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自己紹介 vol.4
ここで、簡単に自己紹介します。
私がなぜ、パニック障害を発症したか。
その糸口がわかるんじゃないかと思って、最近幼少期から今までをよく振り返ったり、親友に聞いてもらったりしてます。
私は3人兄妹の真ん中長女。
おてんばで小さい頃から生傷絶えず、外で活発に遊んでた幼少期。
小学校では、仲のいい友達はいたけれど高学年になるにつれて、友達作りや関係作りがうまくいかず、いわゆるハミゴみたいなことをされたりした。
・人から嫌われたくない
・周囲の機嫌をうかがう
・人に意見を合わせる
という行動をとるようになっていました。
中学になりバスケ部に入ってからも、女子特有のそういうめんどくさい関係も受けながら、人の機嫌を取りながら過ごしていました。
でも、そんな私がなんと部長に任命されたので、チームをまとめなきゃならない責任感と嫌われないようにしなきゃならない想いとで結構しんどかったなぁ…
だけど、どちらかというと、気は強い方かなと思ってます。
曲がった事が大キライ笑笑
学生時代は、こんな感じで毎日毎日バスケ三昧の日々を過ごしていました。
高校卒業後は、短大に進学して体育科だったから、厳しい上下関係も経験しました。
キツイ練習と厳しい上下関係のお陰で、同じ時間同じ経験を過ごしてきたから、その時の仲間は今も今までもこれからもずっと、自分の財産としてすごく大切な人たちです。
そんな10代を過ごしてきましたが、バスケをしていた頃は怪我ばっかり。
捻挫、骨折はいったい何回したことやら…
一番大きいのは膝の前十字靭帯を切った事。
でも、私の中ではその怪我がターニングポイントで、そこでバスケを辞めようかと思いましたが、、、
たまたま、そのタイミングが自分の代の最後の大会時期で、私はそのまま復帰が間に合わず、コートに立てないまま中途半端に引退しました。
顧問の先生から、このままでいいのか?と聞かれて、色々悩んで考えて、ちゃんとコートにたってやりきりたい!って思って、最後はどうせなら手の届かない程の強いチームに身を置いてやり切ってみよう!と思って、先輩や先生の出会いのお陰で志望校に行き入部できました。
もちろん、万年補欠の補欠みたいな状況だったけど、なんとか無事やり切って引退して、卒業できました。
さて、このあとどうしよう??
私、卒業して何しよう?
バスケもやり切ったし、そんな自分に何ができる?
何がやりたい??
って、考えてて、ふと前十字靭帯切った時にお世話になった理学療法士の先生の事思い出しました。
怪我に悩んだ現役時代。
理学療法士は怪我の後のリハビリをする仕事。
私は、怪我をしない体作りをサポートできる仕事に就きたい!っていう気持ちがふつふつと湧いてきて…
トレーナーを考えてみたけれど、現実的にはなかなかの狭き門。
まずは、学生時代に取得した資格を活かして、まずは運動に携われる仕事に就こうと思いました。
最初は某フィットネスクラブに就職しました。
そこで、インストラクターとして、赤ちゃんから高齢者、プール、スタジオ、マシンジム、体育教室、などなど、健常者も障害者も色んなクラスの指導に携わりました。
でも、私、ホントは人前に立つなんて考えられない程、大キライ。笑
エアロビクスなんて、やりたくなさすぎて、学生時代はスルーしてきたのに。
水泳なんて、カナヅチで再試験とか受けてたのに。笑笑
そんな私が人前に立って指導する立場になるなんて!
でも、なんだかがむしゃらに先輩に教えてもらいながら、エアロビクスもアクアもヨガもスイミングも、なーんでもやってました。
いや、その時は正直やらされてたかな💦
そこで出会った高齢者の方や身体が不自由な方の運動指導に関わらせていただいた事で、私の中で、
もっと、運動が必要な方が世の中にはやりたくてもできない環境で困ってるんじゃないか?
と感じるようになって、5年弱務めたフィットネスクラブを退職しました。
健康運動指導士を取得して、色んな人にそんな想いを伝えて過ごした中で、久しぶりの同窓会で再会した友人の紹介で、デイサービスにくる高齢者の方に運動のサービスを提供するスタジオを立ち上げる人と出会い、そこに転職しました。
初めての介護の世界。
全く視野になかった、介護の業界。
この業界に健康運動指導士として、生きる道があるなんて思いもよらなかったので、ある意味この出会いも私にとってはターニングポイントになりました。
いろんな障害や疾患を抱えながら運動に取り組む高齢者の方と、たくさん出会って、いろんなこと感じて経験させてもらえました。
今思えばフィットネスクラブに務めていた頃、いやいややってしんどかったやらされていたレッスンも、振り返るとちゃんと経験として身になっていて、お陰様でお客様の要望に沿う指導を伝えられるようになってるなぁと実感しました。
あんなに人前に立つのも嫌だったのに、気がついたらお客様からの反応を感じながら、楽しくできるようになっていました。
緊張はするけれど…
厳しく指導してくれたけど、大キライな先輩に今は感謝してます。笑
そこは、小さなスタジオで4人でやっていたところだから、もっともっと学んで経験したい!って思ったのと、色々とあって(その色々はまた次回改めて書きます)3年ほど勤めたところを辞めて、今は介護老人保健施設のデイケアにて、高齢者の方に運動を指導しています。
ながーーーく、なりましたが、こんな感じで過ごしてきて、今に至ります。
ちなみに、パニック発作は一つ前のデイサービスを辞めるときに揉めちゃって、パワハラを受けてしまって、辞めた後で本格的に発症しました。