2024.04.24 どうか笑って、武道家さん
こないだネット上の友達と喋ってて、剣道の話になった。学生時代に剣道部だった人がいたのだ。その中で「一本を取った後にガッツポーズをすると、その一本が取り消しになる」というルールがあると知った。
剣道の一本取り消しもそうだし、土俵上でガッツポーズをして協会から厳重注意を受けた朝青龍もそうだけど、何で武道って喜ぶことひとつ禁止されているんだろうか?と疑問に思う ※1。
それダサいよ、本当は嬉しいのにそれを内側に押し殺して、スンとした顔をしてオトナのフリしてスカすって。我慢して自分の感情を二の次にするのがカッコいいわけないし、それを美徳とする風潮は苦しいものだと思う。
スカさずに自分の感情に素直になれる人の方が、俺は素敵だと思う。それができる人の方が、自分にも相手にもウソをつかない人だって思ってる。
というかこんな理屈とかウダウダ語るよりもさ、嬉しい時は嬉しい、悲しい時は悲しいって、言っていいじゃん。そんな単純な話だぜ? 人間の感情をさ、誰が支配・制御できるっていうの? 俺の感情を誰が止められるというの? 誰も止められないぜ?
そういうことをまーた ※2 グチグチ言ってた。友達からは「武道の世界では勝って喜んで油断してると、その隙をついて不意打ちを喰らって殺される可能性があるから、勝って兜の緒を締めよの精神なんだよ」とたしなめられた。
じゃあ言わせてもらいたい。剣道も相撲もあくまでも「スポーツ」じゃんか。殺すなよ、人を。スポーツで。なんでスポーツマンシップにのっとった勝負事で殺される可能性があんだよ。スポーツはタマの取り合いじゃないんだよ、ルールに従ったうえで勝敗を決めるんだよ。だから殺されるかもって怯えなくていいよ、大丈夫だよ。
じゃあプロレスとかボクシングとかBreaking Downとかどうすんのさ。あんなにも殺し合い寸前みたいなことして、勝ったら雄叫び上げて「1・2・3、ダーッ!」じゃないんだよ。タマ狙い放題じゃないか。
でもみんな安心してマイクパフォーマンスやってるんだぜ。格闘技でさえそういうとこのルールはちゃんと守るんだから、武道なんてもっと安心じゃんか。竹刀で誰を殺せるというのか。
百歩譲って、クレーン射撃とかアーチェリーならそういう心構えは必要かもしれない。たしかにこれは危ないと思う。でも殺しちゃダメなんだけどね。
※1 もちろん煽ることは禁止ですよ。相手を煽る暇があんなら自分の嬉しさに集中しろよとも思う。
※2 ネット上の友達相手には気付いたらこういう世の中の納得いかないことの話ばっかりしている。いつも迷惑かけてごめんね、でももうちょっとだけ付き合ってね。
いやもちろん勝っても油断するなという心構えの重要性は分かる。勝利にあぐらをかいてしまったら選手は努力をやめてしまい、もう練習しなくなって、当然次の大会では予選敗退して、でもかつての栄光にすがってプライドだけいつまでも高いというクソ選手になってしまうだろう。
ただ、勝ったその瞬間、その日くらいは許してやってほしいと思う。そりゃ嬉しいじゃんか。血の吐くような努力をして、24時間全てを競技に費やして、くじけそうになっても諦めなかった先に掴んだ栄光。
その感情をよく押し殺せるなって思ってしまう。俺だったら無理だわ、漏れて怒られると思う。むしろそんなに嬉しくもないのかい?と誤解しちゃう。今日ばっかりは爆発しなよ、そして寝て次の日になったら切り替えてまた練習してよ。
そしてそんな抑圧を強要して偉そうな顔してふんぞり返ってる協会のやつらって、なんて怖い人間たちだろうか。何の文句があんだよ。お前の国の選手が世界大会で勝ってんだから、お前も一緒になって喜んでやれよ。
武士道精神の中に「対戦相手への敬意を払う」というものがあるというのならば、相手に対して「負けた腹いせに俺を殺しにくる可能性がある」という考えが浮かんでしまうこと自体が、結果的に相手を軽蔑していることの現れなのではないかい?という理論になる。
「俺が戦った相手はそんな仁義に欠けた人間じゃない、俺が(煽りパフォーマンスじゃない程度に)喜んだとしても逆ギレなんかしない」という心構えだって、ある種のリスペクト精神ではないだろうか。
なんでこっちに心を許してお腹をさらけ出す猫ちゃんはかわいいとチヤホヤされるのに、勝って油断して喜んでる武道家は厳しい目に晒されてしまうのだろうか。やってることは同じじゃないか。
こういう考えになってしまうのは、この令和の時代の流れが大きく影響していると思う。殺し合いが普通にあった戦国時代を経て、法整備が進んだ昭和・平成も終わり、令和というのは「推し文化の時代」だと思う。
ネット越しに投げ銭が盛んに行われ、月額課金やメンバーシップ機能が当たり前のように見られるようになる。推しは推せるときに推さないといけないし、ファンサイドだって何かしらのアクションを起こさないと推しが長らえないという責任感も行きわたった。今やおっさん芸人だってアクスタを販売するし、それが売れるし、出先で一緒に写真を撮って推し活をするファンもいる。
「あなたが笑っている顔を見るだけで、こっちまで嬉しい気持ちになる」そんなシンプルなことに尽きる。自分の好きな人が幸せそうにしているだけで、ファンの心も潤っていく。
そこが武士道精神とは相容れないのだと思う。自分が推した選手があんまり喜んでない(ように見える)という状況に、令和の若い人はついていけるのだろうか、そこは割り切ってくれるのだろうか、推し甲斐がないと思ってしまうのではないか、なんてことを考えている。
そして推し文化の延長線上に、もっと大切なことがあると思っている。絢香の「にじいろ」という曲に「あなたが笑えば誰かも笑うこと」という歌詞がある。
あなたの推しが笑っているだけであなたまで笑っている。じゃあ別に有名人じゃなくたって、あなたが笑うことでも近くの誰かを笑顔にできる可能性だってあるということではないのかい?
もちろんトップYouTuberとかカリスマアイドルほどの大規模な話ではないんだけど、目の前の友達1人くらいは笑ってくれやしないだろうか? 推し活という娯楽がここまで認知されたのであれば「笑顔の連鎖」という強さくらいもうみんな既に知っているのではないだろうか?
俺はたとえ有名人じゃなくたって、目の前の友達が嬉しそうにしているだけで心が潤うよ。自分が推している芸人さんのことを熱く語っている人を見ると、あまり知らない界隈だったとしても、話に上手く入っていけなかったとしても、心の中ではちゃんと潤っているよ。
YouTuberだってアイドルだってみんな元々は何者でもない普通の片田舎に住んでるたった1人の人間だったのだ。あの時と何が違うのかってただ単純に知名度の規模が大きくなっただけであって、何者でもない頃だって近くの友達くらいはあなたと一緒に笑ってたんだよ。
笑顔の連鎖は全ての人々に与えられている強さなんだと、この令和という時代を見ているとそう思わされるし、俺はそうだと信じている。
だからいつまでも戦国時代の人殺し文化になんか囚われていないで、どうか笑って、武道家さん、って思う。スポーツ選手が与えられるのは勇姿だけでなく、幸福感だってあるはずなんだよ。
…なんてことをウダウダ言ってるが、別にパリオリンピックは一切見ていないんだけどね。