解体は進む が、私はまだ立ち尽くしている (家と自分の話ばかりです)
※思いついて急に書いたし、文章は元々うまくないので粗すぎ赤裸裸なんですが、それもドキュメンタリーとして楽しんでもらえると、はい。
後日修正するかもですし削除するかもです。
実家の解体が終了した。更地になった。
これが1番良い判断のはずなんだが、実家終いをすることに、重くて黒い霧が心の底に溜まっていくような罪悪感がある。
実家の解体は私にとって「私につながる家系と思い出と呪いの葬儀で火葬」だった
もはや私しか知らない私の一族の、私まで続く、私と実家の記録と呪いの話を書かせてほしい。
荒い感情でも、そこにあった記録として残さないと消える。
読んでくれたら本当に嬉しい。
明治時代あたりだろう、名古屋市に出て、中区に住み、昭和の初めに生まれた土地へ戻り、7人の子ができ、
祖父が土地を継ぎ(ここははっきりしない)
養母(姉)と実母(妹)が生まれ、
おそらくなんの計画もなく、事故に近い状態で私の知らない父と実母のあいだに自分が生まれたらしい。
祖父には溺愛され、祖母にはなんとなく疎まれ(そういうのって子供はわかる)養母には相反する態度をとられ、実母は私を産んだ記憶も忘れ、子である認識もなかった…と思う。
悪意に気付きにくい性格だったので、元気に楽しく幼稚園・小学校へ行った。
幼稚園ではお昼を食べるたび吐いていたので横にバケツが置いてあったし、小学生になったら病気でもなぜか学校を休む話が出なくなり、私も「そういうものかな」と思い、発熱しても学校へ来て出席だけとり即帰宅、を何度もやり皆勤賞を取ってしまった。
保健室の先生に「それはやめてほしい。休んで。」と言われたが、今思えば子供に言われても困るんで大人に言って欲しかった。
実家には動物がやたらいて、祖父が飼っていた鳥、養母が拾ってきた猫や犬の動物らが私の相手をしてくれた。ウサギも2匹いた。相手はしてくれないけど魚やハムスターもいた。たくさんいて、寿命等でたくさん死んだ。
動物は好きだけど、「死ぬのが普通になる家」っていやだな…と思っていた。
あの頃は、本を読んでれば満足していたし、球技も、絵を描くのも大好きだったし、眠ればいい夢/悪夢にこだわらず不思議なモノが見られるし、布団に潜り強く目を閉じればキラキラ光る残像が出てくるし、近所にはきれいな石のある場所があって、近所の山からは湧き水がでて、緑が多くて花が咲く。何百年と続く寺も美しい修道院もあったし、おいしいラーメン屋があった。
好きな物が多かったから悪意に気づきにくい子供だった…と思っていたけど、「なぜ養母や祖母からこんなことを言われるのかな、されるのかな」という記憶も覚えているということは、やっぱり何か引っかかっていて、好きな物だけ見ることで無意識に避けていたのかもしれない。
血縁者がいなくなってから、わかる事が多すぎて、なぜか私よりご近所さんの方が知っていて、それを聞いて納得する事が多々あり、この感情はまだ言葉に出来ないんだが…わたしんちってなんだったんだろうか…と思う。もういないから思うだけになる。
「本当の所」はもうわからないし「真実」は人によって違う。詳しくないが、真実を確定できるの裁判だけだよね
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(あとは「少なくともこの場所に住む事はできないな」と思った。
ご近所では触れてはいけない家扱いだったんだと思う。それについても心当たりがある。悪意に気付かない鈍感な元気な子供で、本当によかった)
私が知らずご近所さんが知っていたこと。
•もう死んだ、離れた場所にいる、等々言われた顔も知らない父親は同じ市内にいて、どうやら自分は高校生のころ、父の実家の近くを通学路にしていたらしい
(これは意味がわからなさすぎて、ちょっと笑った)
