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凶夢~満州国皇后・婉容~(小説)

清朝最後の皇后であり、満州国の皇后である、婉容についての短編小説です。

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 序

 ――阿片で見る夢は、いつも甘い。

 辛い現実がどろどろに溶け、甘い夢になる。それが、私を酔わせる。
 そんな夢に、私はいつも酔っていたい。

 最近、どれが現実で、夢なのかがわからなくなってきている気がする。
 でも、いい。
 現実は辛すぎるから。
 いつも、いつも、甘い夢に酔っていたい。

「何が、真実だったのかしら?」
 私はつぶやく。
 甘い煙を吸い込みながら。

 清朝最後の皇后と呼ばれたこと。
 その夫は、実はほかの女のほうを先に選んでいたこと。
 廃位されたこと。
 夫がほかの女と離婚したころから、体面を気にする夫は、私を邪険に扱うようになったこと。
 ――。

「どれが、真実だったかしら?」
 私は思い巡らせながら、呟く。
 傍らの男は、私の呟きを聞いても何も言わない。
 ただ、私の手から阿片を吸っていた筒を取り上げ、私を抱きしめた。

(この男は、誰だったろう――?)
 夫?
 皇帝?
 それとも――?

 もう、何もわからない。
 ただ、幸福な気持ちがあるだけ。

 そう感じる一方で、わかっている。
 この夢がさめたら、辛すぎる現実が戻ってくることを。

 でも、でも今だけは。甘い夢に酔っていたかった。
 今だけでも――。

 

 私は、17歳のとき、皇帝の皇后に選ばれた。
 それは、寝耳に水の出来事だった。
 私は、ミッションスクールで学び、西洋風の教育を受けて育った。王朝の皇后になるなんて、古臭い因習に縛られるようで、泣いて嫌がった。
 でも、皇帝命令は絶対で。逆らうことはできなかった。


 同い年の皇帝は、幼いころから皇帝だっただけあり、威厳があった。
 でも、話したら、宮殿の外の世界に憧れを持っていることもわかった。
「私は、宮殿の外に出たことがない」
 皇帝は私と会うと、いつもそう言っていた。
「だから、外の世界の話を聞きたい」
 そう続ける皇帝に、私はいつも、他愛もない――だが、もう私も得ることができない、と当時は思っていた――『外』の世界の話をした。皇帝はいつも目を輝かせて聞いていた。

 そんな皇帝の様子は、いつもの威厳のある様子とはまるで別人で。
 そんな彼を可愛らしく思う心は、いつしか愛に変わっていった。

 ――ような、気がする。

 愛、というものが、目に見えたら、これが愛なのか、がわかるのに。
 あの気持ちが、本当に愛だったのか。正直よくわからない。

 ただ。

 皇帝がきさきを決めるとき、最初に選んだ女が、私・婉容ではなく、淑妃・文繍という女性であった、と聞いたときは、激しい怒りと嫉妬に苦しめられた。
 私より美しい女性なのか、優れた女性なのか、ずっとずっと心からそんな思いが離れなかった。
 だが、紫禁城は広すぎて、彼女と会うことはめったにない。たまに見る姿かたち以外、彼女の人となりなどはまったくわからない。
「皇后さまのほうが当然、お美しいですよ」
 そう言う周りの声に、ほっとしたり。
 周りの者は、みな私に気を使ったり、おべっかでそう言っているのではないかと思ったり。
 私より姿かたちが美しくなくても、心映えが美しい女なのでないか、などど思ったり。
 淑妃の存在を知ってから、彼女の存在が心から消えることはなく、私を苦しめた。

 

