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函館山の石垣と取り壊された台場

東北と箱館


東北への旅、弘前〜小坂〜盛岡と回り、最後は再び函館に。

弘前城址 盛岡城址を丁寧に見てまわった後に函館山に残る石垣を見たことで、スターフォート(幾何学模様を描く街)と確信しました。

特に盛岡城の石垣は圧巻でした。盛岡は別の記事にしますが、盛岡城の石垣を画像を何枚かUPしておきます。


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弁天台場跡

函館の話に戻ります。

今回の新しい発見は函館山の麓・函館港に面する弁天台場跡です。

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画像ははこぶら様よりお借りしました。元資料は函館市中央図書館

手前の石垣の上、さらに別角度で石が載っていますが五稜郭の入り口付近と同じ仕様です。

下2枚は五稜郭です。

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五稜郭の北側(他も)この仕様ではいないので、もしかすると明治以降に手が加えられたのかもしれません。

弁天台場に向かってかかる橋も木製で明治以降の仕様に見えます。

近くの公園にある説明書きです。

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この台場は安政3年(1856年)10万両の予算で1864年に完成し、1896年に取り壊されたそうです。

設計は五稜郭と同じ武田斐三郎だそうです。ふ~ん(*^_^*)

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歴旅・こむ様よりお借りしました。

さて失われてしまった台場ですが、将棋の駒のような形です。

弁天台場(六稜郭)は取り壊されて、その場所は現在、箱館ドック(造船所)になっています。

台場の取り壊された石などはどうなったのか・・・

なんと防波堤の石材として利用されたそうです(*'▽')

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歴旅・こむ様より


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函館ドック前のレンガ倉庫(?)です。

アーチ状の開口部分が高さがあきらかに足りていない様に見えます。

マッドフラッド以前からここにあったと思います。


函館山に残る石垣

函館ドックを後にして山方面に上ります。

旧ロシア領事館を目指しますが改修中で外面も見ることができませんでした(^-^;

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またまたはこぶら様からお借りしました。

さて登っていく途中に石垣をいたるところに発見、石垣の下には水路まであります。


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お寺の立派な壁の下は石垣です。

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極めつけは立派な石垣の上に住宅が・・・

これはどうみても擁壁レベルの石垣ではないと思います。

石垣が街中にあると〜〜城址、山の中にあると山城跡、住宅が乗っかると高級住宅街?!(*^_^*)

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坂をほぼ登りきって、函館聖マリア教会 古いのか新しいのかよくわからないです。

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マリア教会の前から港を見下ろします。

道路の奥に見えるタルタリアぽい建造物は、旧函館西警察署庁舎

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石垣とこの光景を見ながら、ここはタルタリア時代の城郭都市であったと確信、さらに家に戻ってから調べると他の痕跡も見つかりました。

高龍寺のレンガ壁

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タルタリアど真ん中な感じです。

碧血碑

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これはど真ん中オベリスク

千畳敷戦闘指令所跡

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touring information 様よりお借りしました。

写真がよいせいか、レンガ壁が見事です。外側は何かで攻撃されたかのような廃墟風になっています。

各ポイントマップ&考察

それぞれのポイントマップを作りました。合わせてご覧ください。

NOTEのアプリではうまく表示されないようです。

お手数ですが、他のブラウザからご覧ください。


今回は、箱館山が見えるホテルに泊まりました。

函館山に「どうぞヒントをください。メッセージをください。」

とお願いして眠りにつきました。

願いは聞き届けられたと思います。

本日もお読みいただきありがとうございます。


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真凰ライナ
どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。