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2021.09.06 宇治にて~紀元前から飛鳥・令和まで~

ぶらり途中下車の旅、宇治駅で降りた。先週山崎で歩いた時に「田舎とか郊外しか歩いてないなぁ」と思ったから、次はもうちょい都市部に行こうと思った。だって京都なんだもん、歴史的な風景とかを見てみたいよ。

着いてみて思った、駅舎が大きいね。人の多いエリアに来た感じがする。

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振り返ってみると、様々な時代の特徴が混ざり合う都市だったなぁと。

まずはもちろん文化財。宇治茶の栽培が始まったのは中世らしい。駅近くの宇治橋通りにはお茶を扱う店が多く、伝統的な家屋だった。

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茶屋を模した店では抹茶ソフトクリームを売っていて、高架からは茶畑を見下ろすことができた。

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宇治川に橋がかけられたのは飛鳥時代にまで遡るらしい。飛鳥時代って既に大きな橋を造る技術あったんだ。

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橋って造るの難しそうじゃん、できるようになったのは昭和になってからとか思ってた。

歩いてると「この先雀荘」と書かれた看板があった。

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雀荘かぁ、植田まさし先生のマンガでしか見たことないな。それもコボちゃんではなく、かりあげクンとかおとぼけ課長とか、昭和に連載されていた、大人が読むであろうやつ。ストロングスタイルのまさし先生のマンガ。

昨日 生主の配信で、3時間ぐらい麻雀のプレイを見てた。リスナーとDiscordをつないで4人で盛り上がってた。

もう麻雀はいいよ、3時間見ててもルールがさっぱりなんだよ。黄ばんだ牌を「ドラ」としてカウントするぐらいしか分かんなかった(正しいかどうかは知らん)。

生主とリスナーの人達が、夜が更けるにつれてだんだん壊れながら麻雀してるのが少し怖かった。楽しそうではあったが、やりたいとは思わなかった。

また別の場所には自衛官採用の看板があった。それに印刷されてる自衛隊のキャラクターというかアバターというか、どうにも平成初期のクオリティーだった。

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インターネット黎明期の技術レベル。画素が荒いし、アバターの表情・顔のパーツも似たり寄ったり、そしてなんといってもポリゴンチックな3Dグラフィック。

このエリアだけ30年前にタイムスリップしたみたい。30年ずっと看板を替えてないのかな。でもそんなに汚れてるワケでもなかったし。

京阪の宇治駅の前には最近話題の、イカれた名前の高級食パン店があった。「大人はズルいと思いませんか?」という店。

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みんな思ってるだろうけど、やっぱネーミングセンスが変だよね。俺はこんな名前の店で働くのは無理だな。恥ずかしいったらありゃしない。

こんな感じで、飛鳥~中世~昭和~平成~令和が共存してる街だった。

しかし本当に凄いのは京阪宇治駅。まるでアテネの神殿のような造りをしていた。この凄さはちょっと、言葉では表せないなぁ…。

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代表としてパルテノン神殿は、紀元前431年に完成したらしい。2400年分の景色が詰まってる都市、宇治。よりによって京都にこういう都市があるなんてね。

帰りの電車で「そういや昼ご飯にサイゼリヤでハンバーグを食べたけど、ハンバーグっていつごろできた料理なんだろ」って思ってた。歴史を考えたがる頭になっていた。結局調べてないけどね。


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都市部に行ったは行ったけど、結局考えてることや書いてる内容は今までと変わんなかったよね。むしろ今まで以上に「何も無い街だなぁ」って思いながら歩いてた。

「いろんな時代があったな」と思ったのは、帰りの電車の中だった。帰るのに1時間以上かかるわけだから、ずっとスマホのアルバムを見返してた。写真を見返してようやく何か思いついたということだ。

街を歩いてるときの虚無感は今までで一番だった。なんか都市部ってどこも同じ感じじゃん。マンションがあって、雑居ビルがあって、チェーン店があって、人がいる。

人が暮らすことを重視したエリア。人が暮らせればそれでいいという場所。

田舎とか郊外しか行かなかったのはそのためだったのかな。宇治の景色はあまり覚えてないけど、山城多賀の景色は結構覚えてる。

田んぼがあって、古道があって、大きな橋があって。…言葉にするとチープだけど、景色は頭に浮かんでる。建物も画一的ではない感じがする。

よし、次もまた田んぼを見に行くか。