 1924年のいわゆる政変で、皇帝や私たちは紫禁城を追放された。
 今まで、王朝は否定されても、紫禁城に住むことは許されていた皇帝は、一人ではなにもできなかった。
 日本以外の各国の助けを得ることもできず、国内を移転していく中、今まで宮と宮で離れた生活を送っていた皇帝との密接な日々が嬉しい反面、近くにいるようになった淑妃の存在は、私をいらだたせ、苦しめた。
 私は表でも陰でも、彼女に嫌がらせをした。
 彼女の存在そのものが、私には許せなかった。
 それが、皇帝への愛だったのか、皇后だった私の矜持からだったのか、両方が原因だったのかもう、よくわからないけれど。
 そうして、淑妃は、私たちのもとから去っていった。
 そして、皇帝との離婚申請を裁判所に起こした。

 私は皇帝(正確にはもと皇帝だが)のただひとりのきさきになったけれど、その頃から、皇帝との間がうまくいかなくなった。
 皇帝はもともと、女性には興味はなく、私のことも『皇后である身近な女性』としか見ていなかった。
 皇帝は、外の世界に憧れていたのに、実際に宮外に出ると、自分が何もできないと知った。そして、復位を考え始めた。
 我が国に勢力を伸ばしたい日本国と利害が一致し、連携する中で、離婚という皇帝の体面を汚すきっかけを作った、私を許すことができなかったのだろう。

 そんな彼に、私も、気持ちが冷めていくのがわかった。
 私はきっと、自分が失った(と思っていた)外の世界への羨望を熱く語る彼を愛していたのだ。

 だが、体面を保つために、泣いて訴えても、離婚は許してはもらえず。
 淑妃のように、彼のもとを出ていく勇気もなかった。

 体面を保つために、外では仲のいい夫婦を演じ、笑いあう。
 中では言葉も交わさない夫婦。

 段々、私は自分が疲れ、壊れていくのがわかっていた。

 

 そんなとき、側仕えのものから、阿片をすすめられた。
「吸うと廃人になるものでしょう?」
 はじめて聞いたとき、私は小さく叫んだ。
 その彼は、
「吸うと、何もかもを忘れられますよ?」
 と言った。
「私も吸っていますが、普通でしょう?」
 とも。
 確かに、その彼は廃人には見えなかった。
 吸うと楽になるという言葉と、好奇心から、私は、彼の持っていた筒に手を――。

 そっと吸うと、確かに気持ちが少しだけ、楽になった気がした。

 それからだ。
 辛い気持ちになると、彼の持つ筒に手を伸ばし、煙を吸うようになったのは。

 だんだん、阿片の見せる夢の時間が長くなっていく気がする。
 それが恐ろしかった。
 でも、その夢の甘美さから逃れることはできなかった。

 筒を持つ彼に、抱かれたのも、夢うつつの中だった。
 皇帝は私を抱いたことはなかったから――、その行為は初めてで。
 でも、阿片を吸ってからのその行為を拒むことはできなかった。むしろ、溺れた。

 1934年、夫が満州国皇帝となると、私も再び皇后になった。
 夫との仲は、冷え切ったままだった。






 

 私の人生は、こんなものだったのだろうか?
 そう考えるとむなしくなる。
 その思いから逃れるために、阿片の煙をまた吸い込む。

 その煙の中では、私はいつも微笑んでいる。

 隣には夫がいる。夫も笑っている。
 清国王朝の皇帝と皇后の衣をまといながら、私たちは顔を見合わせて微笑むのだ。

 そう、夢の中では、夢の中ぐらい、幸せな夢に酔っていたい。

 いや、こんなのは現実ではない。
 私は満州国の皇后で……あの夫の妻で……。

「吸うと楽になれますよ?」
 男が笑い、また煙を吸うように促し、私はまた甘い煙を吸い込む。

 筒を傍らに置き、彼と抱き合いながら、私は快楽と夢に溺れる。
 いつか、自分は自分でなくなる、という不安を忘れるように。

 あとがき(note版)

 この小説は、カクヨムに投稿したものです。
 一時間半で一気に書き上げたので、読みにくい面も多々あると思います。精進します。

タイトル画像は、写真ACさまからいただきました。

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