ネオンが光る街の中で。4話
覚悟
『お前、最初にコレだけは覚えておけよ?売れる為、金の為でも…ウチの店は枕だけはNGだ。ヤクザじゃないが、コレを守らなかったら破門だぞ?』
初めて出勤した日の、店長の蛇のような目が思い出される。
『ローソン寄っても大丈夫かな?』
「え?…うん、構わないですよ」
店を出た後、2人はススキノの中心から少し南に向かった。美姫のマンションは近くだ、というのは話では聞いていたが、歩いて行けるとは思っていなかった。
そもそも…美姫のマンションに行って飲み直す?耳元で囁かれたあの言葉。俺は心底分からなかった。
立ち寄ったローソンで、缶ビールとツマミを買う美姫。何も考えられずに黙っている俺。
これから…美姫のマンションに行って…酒を飲んで…?
俺も馬鹿ではない。あれだけ店で意味深な会話をした。お互いの胸の内を透けさせるような会話をあの後も繰り返し…閉店と同時にアフターという名目でここまで来てしまった。
お互い、若い男と女だ。
金が絡んでいるかもしれないが、女から家に誘う、というのはどういう事なのか。余程の鈍感でなければ察する所だろう。
『枕はNG、破門』
バレなければ…いや…でも…。
美姫は上客だ。もともとは金主が居るからに他ならないが、何せ他の客を捕まえて稼ぎ出すよりも相当スマートに売上げが立てられる。それに加えて、今日の売上げだ。
ある程度の要望には応じる必要がある。そしてその要望は…。
躊躇していた。自身の脳内の回転には比較的自信はある方だが、どちらが正解かが分からない。
『うわ、雪降ってきちゃったよ…急ごうか?』
右手を俺の左手に絡ませ、小走りになる美姫。
結論は…
まだ出ないままだ。
『ココが私の家だよ』
…意外だった。流石にキャバを引退し、OLになっているとは言え、相当良い暮らしをしていると思っていたが、オートロック付きの五階建てのマンション。一人暮らしの学生が住みそうな、どこにでも有りそうなこじんまりとしたものだった。
『散らかってるけどね』
「お邪魔します…」
白を基調とした、清潔感ある部屋。窓側に置かれた高そうなソファと大きめのテレビ以外、一般的な女性の部屋といった佇まいだ。
『あんまり色々見るなよー?ビールで良い?私、先に着替えるから、先飲んでて』
サッポロクラシックを2本テーブルに置くと、リビングを出ていく美姫。
「…ふぅ…」
仕事の疲れではない、疲労感。ここからどうなるんだ…という目眩に近い感覚。
一度、目を閉じる。
心の整理をする。
俺には金が必要で、その為にホストになった。売上げ第一で考えてきた。他人は信用せずに、引っ張れるものは引っ張る。多少の嘘偽りは仕方ない。演じきる…。
答えは出た。
腹を括ろう…。美姫の売上げはデカイ。この先、こんな近道は見つからないかもしれない。最短ルートには多少の危険があって仕方ないじゃないか…バレなければ。
美姫の、そして俺の売上げの為…。
ここから先、何を要求されても。
テーブルに置かれたサッポロクラシックの蓋を力強く開けた音が、部屋の中に響いた。
『お待たせ!お、先に飲んでたのね』
黒の細身のスウェット上下。束ねていた長い髪を解いて、いつものキリッとした表情と違う、オフモードの女性が隣に座る。缶と缶を優しく当てて、笑顔でビールを飲み出す…。
『太るからあんまり食べないけど、ビールにはポテチなの、コンソメパンチ!』
屈託なく笑いながら袋を開ける美姫を見ていると、何となく恋人のような感覚になる。
『飲みながら聞いてね?』
突然、声のトーンが変わる。
身構えた俺に気付き、悪戯っぽく視線を送る美姫。
『飲みながら!浮気を指摘された旦那みたいなリアクションだなー?』
女性のどんな言動に対しても冷静に最適解を出してあげる、それによって女性を満足させる事。その為には、自分のペースを崩さずに女性と接する…
コレが俺の理想のホスト像。
滑稽だ。完全にペースは乱され、地に足が付かず、後手後手で進む会話。コレでは間違いなく、何がどうなってもされるがままだろう。
『流ちゃんはさ、借金、どれくらいあるの?』
「え?」
予想外のパンチというのは効く。その言葉は想像していなかった。切り抜け方が分からない。ココは正直に答えなければ、ボロを出しかねない。
「んー…母親の事業の失敗なんですよね、元々学生なので学費だけ賄えれば、と思ってたけど…額で言えば1億いかないくらいっす。」
『1億?!
