四国カルスト
昨夜は海に行きたいと思っていた。
……はずなのに、目が覚めたら9時過ぎ、どう考えても120km先の海を、今日中に往復できるとは思えない時間だ。
そこで諦めて、山に向かうことにした。
目的地は前から行ってみたかった、四国カルスト。
四国カルストは、松山から南へ約70km、愛媛県と高知県の境に位置する。
標高1000mを超える四国山地の尾根の上を東西20km以上にわたり、広がっている。
ところどころに石灰岩が露出する草原が続き「日本のスイス」と呼ばれることもあるらしい。
カルストを貫く県道383号線の両脇には、乳牛が放たれ、のんびり草を食べている。
これが「スイス」と呼ばれる所以なのだろう。
放牧地は鉄条網で区切られ、人は入れないようになっているため、放牧エリア外に人用の散策路と展望台が設けられている。
展望台からの景色は、山また山。
ここが四国の屋根であることを実感する。
カルストとは、石灰岩台地が侵食を受けてできた地形の名称だ。
日本では山口県の秋芳洞がたいへん有名だ。
私は、松山に来るまで「四国カルスト」の存在すら知らなかった。
雨に溶けた二酸化炭素が、石灰岩(CaCO3)を少しずつ溶解させ、独特の地形を作る。
例えばこんなの。
地表に飛び出した、溶け残りの石灰岩の群れを、カレンフェルトとよぶ。
溶け残るところがあるということは、逆に他よりも溶けやすくて、早く侵食が進むところもあるということで、そういうところはドリーネと呼ばれるお椀型の穴になっている。
草に覆われて見えないが、たぶんこの平原にもあちこち、落とし穴のようなドリーネがあるのだろう。
鉄条網は牛の保護というより、人間がドリーネに落ちないように作られているのかもしれない。
私が不思議だったのは、その植生だ。
上の図のAは、四国カルスト、Bは、鳥形山石灰岩採石場だ。
Bの採石場は、露天掘りでは日本最大規模のものらしい。(ヘッダー画像は拡大地図)
この辺り一帯は、約2億年〜1億4600万年前のジュラ紀には、はるか南の海の底にあった。
そこに堆積したサンゴや石灰藻の死骸がプレートに乗って北へと運ばれてきた。
この死骸は、長い時間と圧力をかけて、石灰岩になった。
プレートは、ユーラシア大陸棚にぶつかり、南海トラフに沈み込む。
そこでプレートの上に乗った石灰岩が、潜り込む際に置き去りにされて、陸地として残った。
それが、四国カルストであり鳥形山なのだ。
この地層は、東西に四国を貫いていて、南北にもそこそこ幅がある。
ざっと見ただけでも、北側の山嶺はカルストっぽい。
規模が小さいため観光地化していないが、牛がいないだけで風景は四国カルストと変わらないはずだ。
四国カルストに至るまでに、川のそばを走ってきたが、その川底にゴロゴロ転がっている岩も、どう見ても石灰岩だった。
ということは、この辺全部が石灰岩でできているのに、なぜカルストになるところと、ならないところがあるのだろう?
同じ石灰岩台地なのに、落葉広葉樹の林ができるところとできないところでは、何が違うのだろう?
標高は関係ないと思う。
なぜなら、四国カルストに入る直前まで、生い茂った樹林帯だったから。
高さは変化したとしても、せいぜい数メートルだろう。
植生が変わるほどの差はない。
人為的に、森を切り開いているわけでもなさそうだ。
なんだろうなぁ。
土の中のpHが関係するのだろうか?
謎だけ残って気持ち悪い。