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黄金期

突然だが、初夏の深夜1時41分。私はnoteを書き始めることにした。というのも、自分の内側で燻り凝り固まっているものを自らの手で解そうと思ったからだ。もう私も子供ではない。

 20歳。成人。成人とは一体なんだろう。どういった状態が大人なのだろうか。大人とはなるものなのか。それともその人の心の状態が大人という性質を抱いているから大人というのだろうか。はたまた大人なんてどこにもいないんじゃないだろうか。子供が大きい人間のことを勝手に大人と言っているだけで。
 こんなの身近な友達でも学校の先生も、くたびれたサラリーマンも路上のホームレスも煌めいて見えるアイドルだって、どこでも誰でも一度は思索に耽ったこことがある話なのだろうが、私は大人なんて汚いと思っていた。若さにこそ価値があると考えていたのだ。だがどうだ。そんな胸中など脇目もふらず差し置いて、すっかりその感情すらどこかに見失ってしまった。年齢のみならず、わたしも大人の端くれに成り果ててしまった。大人なんてどこにもいないとは言ったが、確かに私の一部分は大きく変わってしまったのだ。これを絶望と言わずなんと言おう。あの未知の世界に胸を膨らませていた、幼い私にどう説明しよう。お前は知らなくていいことをもうたくさん知ってしまったし、今後元には戻れない。全て自分が選んだ道なのに、どうしようもなく人生を悲観して顔を覆ってしまいたくなる時が突如訪れる。そんな夜を忘れる為に、お酒と煙草は存在しているのだと思う。こんなに知能は必要としていないから、こんなに自由はなくても我慢できるから、こんなに育ちすぎたおっぱいはいらないから、こんなにたくさんの感情を教えなくて良いから、どうか黄金期に戻らせて。と誰彼構わず縋りたくなる。自分の身体を気持ち悪いと思ってしまう。大概自分の中で渦巻いて眠ってしまって、すぐなかったことにしてしまうのだが。

私の好きなパニュキスという本に
このような1ページがある。

「ネリー あなたは黄金の人なんですね。
ご存じでしょ。神話だけど 神は人間をはじめ黄金でつくったという話をですよ。
だけど人間を成長させるために泥を混ぜて人間を大きくしたんです。
だから大人になればなるほど泥の率は高くなる。
子供の時代だけが純粋に黄金なんです。ぼくなんか相当泥が混じってしまって……
だけどあなたは今でも黄金だけで泥を持たずにいる。
そういう人をぼくは初めて見るんです」

初めてみた時、全身に衝撃が走り、暫くの間目を離すことができなかった。あぁそうか、私が溜め込んでいるものは泥なんだ。突如身体が拒み、時たま見せる天真爛漫だと言われる感情は、私の中のごく一部の黄金が僅かに横顔をみせているだけなのだと悟った。

 2年前、まだ私に黄金が今より色濃く残っている時代7つ上の恋人がいた。彼は二人が映った窓ガラスを伏し目がちに見つつ、こう言った。綺麗なものを一緒に見る時、いつも心を踊らせて純粋に喜ぶことが出来るんだね。その気持ちを僕はもう失ってしまったから、君をとても羨ましいと感じる。そういうところに僕は惹かれているのだと思う、と。あの頃はちっとも理解できなかったが今なら少しわかる。分かってしまう。無論、ちっともこんな感情理解したくはなかったのだけれど。だがまだ私は20だ。人生はこれからも続く。果てしない道のりが目の前にだだっ広く広がっている。私はまだ生きなくてはならない。どこに妥協してどこに愛を持ち、何を育み何を抱えていくのか、全部自分で決めることだ。全て自分で背負っていかなくてはならない。
 さて、そろそろ終わりにしよう。明日もまたやらなくてはならないことが待っている

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