•養母が「私からデジカメをもらった」「あれをしてもらった」等、ご近所へ自慢?しにいったあげく、写真のプリントができないからやってくれ、とお願いしていたらしい。私はデジカメをあげてないし、 なぜカメラ屋へ行かんのか…?と思った。恥ずかしかった。
不思議なこと。
•高校卒業だかに何故か記念樹?として桜の木を植え、その後「伸び過ぎたから切る」と言われ「植えるところも見てないし、最近家にいないし、知らんけど…」と思ったが、「そうなんだ」と答えた。やたら立派に成長した桜の木は勝手に植えられ勝手に切られ、かわいそうだったと思う。満開のところを見た覚えがない。
•実母の成年後見人をお願いするとき、簡易裁判所で実家の通帳を確認したら
これも自分にはわからなさすぎて、他人事みたいに笑ってしまった。
意味のないリフォームを繰り返した書類が出てきたので、それかもしれない、わからない、もういないからわからないし、あんまり知りたくない。呪いが増える。
養母も、認知をおかしくしないと、やっていけなかったんだろう。
想像だが、障害のある妹(実母)を支える頑張り屋の姉として生き、私が産まれたことで、おそらく付き合っていた男性と別れることになり(小さい頃、養母と2人、東京まで私の知らない男性へ会いに行った記憶がある、どんな話があったかは知らない)しかし実家を切り捨てる事ができず、養母が切り盛りしていた?食堂も辞めさせられ?実母と私の面倒を20代の女がやることになる……のは残酷だと思う。今より父親の力が強い時代だったとしても。
ただ、祖父(養母の父親)が死んだあと、ゆっくりと「承認欲求」の先を私に変えてきたので、それには申し訳ないがゾッとしてしまい、「このままではよくない」という予感をもった。
多分、「理解のある彼くん」がいたら愛嬌があったし、仕事は真面目だし、それなりに幸せに暮らした人だったと思う。
おそらく私を堕ろさせなかっただろう祖父が悪い、可愛がってもらった事は性格の根幹の一部になっているがそれとこれとは別、自分が死んだ後どうなるか考えていたのか。
(2024.3 追記→他のご近所さんの話も聞いた所、もしかしたら、実母が妊娠していると気づいた時には中絶等の対処ができない状態だったかもしれない……が、実際の所はもうわかりません。でも祖父から私へのドちゃどちゃ巨大な愛は本当だったとおもう)
祖母も悪い。「(養母が)かわいそう」と私へとぼんやりとした悪意を発していたが、お門違いだ。なぜ実母が産む事を反対しなかったのか。
養母は家のことなど考えず、自分の幸せだけを考えて、逃げればよかったんじゃないのか。
生まれる前の私には何もできなかった。その時に生きていた人間でなんとかしてくれ、呪いを継がせないでくれ。
養母とは外出するたび、話が合わず険悪な空気にはなったが、喧嘩のような言い合いをしたのは一度しか覚えがない。
それをしたら「終わりだろう」って予感がぼんやりとあったし、なかなか言語化出来なかったから。
20歳過ぎてから言い合いをして「本当は私を憎んでいた」と泣かれた時に、フッと「まともな話し合い?は無理だな、私が話を聞くだけになる 」と諦めてしまい、適当に「もう私はいいから、大丈夫だから、生活していけるから」みたいに話を終わらせたし私の中では「終わった」
文句をいわず、適当に話を聞いてすごいすごいと言ってくれる実母(妹)の方が可愛かったらしい。
(上のツイートでの「気持ち悪い」は悪く書きすぎたと思う。意味がわからない、に変えたい)
だから「中学生あたりからゆっくりと諦められていた」とはわからなかっただろう。
養母が病気になり、家の住所を教えてなかったので、働いていた会社に手紙が来たが、読まずに送り返した。
病院にも行ってない、死に目にも立ち会ってない、葬儀もしてない、私はほぼ責めず、そして「何もしなかった」
