推せなくなった日
はじめまして。もしきと申します。
決して若くはないけどおばさんを自称するには中途半端な、舞台沼にいる人間です。
自己紹介はこれぐらいにしておきます。
私には推しの俳優さんがいる。
いや、正確に言うと「いた」のだ。今も彼が出る舞台には足を運ぶ予定だし、好きだと思う気持ちは変わらないんだろうけれども。
少なくとも今は推しているのではなく、好きな俳優さんのひとりということだけだ。
短い期間ではあったけれども行ける限り舞台に足を運んで、プレゼントを差し入れて、SNSにコメントして…私にとっては充分な推し活をしていた。めちゃくちゃ楽しかった。
そのうちにチェキを撮る機会がきた。チェキ自体は他の俳優さんと撮ったことがあるので、大まかな流れはわかっていた。
その場で知ったけど、接触ができる俳優さんだった。
わーい、記念にハグしてもらお!ぐらいで接触したことがトラウマレベルの嫌なことになってしまった。
お話も少しできて、楽しかったことは事実なのだ。
でも、ふと思った。私は何をしているんだろう?って。お芝居をしてる姿を見て好きになったはずなのに、接触して喜ぶってなにか違うんじゃない?これってとても失礼なことなのではないだろうか?と。
言語化できない違和感を覚えた。
枚数制限がなかったので、束でチェキを持っているファンの人がいた。所謂トップオタと呼ばれるグループだろう。彼女たちは友人のように彼に話しかけ、チェキを撮ったあとのファンの人達に「これからも応援してあげてください」的なことを伝えていた。いやあんたどの立場よ?と心の中でツッコんだ。彼のファンからは、彼に対するリスペクトをあまり感じなかった。
本心は知らないし、彼女たちには彼女たちの応援してきた歴史があるのだろうから私が意見をするのはお門違いだ。
それはわかっちゃいるけど「あ、私ここの現場無理かも」と嫌悪感を抱いた。
私は普段どんなことに対しても引くことがほとんどない、なんでもありの人間なのだ。
なのにこの日は正体不明の違和感と嫌悪感を覚えながら帰った。
私の付き合いで、友人もチェキを撮ったがほぼ同じ感想だった。私は初めて友人の虚無顔を見た…いやほんと申し訳なかった。
その日からほぼ毎日友人に愚痴を吐き、舞台沼の仲間たちに話を聞いてもらい、少しずつ違和感の正体がわかってきた。
はっきり言って元推しはファンが少ない。しかし俳優さんとしてとても魅力的なのだ。私は素人だけど多分演技もすごく上手なんだと思う。私にとっては違う次元に存在するすごい人なのだ。
チェキを撮ってもらえることは楽しいし嬉しい。でもそれは「あんなすごい人の視界に入り同じ時間を共有できている」ことがありがたいのであって恋人気分を味わいたい訳では無い。
接触をしているところを見ると、そんな事しなくても好きだよ!と言いたくなった。もしかして本人は楽しんでいるのかもしれないけど、少なくとも私には自分を安売りしているように見えた。
私が見ていた光景は、酷い言い方をすれば「お金を払ってさわってもらっている」のだ。もっと酷い言い方をすれば「ブスがお金を払ってイケメンにさわってもらっている」のだ。
そこはお互いが良いのであればそれで良い。が、本来ハグしたり手を繋いだりなど、人前ですべきことではないのだと思う。見られる方も見せられる方も気持ちの良いものではない。ああいったことはふたりきりでするものではないのだろうか。
私もきっと、ふたりきりで誰にも見られていないのであれば、違和感を持ちつつももう少し違う気持ちでいられたのかもしれない。
あれは酷かったと思い返しつつも、私も彼女たちとやっていることは変わらないのだ。傍から見たら、私もお金を払ってハグをさせてもらってたファンなのだ。
そう思うと接触を頼んだ己を嫌いになりそうだった。やめとけば良かったと、今は後悔している。
推している人を安くしてしまったのはファンであり、私なんだ。一体推すとはなんなんだろうか。
そう思うと楽しかったはずのことが何も楽しく思えなくなってしまった。このままでは自分のことが嫌いになるし舞台に行きたい気持ちもなくなってしまう。それは嫌だ。自分のことは好きでいたいし、面白い舞台はたくさん観ていたい。
推し活は楽しいけど、しんどいこともたくさんある。しんどいことが楽しさを上回ってしまったら推せなくなってしまう。
あれからまだ元推しをの舞台を観ていない。観たらどんな気持ちになるのかな。きっと好きなことに変わりはないんだろうけど。
イベントがあったら行くかも知れないし、行かないかもしれない。その時にはどうか接触禁止になっていますように。
私ひとりが離れたとしても、彼の世界は何も変わらないだろう。それは少しさみしくもある。でも私はゆるく好きでありたいのでちょうど良い距離まで下がりたいと思った。あのままでは多分嫌いになっていたから。
嫌いから始まる好きが最強だがその逆もあり、好きから始まった嫌いもまた最強なのだ。かつて好きだった人を嫌いになるほどつらいことは無い。
当分は推しを作らず楽しい気持ちだけで生きていきたいと思う。
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