「平成狸合戦ぽんぽこ」が元宗教二世をじんわりと癒してくれる理由
平成狸合戦ぽんぽこを見たら号泣してしまう。何を言ってるかさっぱりですよね。
今まで誰に言ってもそういう反応しか返ってこなかったんです。
でも、宗教二世が話題となり、それまで日常生活では遭遇することのなかった宗教二世どうしの雑談の中でびっくりするほど共感してもらえたんです。
平成狸合戦ぽんぽこの何が宗教二世の琴線に触れるのか記事にしてみようと思います。
正吉への自己投影
主人公の正吉は人間に化けてサラリーマン生活を送るタヌキです。人間に化け続けるのは疲労がたまります。
疲れたら目のクマがあらわれ、尻尾が出てきちゃう。栄養ドリンクを飲んでなんとか尻尾を隠して人間の世界に紛れて生きています。
これが「元」宗教二世にとってはまるで自分のことのように見えてしまうんです。
過去の生い立ちや家族のはなし、いろんなことをを隠しながら息を潜めて生きてるんです。いろんなハンデを背負っていて一般社会になんとか溶け込んで毎日食いつなぐことで精一杯です。
なんとも言えない孤独感… 宗教二世は人間界に紛れたタヌキに似てるんです。
化け学を修得できた元二世達
宗教二世が誰しも人間界に紛れているわけではありません。里を出ようと決意し、紛れる術を身につけなければ出てこれません。
学業が優秀だったり、コミュ力が高かったり、忍耐強かったり、自分を切り売りして生き抜いたり、人間にペットとして飼われることを選んだタヌキもいるかもしれません。
元宗教二世は日常会話ですら、神経をすり減らしています。
幼少期から刷り込まれたタヌキの言葉や言い回しや思考パターンを人間界の普通の単語や言い回しに翻訳して喋っています。
化け学を修得したと言えども、めちゃくちゃ疲れるんです。
里を出る決意にも二通りあります。タヌキの里を捨て、一人で生き抜くために人間界に混ざった者もいれば
一方で小数の優秀なタヌキは人間を騙そうとして出てきます。里への思いや人間への復讐心を持ち続けたまま…
彼らは政治の中枢にだって入り込めるほど賢いし人間の心理をうまく操ります。
でも、多くの宗教二世達は正吉と同じです。目のクマを隠して尻尾をおさえてなんとか毎日を生きているのが私たちです。
里に残るタヌキたち
化け学を修得できない(あるいは修得する必要性を感じない)タヌキたちもいます。
修得できなかったタヌキは悲惨です。不登校から始まり人間界の普通の人生からどんどんかけ離れていく…
化け学を修得しようとさえしなかったタヌキもいます。
都市開発で自分たちの住む場所が無くなってしまうことを客観視できていません。
生まれ育ったままの自分を変えず、ひもじい思いをしながらも森の中で暮らしています。
タヌキの生き方は人それぞれ
みんなどこか苦しいんです。森の中で常に飢えているタヌキがいる一方で人間界でお賃金をもらい、肥満になるほど食料はあるのに孤独感に苛まれていたり。
タヌキと違って宗教二世は自分で自分の命を絶ってしまうことがあります。今生きているタヌキ達はみんなが、その人なりに一生懸命生きている。
誰かに迷惑をかけながらも、一生懸命生きています。
優劣とか善悪なんてありません。
キツネと出会って問題の根本に気づく
人間界に紛れているのはタヌキだけではありません。別の宗教二世であるキツネもいます。キツネはタヌキよりも狡猾で柔軟で、でも打たれ弱くて… キツネはキツネなりに人間界に溶け込んでいます。
たくさんの違いはあるけれど、キツネとの共通点があります。山を破壊され、仮面をかぶって生きているという点です。
タヌキvs人間という視点で考えていたら、キツネが現れた。それまでタヌキは「勝つか負けるか」すなわち 人間を追い出すか、タヌキが絶滅するかという白黒思考だったんです。
でも、そうじゃなくて多種多様な存在がいて、なんでうまく共生できないんだろう。何が問題なんだろうと考えるべきなんです。
映画ではタヌキとキツネは「なんで山を壊すの?」と人間に対して協力して訴えるんですが、人間界に生きているからこそ、もっと本質的な事に気づいているんです。
人間も僕らタヌキと一緒なんだって。なんともいえない閉塞感や騙しあいの陣取り合戦。安心とか裏切りとか。
より良い共生関係を作るにはどうすればいいか?