もし病院に行ったら、養母が主役の「私への謝罪劇場」の脇役にされていたと思う。絶対なりたくなかった。
小学校3.4年くらいまでの私は養母の事が好きで、でも疎まれてるのも養母の行動からなんとなくわかっていて、今思えば私もだいぶおかしいんだが、養母の誕生日のプレゼントに何千円〜何万円かけた物をあげていて、それは言語化できない私なりの気持ちだったんだが、その当時の養母にとって欲しいものは物ではなかったんだろう。
そもそも子供だから自分で稼いだお金じゃないし……。
選択が本当に子供だ、でも大人の私は「がんばったなー方向はちょっと違ったけど」とほめたい
私はとにかく頑固な子供で「理由がわからなければやらない」性格だったから、養母の仕事仲間から「感謝しろ、恩を返せ」的な言われたりしても「産まれたいと私がお願いした訳ではないし、嫌なことを時々いうし、恩を返すとは?」みたいなぼんやりした感情はあった。
幼い頃から何度も何度も「ありがとう」と言っていたら養母も救われたんだろうか。嘘でもした方が良かったのか。
でもそれをやっていたら、私の心が死んでいた気がするし、もしかしたら、もっと大変な…事件が発生してた気もして…感情に距離をとっていてよかったなと思う…家族として悲しいことだけれども……縁がなかったですね
私は養母に「何もしない」事を選んだが、「面倒を見る」を選んでも、種類が違うだけで後悔や苦い思いが発生する案件だと想像ができたから、私は自分で納得できる後悔を選んだ。
「不思議だな、わからないな」とは思うが、憎みたくない、呪いを絶対に背負いたくなかった。
でも、どっちにしても、しんどさが発生してしまうから、これも呪いなんだと思う。
血縁者もパートナーも作らず、1人でなんとか出来る呪いなら、このままもう終わらせたい。
先にも書いたが、実家の解体は私にとって「私につながる家系の葬儀で火葬」のつもりだったから、当初「とにかく全部無くす」と考えていた。家だったものを見たくなかった。
しかし古物が好きなので「古物は天下の回りものだから、個人の物ではない」という気持ちが勝ったのと、不動産屋から位牌を魂抜きしてくれと言われたのとで、実家に立ち入った
一人で立ち入ると気分が悪くなってしまうので、一日目は便利屋さんに頼み、二日目は骨董屋さんがいたのでなんとかなった。
実母・養母が子供の頃は日本各地旅行してたみたいだからか、食堂のお客さんがくれたのか、いわゆる「レトロかわいい民芸土産」がたくさん出てきて、骨董屋さんが「これは意識してかわいくていいモノ選んで買ってますねえ」と言ってくれて、本当にうれしかった。
色々な意味でめちゃくちゃで無計画で、友人を呼べない家だったがこの骨董屋さんに入ってもらってよかった。けっこう成仏した。
わたしが実家から持ち出したのは写真のこれだけ、緑色の貝以外は見覚えがない、直接の思い出がないから良い。
緑色の貝は、小さい頃に見て「きれいだなあ」って思っていた。養母の「大事なもの箱」に入っていたからなかなか見られなかった。
養母に昔「私の物だから」と自慢されうらやましい物も残っていたが「自分が持つ物では無いな」と、骨董屋さんに渡したり、置いてきた。気に入った物を自分で選んで買う。
養母が書いていた10年日記を発見したが、開いて「見たら背負うことになる」と一瞬で閉じて、これも置いてきた。
今回の骨董屋さんは着物類は扱わないとのことだったので、それもそのままにしてきた。解体会社がなにかしらしたんじゃないかな。解体する家の内部のものは「相続人の物」では無くなるらしい?ので
その仕組み不思議で意味がよくわからないけれども。
養母の事は、憎いというより不思議だし、わからないし、そして悲しい。嫌われていたのがさみしい。シンプルに考えるとそこになる。
