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「蒼天航路」は荀彧のためにある!!

めんどうな仕事から逃避するように、全巻セット買いしてしまった「蒼天航路」。
曹操孟徳を主人公にした、三国志漫画だ。
ちなみに連載は、2005年に終わっている。
すでに17年前にブームを巻き起こした作品を、今頃読んでいるのである。
目的は教養。
ライターたるもの、三国志くらい知ってきゃいけないんじゃないか?と思い読み始めた。

何しろ、語られる出来事は遠い過去のことなのだから、私が「蒼天航路」を読み始めるはるか以前に、登場人物はみな死に絶えている。
歴史漫画とはそういうものだ。
わかっちゃいるのだけれど、蒼天航路のキャラクターたちは、その肉付けが素晴らしすぎて、すっかり彼らに魅せられ、同時代を生きているような気持で物語に没入してしまった。

その世界が、昨日、みんな死んで終わってしまったのである。
世間の皆様が、サッカーワールドカップに熱狂し涙していた時、私は一人全く違う理由で泣いていたのだった。

『蒼天航路』に登場するキャラクターたちは、みな、とんでもなくユニークで熱い。
敵役の董卓や呂布ですら、何かというと人の頭を握りつぶしている恐怖の大魔王なのに、ぶっ飛び具合が面白すぎて目が離せない。

個性ひしめくキャラクターの中で、曹操と覇業をともにする軍師たち(荀彧、郭嘉、程昱、荀攸)は、特にお気に入りだ。
最古参の荀彧の初登場は、こんなにかわいらしい秀才少年として描かれていた。

どう見ても、まだ子供である。
育ちもよさそうだし、苦労もしたこと無さそう。
それが、黄巾の賊徒の討伐後、乱世の表舞台から距離を置き、雌伏することを決めた曹操に「世界を見て歩き、見聞を広めるよう」言われて、ひとりで旅に出る。
何度も言うが、この時の荀彧はせいぜい10代後半、まだまだ紅顔の美少年である。

それが、中華を見て歩き、西域を旅し、数年後に戻ってきた荀彧は、こうなっていた。

いや、どう見ても別人でしょう。笑
けれど、ここから、軍師・荀彧の大活躍が始まるのである。

私が荀彧の戦の中で大好きなのが、袁術を撃退する話である。
中華の皇帝の証である玉璽を、たまたま成り行きで手に入れて勘違いした袁術。
現帝を廃し自分が即位しようと、鼻息荒く、曹操が守る許都に8万の軍勢を率いて乗り込んでくる。
荀彧は、それを、ほとんど武力を使わず撃退してしまうのだ。
その時、荀彧が使ったのは、凧と、ご飯と、農民の笑顔と、見せ兵と、言葉。
凧は、文字が読めない敵の兵卒たちに、わかりやすくメッセージを伝えるために絵を描いて揚げたものなので、正確には、「満ち足りて幸せそうな自国民の様子」と、「言葉」と「脅しにつかった見せ兵」だけが、荀彧の武器だった。
結果、荀彧は袁術の8万の兵を見事に撃退してしまう。
兵法だけではなく、心理戦を理解し、人が何を怖がり、何になびくかをうまく駆け引きの道具に使っているのである。

袁術に従って乗り込んできた兵士たちは、たいがい、食い詰めた農民だ。
「食べさせてもらえるなら」という理由で従軍しているに過ぎない。
荀彧が沿道のあちこちに仕込んだ許都の農民たちは、そんな兵士たちを気にする様子もなく、大きな鍋においしそうな汁を作り、みんなで笑いながら食べている。
そして、あろうことか、袁術軍の兵士たちを、おいでおいでと食事に誘うのである。
一人二人と、隊列から抜けて鍋に釣られていく兵士たち。

荀彧は、そこに追い打ちをかける。
要約すると「君たちのトップにいる袁術は、足るを知らず、欲望に際限のない化け物だ。そんな存在には、必ず神罰が下る」というメッセージを、イラストと文字で見せるのである。
遠くからでもわかるように、でっかい凧に書いて。

そして最後の仕上げが、畑の中に潜んでいた何万もの兵士たち。
一斉に立ち上がると、袁術軍めがけて、うねうねと蛇のように進んでくるのである。
これは怖い。不気味すぎる。

他人の幸せはうらやましいし、呪いは恐ろしい。
物も言わずに、自分たちに向かってくる不気味な兵士たちは、もっと恐ろしい。
当時の農民は、たいへん迷信深いので神罰だの、化け物だのというものを本気で信じている。
押したり引いたりしていれば、人の心は簡単にぐらつく。
こうして8万の袁術軍は、見る間に内側から崩壊していくのである。
人間って、2000年前からたいして変わってない。

荀彧は、本格的な戦闘で、そんなに活躍した話はないのだけれど、蒼天航路の中で、武力を使わない戦をやってのけた話は、たぶんこれだけだ。
いかにも荀彧っぽいエピソードだと思う。

少年期から、青年期、壮年期と描かれて、老年に差し掛かる前に荀彧は、病死してしまうのだけれど、そこでも私は号泣する。
歴史を描くということは、その人たちが死ぬまでを見せるということであり、どんなに大好きなキャラクターでも最後は必ずいなくなる。
わかっていても、ひとりずつ舞台から去っていくのを見るのが辛い。

本当にありきたりな感想しか言えなくて、自分が情けないのだけれど、今、目の前にいない人を、こんなにも生き生きと活写できる漫画家の先生たちって、本当にすごい。
「三国志くらい知っておかないと」と教養目的で読み始めた『蒼天航路』だったが、こんなに感情を持っていかれるとは思わなかった。
もっと早く読みたかったし、今年買ってよかった本のナンバー1である。
未読の人はぜひ。

**連続投稿296日目**


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はんだあゆみ
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