[明石昌夫]好きなことをやっていれば、それが次の10年を作る
本日のクソジジイのYouTubeチャンネルはですね、テーマとしてですね、好きなことをやっていればそれが次の10年となる、10年を作るっていうテーマです。これはですね、僕の今までのキャリアが、思い返すとそういうふうなことがあったなーっていうので、とりあえずちょっと最初から話してみます。
まず、僕の場合はfacebookにも書いているように、20代がベーシスト、30代がアレンジャー、40代がプロデューサー、50代が大学教授、60代が仙人っていうふうに書いてるんですけども。それの最初の10代の頃のそのベーシストの頃、その頃まだ大阪にいてっていう話は別のYouTubeでやってますけども、そこでベースを弾いて、俗に言う売商ってやつで、それで生計を立てたわけなんですよね。なんだけども、その菅沼孝三と一緒にいろんなライブハウスに出るバンドをいろいろやって、その頃も4つも5つも駆け持ちしてて、いろんなジャンル、それこそもうAORとかフュージョンだったりパンクだったり、そういうのいろんなバンド、ブルースだったり、そういうのいろんなバンドに参加してたんですけども。その時にそのAORのバンドのところで、みんなでって言っても曲作るのは、僕かそのギターのやつかどっちかが作るんですけども、それの僕が自分で作ったやつは、自分で曲を作ってアレンジして、それを全部譜面に書くんですよね。その当時、そのAORのバンド、菅沼孝三がいたやつ、バンド。そのバンドはそのまんまそのバンドで売商もできるみたいな、そういう全員譜面がちゃんと読めるっていう、初見で読めるっていう、そういう人達が集まってたんで。当時はそういう譜面が初見で読めて演奏ができるっていう、そういうスタジオミュージシャンが思いっきり旬だったんで。その当時はもうみんなそういうちょっと気の利いたミュージシャンはそれを目指してたって。筋金入りのロックの人達はそんなことには目もくれない人もいっぱいいましたけども。そういう風な感じの人達が集まって一緒にバンドやってたんですよね。そこで一銭にもならないのに一生懸命譜面書いて、アレンジの勉強して、アレンジ実際にやってどうなったっていう、フィードバックができてみたいな、そういうのをやってたんですよね。そうするとそういうの本当にもう一銭の得にもならない、単なる趣味のことっていうのが結局その10年後の30代っていうのはそれがメインの仕事になってるわけなんですよね。そこでその30代っていうのはその譜面をやたら書くっていう、そういう風なことが、その後で譜面を書くっていうかな、そうそう20代の頃はいろんな打ち込みの機材が安くなったんで、自分で打ち込みをしてっていうそういうのがマニュニレーターみたいなこと。もう自分のデモ用にっていう感じでオーディションでいろいろ応募したりしたんです。それ用にいっぱいアレンジして打ち込みしてみたいなのも本当に一銭にもならないのに一生懸命やってたわけなんですよね。そうするとその2つ、その譜面書いたり、その打ち込みしてアレンジして打ち込みしたり、そういうようなものが次の30代のアレンジャーの10年っていうことの基礎になってるんですよね。それがあったからそこで30代にそういう風な部分ができた時にそれができてるっていう。
その人生ってよくできたもんというか、スピリチュアル的には基本は自分のそういう大まかな人生っていうのは、自分でプログラミングしてるんで。ただその時にネガティブになるかポジティブになるかっていうところの部分が不確定なんで、それによってパラレルワールドがいっぱい分かれてるっていうそういう考え方なんですけど僕は。その辺の話が本当は一番したいんで、そのうち追々色々そういう風なチャンネルもやろうかなと思います。もう今はこう音楽系の話、まだネタが若干だいぶ尽きてきましたけど、あるんで。それがなくなったらそういう話、別っていうかな、スピリチュアルクソジジイです、みたいな感じのテーマでしようかな。そんな感じでやろうかなと思ってます。
そんな感じでうまくそうやって次の10年を作るための基礎っていうのが、その前の10年に本当にもうお金にも何の得にもならないのに好きだからやってるっていうのが次の10年の層は作ったんですよね。次の10年っていうのがアレンジャーの時代っていうのがあるわけじゃないですか。その時はB'zのツアーも周らせていただいて。そうすると移動の時間だったり、会場に入ってから本番までの待ち時間。B'zチームの場合はもうリハーサルすごい短いんで。基本的にはサウンドチェックっていうのはワンコーラスだけなんですよね。ワンコーラスでやったら、もうじゃあよろしくお願いします、ってもう本番っていう感じなんですよね。なんですごく待ち時間が多いんですよね。特に球場のやつだと、6時半開演だとすると開場が4時ぐらいかな、それぐらい。そうするとリハーサルってのはもう3時ぐらいに始めないといけないんですよね。そうすると1時か2時に入って、3時にワンコーラスだけやって、長くて3時半ですよね。そうするともう3時間本番まで時間があったりするんですよ。あとはもう移動の時間だったり飛行機とか新幹線の中とか、そういうのもいっぱいあるんで。そこで本を読んでたんですよね。もともとは小学校の3年生の時に、学校にある図書館で本を借りて、歴史の本を毎週借りたのかな。毎週借りて毎週1冊ずつ読んでたのかな。豊臣秀吉とか織田信長、徳川家康、そんなのをやたら読んでたっていう、ものすごいそういう当時から読書家だったんです。それででロックを始めてからっていうのは、やっぱロックっていうのは不良な音楽だっていうのがあって。優等生には向いてないんじゃないかっていうところでですね、本を読むのやめたんですよね。この真面目に不良になろうとしているところが優等生なんですけど、本来ね。