ネオンが光る街の中で。
プロローグ
…いつからだろう。目に映る事実を、ありのままを受け入れなくなったのは。
…いつからだろう。斜に構えて他人を信じなくなったのは。
…いつからだろう。自分の生き方について考えて、ひとり絶望して、そして…
心から笑えなくなっていったのは。
寒い街の朝4時、いつものカフェに寄る。夜職の人が多いこの地域で、開店時間が夜22時のこのカフェに立ち寄るようになったのはいつからだろう。
自分だけの時間。自分の心の整理の時間。
今日の気分はグァテマラかな?昨日はマンダリンだった。一昨日は…休みだったんだっけ…
俺は今、バイトを終えて帰路に着く途中のカフェに寄っている。
バイトはホスト。そこそこ売れてる。身体も小さいし、顔は幼く見えるらしい。コンプレックスだった、でもそれがウケる層もいるらしい。
何でも良い、とにかく明るく努めてゲストを満足させる。嘘偽りの世界。それが俺にはピッタリだった。
グァテマラが運ばれてくると、ピーコートの内ポケットからメビウスとジッポを取り出す。手がかじかむ。ジッポの蓋が上手く開かない。最近はいつもの事だ、外は氷点下、雪景色。今は降ってないけど、風も強いし冷え方が酷い。
慎重に火をつけて、紫煙を吐き出す。ようやく生きた心地がする。自分の時間。今日も演じられた満足感…。
いや、満足感なんて無いのかもしれない。達成感でもない。安堵感だ。今日も、『こなす事が出来た。』
…俺は今年21になる。側から見れば誰もが知ってるような国立大学の学生。成績は上位、そろそろ進路を決めなきゃいけない。院に進むのか、就職するのか。
それを決める事すら、億劫だった。金が欲しい。何にも縛られないくらいの。ここ一年足らずとはいえ、バイトで稼いだ金額はそこら辺の学生とは訳が違ったと思う。バイトと学業の両立、なんて他人は簡単じゃないと言うけど、何のことは無かった。身体は疲れない、頭も疲れない、でも心だけが痛かった。
全国の天気予報で、年中一番低い気温が表示されるような町から、進学を機に都会にやってきた。最初の1年は何をしても楽しかった。パチンコも、タバコも、酒も。大学生らしい生活だったし、何より満足感があった。2年になる直前、全てが変わった。
「ごめんね…ごめん。お母さんの会社、ダメかも知れない…」
事業を展開し、業績を上げ、女手一つで俺を育ててくれた母は、俺が大学2年になる直前に会社をダメにした。俺には何がどうダメになったか分からなかったけど、地元の友人に聞くには、他部門に手を伸ばしたのが良くなかったようだ。
大切な時間を過ごした大きな一軒家は競売にかけられ、今は形を無くし、その土地に新しくスーパーが立つらしい。
俺たち母子に残されたのは、1億近い借金だけだと、急いで帰省した際に、住んだことのない借家の狭い狭いアパートで聞かされたのだった。
友達に誘われて始めていたコンビニのバイトを辞めて、高額のバイト代に惹かれて夜の世界に飛び込んだ。日本でも有数の繁華街、ススキノ。
知らない事だらけのネオン街で、知らなかった色んなことを学んだように思う。
コンビニのバイトでは見たことのないような明細。
女の人の癖、心情、欲望。
ギラギラした野望と、薄っぺらい仲間意識と、金の魔力。
そして…
なんだか俺は、多くのモノを失ったのかもしれない。
そう気付いた時、初めてかもしれないくらいに心から泣いた。ホストを始めて3ヶ月が経った頃だった。
これから、俺はどうなるんだろう。
1億近い借金はどうやったら無くなるんだろう。
俺も、お母さんも。
どうやってこれから笑って過ごせば良いんだろう。
分からなかった。
知りたくもなかった。
他人に羨ましいと思われていた生活だった、あの頃には感じた事がなかった。
その感情の波をかき消した時に気付いた。気付いてしまった感覚だった。
何も考えず、毎日を過ごそう。
同じ毎日を、ただひたすらに繰り返そう。
機械のように、感情を失くそう…。
そんな殺伐とした毎日の、唯一のメンテナンスの時間。
今日はグァテマラ。
深煎りの酸味が、猫舌の俺に刺さる。
帰って、少し寝たら、また大学生。
1限は無いから、少しゆっくり出来る。あと2日乗り切れば春休みが来る。時間に余裕が生まれるのは助かるし、何よりバイトに専念出来る。
慌てるな。
感情殺して、ただひたすらに…。
お金の為に感情捨てて…。
少し冷めたグァテマラをグッと口に含む。
とりあえず、帰って寝よう。
新しい何かに期待はしない。毎日をこなしていかなければ…。
こうやって、自分に言い聞かせて戦う毎日は、ふとしたきっかけで狂っていく。
俺はあの日の事を忘れない。
これから続くのは、地獄を見た俺の物語。
期待なんかしないで欲しい。
感情を捨てて、って言い聞かせてきた俺も流石に心が折れるかもしれないから…。