想像してた桁と違ったなぁ…10年くらいかかるんじゃないの?』
「多分この1年だけなら、それ以上。松丘さんと美姫さんと出逢って、風向き変わったというか…」
『まぁ…ね?ココ3回くらいで、だいぶ稼いだでしょ?感謝してよ』
会話は進んでいった。何事もなく。借金を返す為に必要なモノ、努力、その方向性。ススキノの街で同じ理由で頑張る人間は数多く存在して、そんな人間を沢山見てきた、と美姫は言った。
『私はさ、軽い気持ちでキャバやって、ある程度売れて、上の人に気に入られて、引退しようと思ったら引き止められて会社に別の形で残って。凄くラッキーだったんだなぁ…』
話す内容が本当だとしたら、確かに凄くレアなケースであり、本当に幸せな事だろう。水商売は基本的には短命のイメージがつきまとうし、まずは売れる売れないが大きい。その壁をクリアした上で、次の生活が保証される事なんてそうそう有る話ではない。
「正直、羨ましいっすよ。今が楽しそうだし、お金に縛られない生活。」
んー、と唸りながら2本目のビールを開ける美姫。ポテチを口に入れて、ビールをグッと流し込んだ後、ひと呼吸おいて俺の目を直視しながらこう漏らした。
『お金、縛られてるよ?めちゃくちゃ。』
今までの明るい美姫の口調はどこにもなかった。自分の放った言葉がこうさせてしまったのなら、ホストとしては失格だろう。
『私はさ、キャバ辞めた後に借金作っちゃってるから…』
「ごめん、話したくないなら話さなくて大丈夫。本当にごめんね。…それって、生活レベルが変えられなくて、とか…そういう…?」
フッと少し笑いながら、美姫が話し出す。
『多分、お金に執着するタイプでもないし、現役の頃から羽振り良くって感じじゃなかったよ?部屋見て思わなかった?そんなに豪華じゃないでしょ?』
『私が借金作ったのは…付き合いで連れて行かれたカジノ。ほら、聞いたことない?不動産屋のビルの裏の、大きなマンションの話…』
ホスト仲間でも有名な話だ。
ススキノの外れの大きなマンションの噂話。ホントに噂程度だと思っていたし、自分には関係のない話だったから、詳しく聞くこともなかったのだ。
住人に堅気なんていない
3階から上は部屋はなく、フロアがぶち抜かれていて、大きなカジノになっている
闇スロが入っている
ホントか嘘かは分からない。ただ、そういった噂話はよく耳にしていた。
『結局、ああいう場所って紹介制だから。専務に連れて行かれてね、その日は大きく勝っちゃったから、また遊びに行って…って感じ。気がついたら、相当アツくなっちゃって…』
そこから先の会話は俺も覚えていない。
ただ、酒が回ったからなのか、美姫の潤んだ瞳に我慢出来なくなったからなのか、髪を撫で、肩を抱き、身を寄せ合いながら…
窓の外は明るかった。
見覚えのない部屋のベットの中、隣にいる見慣れた女性の寝顔で我に返る。
昨日…店を出て…酒を飲んで…借金…カジノ…
借金。ホスト…今日は休み…ホスト……
今置かれている状況に、ハッとした。
半裸のまま起き上がると頭がガンガンする。気付かないうちに、相当酒を飲んだらしい。二日酔いなんて、ホストになってから久しぶりだ。
隣で美姫が目を覚ます。
『流ちゃん…おはよ。昨日はワガママ言ってごめん。』
何も覚えていない。精神的に疲れていたから?
何はともあれ、この状況で考えられるのは、美姫が謝るような何かが有ったという事実だけだ。
『枕はNG』
こんなシチュエーションでも、掟が頭によぎるのは模範的なのではないだろうか。
『コーヒー煎れるよ』
あられもない姿でベットから起きる美姫にドギマギするが、平静を装う。
『朝ごはん、って言ってももうお昼か。これからどうする?一回、お家帰るの?』
美姫の問いの意味が分からなかった。ズルいのかも知れないが、早くこの場を立ち去り、自分だけの時間が欲しかった。
下着を付けながらお湯を沸かす美姫が、コチラを見ながら再び問いかける。
『やっぱり辞めておこうか?昨日、お酒入ってて気持ち大きくなってたと思うし…』
正直にならなければいけない。
「ごめんね。結構飲んだんだなぁ…なんて言ってたか全然覚えてないんですけど。なんて言ってた?」
フフッと笑いながら、近づく。
ベットの隣に座り、頬に手を当てられる。
『昨日話したカジノ。今日休みだから一緒に行きたい、そこで大勝ちしてお前の分の借金も、お母さんの借金も全部返す!って。』
知らなかった。知りたくもなかったが、酒に酔うと気持ちが大きくなるタイプなのか…。
『流ちゃん、昨日の夜に電話して!って言うから…。カジノの人に電話して、今日の20時に行く事になってたの、覚えてないよね?それを込みで、今日これからどうするの?って、聞いたんだよ?』
お湯が沸いた事に気付いた美姫がベットから立ち上がる。素敵な人と迎えた朝。大好きなコーヒーの香り。窓の外は雲1つない快晴。
整理する暇さえない、暗雲立ち込める自分の心。
ただ一つ、俺の中でハッキリしている事があった。
美姫との会話、昨日の夜のやり取り、乱れたベット
ホストとして生きていくには、今日美姫にカジノを紹介してもらい、美姫の機嫌を損ねないのがベターだということだけだった。
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