大人になって考えると、養母も大変だっただろう、私をかわいいと思っていた時もあっただろう……とはわかるんだが、子供の時の私が「やっぱりかなしかった」というから、かわりに大人の私が「何もしない」ことを選択して背負うことにした。
まあ、許せない事…といえば、
実母の障害者年金で子の加算があったはずだが、なぜ学校のお金をだしてもらえなかったのかな、自分ではらった。「高校より上に行かせる気がなかった」と言われてなぜかゾッとした。
私の住む町は学生時代に車の免許を取るのが当たり前な風土?なんだが、これも出してもらえなかった、話にも出なかった。
多分、実母と私の加算分を、使い込んだんだろうなあ…
それくらいか、あんまり考えて八幡の藪みたいな過去をつつくのはいけない。憎しみで思いを断ち切るのは結構簡単なんだが、それをすると新しい呪いの怪物がしてしまう気がして、恐ろしい。
忘れるのも何か違う気がするし、これはどうしたらいいのかな。少しわかった気もするが
家族だった人たちも動物もみんな死に、実家は解体され全部なくなった。
解体の写真を送ってもらっていたが、苦しくなるのでまだ見られない。
何年後かには見られる気持ちになると良いと思う。
宮尾登美子の小説が好きだ。理由は自伝を元にした小説、しかしそれぞれの人間を観察し感情を分析する冷徹ともいえる視線、そして昇華された美しい文体。
烏滸がましいが、こういう気持ちでいたいと思った。
でもこの日記はそうなってないな。美しくない。ドキュメンタリー、記録としてみといてください。すみません。
上はとても良い漫画「昭和元禄心中」を読んで、救いの理想として、感情がめちゃくちゃになったツイートだ。
あの世で養母がこんなふうにしてると本当に良いんだが。
わたしはあの世を信じきれないのでわからない。
そして私の世界線ではあの世があったら困る。先祖に会いたくない。責められたら困る。
で、実家終いの進行なんですが…
↓ こういう気合いでがんばっていつもりでしたが、
不動産屋と話が噛み合わなくて、全然終わらなくて、なんでかなあ、私の頑固な性格のせいなのかなーって…
頑固で、家族の言うことにも疑問を持って、嫌なものは嫌だと言い、もし譲歩していたら心が死んでしまうような生活を子供の頃に送っていたから、正気(正気じゃないかもしれない)でいられたと思ってる。ので、さてどうしたら良いんでしょうかね……いやほんと、って感じです。
流行りだから書いておくけど、理解のある彼くんはいません。わたしには向いてなかった。
いやまあ、ちょっと疲れてる。先日も血液検査をしたらオールグリーンだったので安心材料にはなっているけれど
(でもたびたびめまいがおこる)
とんでもなくながい補足
実母についての感情を書いてないが、思うところが無さすぎて、いや、まあ、あるけど…人には他人に言うべきでない言葉があると思ってるので、ここにも書くべきではない。
成年後見人さんに実母の面倒を見てもらってたから、それについて書くことがあるくらいだ。
父親についても、「養育費どうなってたのかな、くれ」くらいしかない
何が得意な人だったかは知りたいが、良いことが出てくるともは限らない。情の言葉でなんでも解決するとは思わない。
ご近所さんによると、私の小さい頃の顔が似ていたらしい、複雑だ、丸顔の男か…
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この家の呪いは祖父が元凶だと思うんだが
(注※この部分は、先で書いた追記が本当かもしれないし、そうでないのかもしれません。)
私はあまりにも溺愛全肯定されたから、本当に複雑だけど…でもやっぱり、おそらく、元凶なんだよ。私が産まれなければ産まれなかっただけで済み、そこに呪いも悲しみも発生しないんだもの。
私が産まれなかった事で発生する祖父含めた大人たちの悲しさ等は知らんよ、ひどい事を書くが、今の状況を考えると、そっちの方が美しいだけで終わったんじゃないの