なんですけどもそういうことで、本当に20代の間本当に本読むことを封印してたんですよ。なんだけども30代になって一応ロックができて全国ツアー周ってるわけじゃないですか。別にもうできたから無理に不良にならなくていいやって思って。メジャーデビューみたいな感じの仕事をやってると意外と、不良の人じゃない人なんですよね、生き残ってる人って。なんで意外とね、バンドやってる奴っていう中で、そういうデビュー関係のことができるような人達ってのは一握りなわけで。なぜかそれがその俗に言う不良な人もいっぱいいますけども、それと優等生と半々ぐらいかな。意外と高学歴の人多くて。稲葉さんは横浜国立大学だし、広本さんっていうキーボードの最初のキーボードのサポートの人も北海道大学だったりするんで。いろいろ学歴が高卒の人もいればそうやって大学院卒の人もいるみたいな、そういう感じで。僕が知ってる限りではねKing Gnuの芸大ってのが一番強力だなと思います。
そんなんどうでもいいんですけど、本をやたら読み始めたんですよ。もう1回ですね、こう最初は歴史物から読んだのかな。司馬遼太郎を読んで。司馬遼太郎ってあの人ものすごいいっぱい本出してるんですけども、8割か9割全部読んでますね。だって歴史物で戦国だったり明治維新だったり司馬遼太郎さんだと、そういうふうなところがメインだったりするんで。そういうふうなことをやってるときに、堺屋太一さんっていう昔の東京都知事の方なんですけども。その方が歴史物とビジネス物を書いてるんですよね。そのビジネス物も読むようになって。そうするとこのビジネス物が好きだなっていうところで、城山三郎さんとか高杉良さんとか、その辺の人達も本当にもうそういう人達の著書のものすごいいっぱい出してる人なんですけども。8割ぐらいは全部読んでしまってるっていう。本読む人ってやたら早くなるんで。下手すると文庫も一冊1日で楽勝で読んじゃうんで。どんどん本棚がいっぱいになって。この間までもう家の中は本だらけだったんですけども。ここに引っ越す前にもう全部売ってしまったんで。今残ってんのは20冊ぐらいですね。音楽関係で思い入れのある本だけが残ってます。別に本棚もない。ここのバックにも全然本棚ないでしょ。そこでそうやっていっぱいいろいろ本読んで。特にビジネス書を読んでると高杉良さんの本だと、そういういろんなサラリーマンとか会社とか、そういうふうなもののサラリーマンの悲哀みたいなやつ。そういうふうなものがいっぱい出てくるわけなんですよね。そこでサラリーマンの人ってのはこういうふうなことをやってるんだ。自分がやったことはないからほとんど。そういうようなことがいろいろ分かったというところで。
今度40代でそこのアレンジャーからプロデューサーっていう仕事に変わったと。そうすると今度直接そのレコード会社の人と話をするわけですよね。そうするとやっぱそのレコード会社の人っていうのは基本サラリーマンなわけですよ。そうするとそういう人達の考え方だったり、なんでそういうふうになるんだとか、そういうふうなものっていうのが普通に考えればめちゃくちゃ理不尽なことがいっぱいあるんですけども、その辺のサラリーマンっていう会社っていうシステムの中の流れを考えると、上司がいてそういうふうなのがあるんで。その現場の人達がもう言ってることがどんどん変わっていくとか、そういうふうなこともそういうふうな仕組みでなってるんだなってことがわかるんで。そこで理解して自分はどう立ち回るべきかみたいなのがだんだんわかってくるんで。その辺のそのプロデューサーになってからっていうのは、その30代でやたらビジネスを読んでたっていうのがものすごく役に立ってるっていう。それもそのビジネスを読んでるってことは何の役にも立たないし何の得にもなんない。ただやりたくてやってた。そこでやったんですよね。
次にその40代の時のそのプロデューサーって仕事。それは売れてる人の仕事もありますけども新人の仕事っていうのがすごい多いわけですよ。そうするとそのレコーディングのやり方だったり音楽の考え方だったりそういうふうなものを一から教えてあげるっていう、そういうふうなのがプロデューサーの仕事だったりするわけなんですよね。それをずっとやっててそれがそのまんま同じことが50代の大学の仕事。音大生の若干優秀な奴らとかと、やっとメジャーデビューできた新人って大体同じくらいのレベルなんで。本当に同じことなんですよね。その大学の仕事をオファーされた時のその洗足音楽大学のロック&ポップスコースのトップの前野さんっていう人と、いろいろお話をした時にいや普段やってるプロデュースと同じ仕事ですよって言われて。確かにそうですよね、みたいな感じで。プロデューサーってのはレコードをCDの音源を作ればいいだけの話なんで、別に教育する必要ないんですけども。人に教えるの大好きなんで。僕は音楽と教育が天職だと思ってるんで。なんで今もそうやってレッスンとかね、カウンセリングとかね、やったりしてるんですけども。そういうふうなのでこれからもずっとそうだと思うんですよね。そうやっていろんなこう新人に対していろいろ教育をしてたのがそのまんま次の10年。
その後の50代の大学教授の間っていうのはそれまでもいろいろ興味があったんですけども。スピリチュアルな感じのことにものすごく興味が持ってきて。それがおそらく60代70代に役に立つんだろうなと思っています。先のことはわかりません。
なんで何かやってる時っていうのに何の役にも立たないんだけども、好きだなーってやってること、こんなことやっても無駄だなーって思うようなこと、そういうことをやると次の10年を作ることがとてもよくあるんで、皆さんも好きなことはやってください。それをお薦めしたいので、今日のクソジジイの動画があります。ありがとうございます。