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無職の焦燥感、そして自問自答

無職生活3ヶ月目です。

退職してからこれまで、勉強・ボランティア・旅行・コミュニティ参加など、羽が生えたように軽くなった心と体で色々なことにチャレンジしてきましたが、つい数週間前、チャレンジしてみたいと思える仕事を見つけました。

その仕事はデザイン関係の仕事で、未経験でも挑戦でき、絶対に自分の糧になるだろうなと確信できた仕事。とはいえまだまだ勉強して数ヶ月の身なので、採用される可能性は正直高くないな、というものでした。

しかしその仕事の応募に向けて、急遽学習時間を大幅UPし、ポートフォリオを作り、自主制作作品を作りまくりと、応募締め切りまで急ピッチかつ高濃度に準備を進めました。

しかし、結果は不採用でした。
まだまだ実力不足だし、採用される可能性は最初から低いと分かってはいたものの、結構ショックを受けました。それからというものの、今までの明るい気持ちに急に翳りが見えて、この数日間は「何でもいいから働かなないといけないのでは・・・」と退職時の決意はどこへやらのマイナス感情になってきていました。

今後のキャリアを考えることに対する疲れ

私は本が好きですが、ここ最近手に取る本は自然と「働き方」や「キャリア」に関するものが多くなっていました。適職診断できるものや、成功体験記などの本をよく手に取っていましたが、一方でそれらを読むことに気乗りしない自分もいました。

手に取った本に飽きることはあるあるなので、その時はあまり気にしていませんでしたが、今思えば働き方について考えすぎて疲弊していたのだと思います。

また、友人に会って仕事を辞めたことを話すと、必ず「今は何やってるの?」とか「どんな仕事したいの?」と聞かれます。
そのたびに「まだ決まってないよ」とか「こういう勉強してるからその方向かな」などと答えるのにも疲れていました。

自分自身だってわからないし、答えを探してる途中なのです。
でも、いったんはその場での回答を用意しなくてはならない。
自分の人生なのだから他人のリアクションなんて気にする必要はない、と頭では分かっていつつ、早く他人に報告できるほどの結果を出さなければと謎の焦燥感に苛まれ始めていたように思います。

やりたくもない求人を眺める

募集にも落ち、働き方を模索するのにも疲れ、他人からの目線も気になってくると、やりたくもないのにアルバイトや派遣などの求人を眺め出してしまいます。

「やってみたい」という気持ちよりも、「これならできそうだな」とか「これはラクそう」といった邪な気持ちをベースに選び始めると、心がウッと詰まってくるのを感じます。

私は生活のための仕事に疲れ果てて退職したのに、
そしてもうその判断軸を手放そうと決意したのに、
心が乱れるとこうやってすぐに昔の判断基準に舞い戻って、そして心をさらに疲弊させる。この負のスパイラルは何なのでしょうか。

久しぶりに憂鬱な気持ちが心に帰ってきていました。

自問自答する

このままではまずいと思い始め、今日は自分の気持ちを整理するために長距離の散歩に行くことにしました。
2駅先をゴールに設定し、1時間弱、歩きながら自問自答を繰り返しました。

自問自答の結果、
「収入が途絶えているので、少しでもアルバイトなどで稼いだほうがいいのでは」という問いに対しては、
まだ貯金は底をついていないのだから焦る必要はなく、むしろここでやりたくもないアルバイトに時間を費やしてはせっかく生まれた時間をドブに捨てることになるからやめよう、と思い直しました。

「自分はどんな仕事をしたいのか?」という問いに対しては、答えは出ていません。ただ、私はこれまで公務員しか経験したことがなく、他業界についても知らないし、そのほか世間の潮流やトレンドや、自分と違う価値観にあまり触れてきませんでした。
そもそも外の世界を知らないから、自分のキャリアについても解像度が低いままなのかもしれないなと思いました。

だからこそ、今は時間をかけてでもこれまで自分が見聞きしてこなかった世界を知る努力をしていかないといけない。この2ヶ月間、ボランティアにチャレンジしたり色んな人と話したりしたことは確実に自分の中に経験値として蓄積されていて、そういうことを続けていくしかないんだよなあと、改めて感じました。

「どんなことを仕事にしたいか」は1日、2日で答えが出るようなものではないし、すぐ答えが出ないからといって焦って求人の中から探そうとしてしまうと、また同じ失敗をしてしまうのは目に見えています。


他人軸より自分軸

これからは自分軸で人生を作っていこうと決意したはずなのに、こんなちょっとした出来事の重なりで、ふいに他人軸の思考に戻ってしまう自分がいます。

貯金があるのに焦って「すぐに働かないと」と思うのは、自分の中で勝手に作り上げた他者のまなざしが「働いてないなんて・・・」と自分を脅すからです。

迷った時に誰かに答えを聞きたくなるのは(適職診断やキャリア講師やGoogle検索 ete.)誰かに「あなたは〇〇なのです」と断言されたほうが、自分の頭で考えなくて済み楽だからです。

けれど自分のことは結局自分で答えを見つけるしかなく、逆に言うとその能動的なプロセスこそが人生の醍醐味でもあるように思います。

今日の自問自答の結果、
他人軸の考えになっていた自分を俯瞰して見ることができたため、
明日からまたゆっくり、今のモラトリアムを味わいたいと思います。

帰り道に本屋で、久しぶりに詩集を買いました。
最近は小説や詩集なんてほとんど読んでいませんでした。
いったん落ち着いて、溜まったストレスをほどいて、ひとまず意識的にゆっくりするつもりです。


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