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名古屋のタルタリアぽい歴史的建造物

名古屋市市政資料館(旧名古屋高等裁判所)

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AichNow様よりお借りしました。

何か既視感が・・・・と思ったら、東京 法務省旧本館の赤レンガ棟ととても似ている気がします。

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法務省hpより

法務省は屋根のドームがありませんが、色・柱・窓、構成要素の用い方がかなり似ています。

東京駅もついでに

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ノリタケの森

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ノリタケの森様HPより

ここは、陶器のノリタケの工場・ギャラリーなどが立ち並んでいる場所のようです。

同HPより引用します。

ノリタケの歴史は、日本の洋食器の歴史に重なります。明治の赤レンガ建築に黎明期の息吹を感じてください。
ここは「近代陶業発祥の地」赤レンガ造りの工場から世界へ、ノリタケが送り出されたのでした。
森村市左衛門によって設立された貿易会社「森村組」は陶磁器製造のため、1904年(明治37年)に日本陶器合名会社の最初となる工場を建設しました。1975年(昭和50年)まで稼動したこのしっとりと風情のあるたたずまいが印象的な赤レンガ造りの建物は、まさに日本の洋食器の歴史を象徴するものです。

トヨタ産業技術会館(旧豊田自動織布工場)

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ニッポン旅マガジン様より

同会館 動力の庭 より画像と引用文

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動力の庭には、1914年に設立された工場操業当時に動力、電力を供給するための蒸気機関が置いてありました。今その場所に、赤レンガを積んでその痕跡を伝えています。また、工場へ送られてきた原綿を開俵(固く圧縮された原綿を元のやわらかい綿にもどすこと)する「開俵室」や種類の異なる原綿を調合する「混棉室」、綿の繊維をほぐす「打棉室」もありました。北側の少し高い構造物は、「混棉室」や「打棉室」から出る綿ぼこりを外部に排出するための「塵突(じんとつ)」です。
発電用の蒸気機関から出る煙を排出していた煙突基礎の遺構も展示しています。

私的には、ノリタケ&トヨタは過去のタルタリア時代の赤レンガ倉庫群&技術を再利用したのでは?と思います。


名古屋栄周辺

最後は動画です。

この動画によると、1939年までタルタリア様式の建物がかなり残っていたことがわかります。

第2次世界大戦が終わったのは1945年ですから、日本全国に空襲が行われましたが、タルタリアぽい建造物が破壊された可能性があるかもしれません。

もう一つ動画を

動画開始から3分、1891年濃尾地震の被害の様子の映像があります。

赤レンガ建築と思われる瓦礫がみえます。

4分30秒~ 遠目に屋根にドームが付いた建物群が点在しています。

その後、近影になり、ドームを乗せた屋根を持つタルタリア様式の建物が複数並んでいる場面があります。

屋根には突起状のアンテナらしきものがはっきり見えます。

何らかのエネルギー(受信・送信)設備だと思われます。

まとめ・考察

まず、こうして映像・画像があることがうれしいです。

名古屋の中心部、栄周辺にもタルタリアぽい歴史的建造物がかなり存在していたということは間違いないということがはっきりしました。

私は日本の首都がなぜ、京都や東京なのかという素朴な疑問を抱いていました。

真ん中あたりがいろいろと都合よくない?と。

仮にタルタリアという国の中に、日本(本州)というある一つの行政区のようなものがあったとします。

ならば、真ん中あたりの名古屋にかなりの機能を持たせるのではないかと思うのです。

丁度本州が狭まったところで、日本海側からの敦賀の港からのアクセスもしやすいですし。

関ケ原が難所といえば難所ですが。

色々と想像や妄想は膨らみますが、今回はこのくらいにしておきます。

本日もお読み頂きありがとうございました。

敦賀赤レンガ倉庫

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福井 若狭湾観光連盟 様 よりお借りしました。

どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。