスッキリ見え造形的に漫画ぽいかわいさがあった、でも少しカワウソにも似て、そこに愛嬌があった
私の腕に頭を乗せてくるのを見ながら「顎から頭の形が桜貝にているな、華奢できれいな形だな」と思っていた
満足している時の顔はまるで「蒸しあがった出来立ての饅頭」のようで、気のせいでなければ「しあわせ」を現実であらわしたような表情をしていた。なでている私もその顔をみて心が一杯になった。
体は黒白はっきりわかれているのに、足元に細かく黒い毛が飛び散っていて「いたずらで机に飛び乗り生乾きのインクを踏んでしまった猫のようだ」と愛おしかった。
私の本名の読みは「黒白」とも書けるので「白黒のねこ」に縁があるなあ、と勝手な愛着を持っていた。
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最近少しだけトイレを失敗するので、今月段差の低い猫トイレに変えたら粗相もしなくなった。ややが時折食べ物を戻すのと、小さい方の猫が突然おしっこを漏らす事があるから、今季の冬はすぐ洗えて大きなサイズのシュラフに変えたら2匹が同時に入るようになり一緒に寝られて嬉しかった。ややは小さい猫にくっつかれるのが嫌いだったから、離れて入れる余裕のあるサイズにした。今年やっと関係が安定したな〜と思った。実家の事等々で生活や心が少々崩れてるけど立て直していくぞ、運動もはじめたし私もやり切るぞと思っていた。
ロフトの二階で寝てるから、降りられなくなる日が来るだろうなあとステップ幅の広い梯子を買ってあった、まだ一度も出してない
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実家では親が拾ってきた動物が常に複数いて(虐待は無いけど)かわいがっていても病気寿命で死んでいくから、猫を拾うのはためらった。20年は生きるだろうと思ったから育てられるか不安はあった。でも拾ってよかった。途中で人に渡さなくて自分で飼い続ける事を選んで良かった。実家の動物を見ていたから「ここは孤児院だ、わたしは孤児院の管理者だ」と思う様にしていたつもりが、やっぱり思い入れが強くなってしまった。とてもとてもかわいらしく気の良い猫だったので。
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はっきりした性格に油断していたと思う。
Twitterにたびたび書いていたけど、最近本当に忙しくて9月あたりよりも最近は猫の相手をする時間が減っていた。
ややは要求があれば訴えるだろうとか2匹いるからいいかなとかこれが落ち着いたら猫にもいい状態になるとか考えていた。
ややは「要求がはっきりしている」「おおらか」「細かい事を気にしない」と私が思いたかっただけかもしれない。「""大きい方の猫""と書くのは体が、というより存在が偉大すばらしいから」みたいな事をTwitterに書いたがお気楽すぎて頭をかかえたくなる。
「忙しい」事をこなすのに、何かと引き換えにしていて、時間、他にやりたい事、猫
忙しさで油断してなかったらもしかしたら
「年内に絶対やるべき事おわった、次は年賀状か、でも今日は少し調子が良くない、疲れてるのかな二度寝しよう」と油断した隙に「もっていかれてしまった」と思った。「落としてしまった」かもしれない。わたしが忙しくなければ、もしかしたらもっと生きられたんじゃないかと考えて恐ろしい気持ちになる。
死ぬ時はあっけなくて、ゆっくり動かなくなった。口の中のピンク色がだんだん色褪せていった。
私の作業がひと段落した寒い日だった。遺体を冷やす氷もいらないくらいで、吐いたけど布団を汚すような場所でなくて、漏らしもせず、年末で私には時間がある、私はなんにも迷惑をかけられていない、そんなの喜ぶことではない。
小さい猫が育ち落ち着きが出て、猫同士の関係も変わってきて、不安もあるけどまだまだこれから楽しくなると思っていた。自分が生まれた町で拾った猫だった。その繋がりもまたひとつなくなったなと思った。そんな事はややには関係ないのだけど。生きていて欲しかった。スティグマばかりが増えてしまう。でもややを拾った事をスティグマにしたくはない、そんなのは本当にいやだ
以前、Twitterでトルク時枝さんが
とツイートをしていて、読んだ時「そうだよな」ととても納得した。わたしは納得しないとやらない。
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「祈ってもなんにもならなかった」の話を改めて、自分のために書く。
生きていて欲しいものとの別れは、相手と同時に死なない限り絶対にある。でも祈った過去を後悔したり、憎しみをぶつけるのは間違っているのはわかる。人にも自分にも祈りが必要なのもわかる。祈りと書くと大層だけど「幸せになりたい」「長生きしたい」もっと気軽に「明日晴れるといい」「おいしいご飯食べたい」等々、そういうのって大切だし大事なのもわかる。祈りは無いと心が死ぬ。祈りは期待と言い換えが出来て、いまの私は期待するのが怖くなっている。
でも、少しずつめちゃくちゃに崩れた部屋を片付けたい。そうでないと自分を自分でかなしいものにしてしまうんじゃないだろうか。
片付ける事が正しいし、私には必要な事なんだと考えるけど、私はどう思う?
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箱の中のややに花を入れるのは屋外、ベランダで行った。
カーネーションは猫に良くないと聞いたので。
小さい猫は網戸越しにのぞいて見てたけど、死んだとはわかってないんじゃないかと思うし猫にそこまで期待してはいけない。いけなかったんだろうかと考えると、どうしたらいいかわからない。
ずっとお前といるつもりだったわ