これがもっと本質的で平成狸合戦ぽんぽこのテーマでもある気がします。
宗教はめちゃくちゃ人間らしい。人のものを奪いたい。独占したい。依存したい。すがりたいし、守られて安心したい。死ぬのが怖い。幼稚園児みたいなもんです。
まだまだ未熟で無邪気で子供みたいな欲望が、思考の真ん中にあって、それに正直に行動する人達が宗教に依存しています。
自己と他者という線引きすらできていない人が多いです。
月がずっと私についてくる。大人なのに本気でそう思ってます。月は途方もなく遠い宇宙に浮かんでいるということを知りません。つまり自分と環境の境界が曖昧で、未熟なんです。本気で統一教会を日本の国教にできると信じています。
人間らしいけど未熟なんです。
ピラミッドや邪馬台国を作った時、宗教は人間社会が進化していく課程での大発明でした。
でも時代は先に進んでいます。神とシャーマンと信者が作るコミュニティを卒業し、もっと階層化されたカースト制を発明したら「差別」という次の問題を見つけ、さらに進んで通貨の価値を最上位に置いて信じることで誰にもチャンスのあるグローバルな社会に進んできました。
この時代に、未だに山で生きるタヌキ達を見ると得体の知れない恐怖すら感じると思います。でも、人間達も同じことに気づいて欲しい。もとは人間もタヌキと同じだったんだって。
統一教会の解散命令はスタートライン
人間がタヌキを駆逐するか、タヌキが人間の政治に化けて入り込み支配するか。
それは統一教会問題の本質を捉えていません。
解散命令が出ると統一教会という山里が強制解体されます。人間界に出てくるタヌキを殺したり、飼ったり、共存したり。
更に山奥に逃げていくタヌキ達は
またそこで子供を産み増やします。別の宗教団体として。問題の後回し…
残念ながらカルト宗教は何周も周回遅れになるほどに時代遅れです。
今の表面上は民主主義でけっこう中央集権的な社会から、
もっとグローバルで国境すら邪魔に感じる、独占することよりもシェアして、勝ち負けよりも自分らしさを求め、SNSで繋がり共感を求め、マイノリティの幸福度にも目を向けられるような
次の若者達が作っていくこれからの社会にはカルト宗教はもう必要ありません。
カルト宗教は自転車に乗れるようになったのに 、ガリガリと邪魔をする補助輪のようなものです。
カルト宗教に依存せざるを得ない人は社会保障で守ってあげるべきです。
今の社会の課題は多摩ニュータウンを作る人間達と同じです。独占と搾取です。一人の勝者と複数人の敗者がワンセットになり、それがマトリョーシカのように構造化され、お金と時間を下層から搾取しています。
多摩ニュータウンを開発する社長が構造化されて何層にも重なる搾取構造のずーっと底辺のタヌキを思いやることができるでしょうか?
とても難しいことだけど真剣に向き合わないといけない問題だと思います
「どうやって共生するか」
私は現役信者や二世達すらも、いつかは笑って前向きに生きられる終わらせ方を探したいです。破壊しておしまいは無責任。
「平成狸合戦ぽんぽこ」が元宗教二世をじんわりと癒してくれる理由
平成狸合戦ぽんぽこのラストシーンは正吉とぽん吉が出会います。
ここで私は涙が止まらなくなる。仮面を捨てて宗教二世というありのままの自分をさらけ出して、説明のいらない相手と一瞬だけ何も考えずにお喋りしたい。何も考えずにサッカーしたい。
外の世界に怯えて宗教に残る現役二世と私の違いなんて、化けれるかどうかのテクニックの部分でしかなくて、しんどい思いをして生きてきた宗教二世としてはむしろ共通点の方が多い。
明日を前向きに生きれるように「しんどかったね」って声をかけあって、過去の自分を慰めて癒したいんだよね。
みんな本当は相手を理解したいと思ってるし信頼したいと思ってるはず。その勇気と優しさを持てるかどうかだと思う。
正吉の最後のセリフを引用して記事をおしまいにします。
最後まで読んでくれてありがと🥰